第七話 秋の膳 竜の息吹で磯合戦を語る酒飲み(9)
丸顔の男は、伏せられた小杯を見て、水の杯を上げた。
「水で乾杯するか」
「乾杯するようなことか」
「俺だけじゃなかった」
「そこで喜ぶな」
干しシャコの男は、水の杯を両手で抱えたまま飲んだ。
酒番は空いた皿を一枚ずつ重ねた。
干物はどれも残り少なく、火酒の小杯は卓の奥へ集められていた。
リュカは食堂の端で、残りの焼き餅を食べた。
干しライム塩の苦味が舌に残る。
薄いエールは軽い。
火酒のように喉を焼かない。
口に残った苦味だけを流した。
「明日からは、先に水を一杯飲んでもらいます。もう一杯置いてから、竜の息吹を出します」
酒番が低く言った。
「それなら、二杯目を頼む者は減る」
リュカが言った。
「また、あの声が出たら、翌朝、本人に何を言ったか伝えます」
酒番が続けた。
丸顔の男は、水の杯を見下ろした。
「水と、恥か」
年配の女が杯の縁を指で鳴らした。
「恥は残しておいた方がいいね」
丸顔の男は水を一口飲んだ。
「なら、俺はもう飲まん」
「恥が残っていても、飲む人はいます」
酒番はそう言って、最後の小杯も伏せた。
それから食堂が閉まるまで、竜の息吹を頼む声は上がらなかった。
薄いエールは出た。
水も出た。
麦の焼き餅は何枚も焼かれ、干魚の箱は一つ空になった。
干しライム塩の小皿は、最後に底が見えた。
夜更け、相部屋へ向かう廊下で、丸顔の男がリュカに追いついた。
「なあ、少しいいか」
「何だ、今度はどうした」
「本当に、俺は大丈夫なんだな」
「水を飲んで寝ろ」
丸顔の男は、持ってきた水の杯を見下ろした。
「それで大丈夫なのか」
「酔っ払いは、大抵それでましになる」
「俺は酔っ払いか」
「他に何と呼ばれたい」
丸顔の男は水の杯の中をのぞいた。
「墨横陣ではない方がいい」
「なら、酔っ払いで我慢しろ」
男は水を一口飲み、リュカより先に相部屋へ戻った。
相部屋の端は寒かった。
だが、食堂の匂いがまだ上着に残っている。
麦の焦げ。
干魚の塩。
干しライムの苦味。
火酒の匂いは、袖口までは残っていなかった。
リュカは横になり、しばらく天井を見た。
港の甲冑漁師たちは、今頃どうしているだろう。
兜を洗い終えただろうか。
盾のへこみは直っただろうか。
今年の魚介が、干物になって内陸で武勇伝を語っていると知ったら、親方は何と言うだろう。
たぶん、まず桶の数を聞く。
リュカは毛布を肩まで引いた。
翌朝、食堂では水を注ぐ音がいちばん先に聞こえた。
外では荷車の車軸が直り、山側へ向かう荷が積み直されている。
道の石は乾き、塩の白さが朝日に薄く光っていた。




