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第七話 秋の膳 竜の息吹で磯合戦を語る酒飲み(10)

 食堂の隅では、昨夜の酒好きたちが水を飲んでいた。

 丸顔の男。

 蟹の二人組。

 干し蛸の男。

 干しシャコの男。


 誰も小杯を持っていない。


 干物皿には、朝から箸が伸びていた。

 丸顔の男は干魚を小さくほぐしている。

 蟹の二人組は、塩蟹ではなく干し海老を分けている。

 干し蛸の男は、蛸の皿と薄いエールの杯を見比べてから、一切れだけ取った。

 干しシャコの男は、まだシャコに手を出していない。


 丸顔の男は、朝になってから三度目の確認をしていた。


「俺は本当に、第二列を呼んだのか」


「確かに呼んだ」


 年配の女が答えた。


「第二列は来たのか」


「来てないよ」


「ならよかった」


「よくはない」


 丸顔の男は干魚をほぐし、干しイカの皿から目をそらした。


「干しイカは、しばらくいい」


「薄いエールなら平気かもしれません」


 酒番が言った。


「平気かもしれないものを朝から試すな」


 年配の女が言った。


 蟹の二人組は、もっと小声だった。

 荷運びは自分の荷札を卓の上に置いている。

 染物の行商人は、藍のついた指で荷札を押さえ、真顔で聞いた。


「俺は、桶の蓋が甘いと言ったらしいな」


「言った」


 リュカは答えた。


「うちの桶のことか」


「港の桶だ」


 染物の行商人は荷札を裏返した。


「ならいい。うちの蓋なら直さなきゃならん」


 荷運びは水を飲み、低く言った。


「俺は船を流していない」


「誰も疑っていません」


 酒番が言った。


「念のためだ」


「念のためなら、水をどうぞ」


 酒番が、荷運びの水をまた足した。


 干し蛸の男は、蛸の皿を前にして固まっていた。


「兜を吸ったと言ったのか」


「それも言った」


 丸顔の男が、また少し胸を張った。


「お前が答えるな」


 年配の女が叱った。


 干し蛸の男は、蛸を一切れ箸でつまみ、しばらく見た。


「蛸は、なぜ兜なんだ」


「蛸に聞け」


 リュカが答えた。


 干し蛸の男は、素直に蛸を口へ入れた。

 薄いエールで流す。

 蛸は蛸のまま、噛むほど塩気を出した。


「これはうまい」


「それなら、よかったです」


 酒番はそう言って、水差しを卓の真ん中へ置いた。


 年配の女が、干しライム塩の小皿を持ち上げた。


「こっちは喋らないだろうね」


「喋ったら何を語るんです」


 酒番が聞いた。


「苦味だろうね」


「それは今も語っています」


 女は笑い、干しライム塩をほんの少しだけ焼き餅へ落とした。


 朝の食堂では、椅子を引く音に箸の音が重なった。

 水の杯のそばで、干物の皿が空いていく。


 干しシャコの男は、水の杯を両手で持っていた。


「俺が、盾は薄すぎると言ったのか」


「盾が薄すぎる、胸甲も鳴る。二打目を入れたいとも言った」


 リュカが答えた。


 男は両手で顔を覆った。


 酒番が、男の前に焼き餅を置いた。

 干物は干魚だけ。

 小皿には干しライム塩。

 杯には水。


「薄いエールもあります」


「今日は水にする」


「ええ、その方がいいです」


 酒番は水差しを黒瓶の前へ置き直した。

 小杯を棚の奥に伏せた。


 干しシャコの男は、少ししてから干しシャコの皿へ目を向けた。


「それは、もう食べてもいいのか」


「薄いエールか水で食べてください」


 酒番が答えた。


 男は少し迷ってから、干しシャコを一つ取った。

 小さく噛む。

 硬い殻の節が歯に当たり、香ばしい匂いが上がる。

 男は舌で、殻の塩気を確かめた。


「火酒がなくても、ちゃんとうまい」


 酒番は水差しを傾けた。


「なら、今日は水でどうぞ」


 男は足された水を一口飲み、もう一つ干しシャコを取った。


 リュカの前にも、麦の焼き餅が置かれた。

 炙った干魚をのせ、干しライム塩をほんの少し振ってある。

 杯には、薄いエール。


 リュカは一口食べた。

 塩気。

 麦の香ばしさ。

 干しライムの苦い酸味。

 エールの軽い苦み。


 口に残ったのは、昨夜の声ではなく、干物の塩気だった。


「薄いエールで十分だな」


 酒番は一度うなずいた。


「竜の息吹も出しますか」


 リュカは干しイカを見た。

 塩蟹を見た。

 干し蛸を見た。

 干しシャコを見た。


「今日はいい」


「それが賢明です」


 丸顔の男が水を飲みながら言った。


「その言葉、昨日も聞いたな」


 リュカが言った。


「聞き流した連中が、今は水を飲んでいる」


 丸顔の男が笑った。

 蟹の二人組も、水の杯を少し持ち上げた。


 リュカは焼き餅を食べ終えた。

 干魚の皮が少し指先につき、干しライム塩の苦味が舌を引き締める。

 薄いエールを飲んでも、その苦味はかすかに残った。


 酒番は棚を整えていた。

 黒瓶は棚にある。

 赤い紐は、二つの取っ手のあいだから見えている。

 ただ、その前に水差しが二つ並んでいる。

 小杯は、水差しの奥に伏せられていた。


 リュカは立ち上がった。


「世話になった」


「こちらこそ」


 酒番は水差しの位置を直した。


「客人、最後にひとつ聞いてもいいですか」


「今度は何だ」


「来年も、こうなりますか」


「今年ほどではないだろう」


「なぜ分かるんです」


「今年ほど元気な魚介は、そう何度もいてたまるか」


「では、今年いっぱいは水を前に置きます」


「来年からも置け」


「そうします」


 外へ出ると、荷車が動き始めていた。

 山側へ向かう道に、麦袋と干物箱が積まれている。

 港へ戻る荷車の端には、空の樽と塩の袋が結ばれていた。


 風はまだ、少しだけ海の匂いを持っている。

 けれど、宿場の朝には麦を焼く匂いの方が強かった。


 リュカは道へ出た。

 背後の食堂で、杯を卓へ置く音がした。


 続いて、水を注ぐ音がした。

 リュカはその音を背に、山側へ歩き出した。


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