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第六話 夏の膳 甲冑漁師の磯合戦(9)

 宿の主人は香草焼きの小魚を二つに割り、切り口へ刻んだ香草を散らした。

 切り口を客の方へ向け、皿を置いた。


 後ろ跳びで脛当てを鳴らした海老が、火の上では殻ごと丸まっていた。

 殻焼きの扇貝は、欠けていないものだけだった。

 欠けた貝は汁に回っている。

 殻の縁で湯気が止まり、青い香草の欠片が貝の汁に浮いていた。

 巻き貝には刻んだ香草が詰められ、巻いた殻の口から青い匂いが立っていた。


「昼の合戦の話は、客にはしないんだな」


 リュカが言うと、宿の主人は奥の火床へ目をやった。


「客は、苦労ではなく膳を食べます」


 リュカの匙が、蟹汁の赤い殻に当たった。

 綱を切る鋏。

 盾へ飛ぶ魚。

 盾を押し、脛へ跳ねる貝。

 椀の赤い殻にも、焼き魚の皮にも、昼の傷が少し残っていた。


 イカの詰め焼きと、蛸を夏野菜と煮た小鉢も奥から出た。

 ウニは冷たい麦粥へ少しだけのせられていた。

 主役は、炙り台の上で赤く焼けたシャコだった。


 昼に盾をへこませた腕が、今は香ばしく焼けている。

 殻の端に焦げ目があり、熱で身が少しふくらんでいた。


 炙り台から、潮と殻の焦げる匂いが上がった。


「これが、甲砕きの腕か」


 リュカが聞くと、宿の主人は皿を置いた。


「はい。甲冑を砕けるほど、身が締まってるんです」


 親方は隣で、濡れた髪のまま椀を持っている。

 洗い途中の兜は、裏のたらいに沈んでいる。


 リュカはまず蟹汁を飲んだ。

 昼に綱を切っていた鋏の持ち主は、椀の中で赤くなっている。

 汁は濃すぎず、殻から出た甘さが舌に残る。

 冷やした瓜を一口挟むと、潮と墨の匂いが少し離れた。


 焼き魚は小さかった。

 けれど、前夜の薄い魚汁より身がある。

 香草の青い匂いと、皮の焦げた匂いが、火のそばでよく立った。


 リュカは最後に、炙りシャコを手に取った。

 殻は熱い。

 宿の主人が布を差し出す。

 リュカは布で殻を押さえ、身を外した。


 白い身が出た。

 湯気は少ない。

 けれど、噛むと弾力があり、甘い。

 認めたくないほど、うまかった。


「これは、うまい」


 親方は頷いた。


「甲砕きだからな」


「その名で売るな」


「港では通じる」


 宿の主人が、空いた皿を一つ下げた。


「客には、炙りシャコと言います」


「それでいい」


 親方は、炙りシャコにはすぐ手をつけなかった。

 蟹汁を飲み、焼き魚を食べても、シャコだけは皿に残している。


「親方が先に食わないのか」


「若いのが片づけを終えるまで、俺も食わない」


 親方は椀を置いた。


 親方は、洗い場の方へ顎を向けた。

 盾がまだ立てかけられている。

 洗い場では、若い漁師が盾の砂を水で流していた。

 その隣で、桶番が兜をたらいから上げ、墨の筋を残したまま洗い台の縁へ伏せていた。


「食ったら終わりではない」


「漁も膳もか」


「夏は、だいたいそうだ」


 やがて若い漁師が盾を壁へ戻し、濡れた手を拭いて広間へ入ってきた。

 親方はそこでようやく、皿の炙りシャコへ手を伸ばした。


 宿の主人は、商人たちへ炙りシャコを一切れずつ配った。

 大皿にはしない。

 一人一切れ。

 殻から外すのに手間がかかるので、宿の主人が布を添える。


「これは、昼に盾をへこませたやつか」


「はい。あの一匹です」


 商人は炙りシャコを食べ、殻に残った身まで匙で掻き出した。


 リュカはもう一口食べた。

 悔しいほど、身が締まっている。


 桶番が入口近くで、台所から出た盆を受け取っていた。

 出てきた皿を席へ回し、空いた盆を主人へ返す。

 主人が明朝用へ取り分けた小魚は、裏で風に当てられていた。


 鎖番は外で、杭の頭を指で叩いていた。

 夜になっても、鎖は外さない。

 漁師たちが眠る間も、船も大桶も、生け簀も鎖で留める。


 鐘役は小鐘を棚へ置き、洗った紐を隣の鉤へ掛けている。

 小鐘はもう鳴らない。

 けれど、墨の匂いは紐に残っていた。


 リュカは膳を食べ終えたあと、裏の洗い場へ戻った。

 洗い台の兜をたらいへ戻す。

 墨が水へ広がり、もう一度水を替える。

 布で内側を拭う。

 縁の隙間に残った墨を、指先で押し出す。


 親方が、へこんだ盾を持って来た。


「それも洗うのか」


 リュカが聞く。


「これは直す」


 親方は盾のへこみへ親指を当てた。


「順番札をつける」


 親方は壁際から「二」と書いた木札を取り、盾の紐へ結んだ。


「甲砕きの盾が二番か」


「一番は大桶だ」


 親方は軒下の大桶へ顎を向けた。


「大桶がなければ、捕っても膳にならない」


 リュカは兜を水から上げた。

 黒かった内側が、ようやく鉄の色を取り戻している。

 縁の隙間に墨の筋が残っている。


「これで使えるか」


 親方は兜を受け取り、内側の墨を親指でこすった。


「乾けば使える」


「墨が残っている」


「どうせまた付く」


 リュカは短く笑い、親方の手から兜を取り返した。

 兜はもう一度、たらいへ沈んだ。


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