第六話 夏の膳 甲冑漁師の磯合戦(4)
磯場へ入ると、海の色が変わった。
港の内側は青く静かだったが、岩場の水は白く泡立ち、浅いところで小さな影が走っている。
漁師たちは水に入る前、盾を低く構えた。
リュカは桶番の後ろについた。
桶番は大桶を杭のそばへ置き、取っ手を短い鎖で留めた。
取っ手の引き綱を足元へ伸ばし、蓋の紐を手首に巻く。
水面が跳ねた。
最初に飛んできたのは、細身の魚だった。
一匹ではない。
銀色の背が五つ、六つ、まとめて水を割る。
魚は水面を飛び出し、盾持ちの盾へ頭から突っ込んだ。
盾が鳴った。
木と鉄の間で、硬い雨が跳ねる。
「盾を上げるな!」
盾持ちが言った。
「上げると、足元が空く」
別の盾持ちが膝を沈めた。
飛んだ魚は盾の面を滑り、足元の浅い水へ落ちる。
網持ちがすぐ掬う。
桶番が大桶の蓋を半分だけ開ける。
網持ちが網を傾け、魚を滑り込ませる。
桶番はすぐ蓋を閉じた。
魚の群れは途切れなかった。
盾の面へ二群目が当たったところで、海老が来た。
魚が跳ねて乱した水の下から、海老が続けて盾列へ後ろ跳びする。
硬い体が脛当てへぶつかった。
前から来るなら受けられる。
後ろ向きに飛んでくると、足並みを乱される。
「海老は後ろへ跳ぶ!」
盾持ちが言った。
「もう来ている!」
リュカは桶を押さえた。
桶の内側で魚が一度跳ね、蓋の裏を叩く。
桶番の手首に巻いた蓋の紐が引かれた。
「蓋を押さえてください!」
「押さえている! 魚が下から突き上げてくる!」
「私が反対側を押さえます」
リュカは蓋の端へ手を置いた。
桶の内側で、何本もの尾が底を叩いた。
一度では動かない。だが音が重なるたび、桶が少しずつずれる。
桶番は片手で蓋を押さえたまま、もう一方の手で足元の引き綱を引き、ずれた桶を元の位置へ戻した。
網持ちは大桶の脇を抜け、盾列の端へ回った。
跳ね魚がもう一度、盾へ飛び込む。
一匹が盾を越え、リュカの足元へ落ちた。
銀色の体が浅い水の中で跳ねる。
手で掴める大きさだ。
だが、リュカが屈むより早く、桶番が短い棒で進路を切った。
「手で掴まないでください!」
「魚なら掴めるだろう」
「掴むと、尾で手首を打たれます」
魚が身をひねり、尾で棒の先を叩いた。
桶番はそのまま魚を浅い網へ追い込んだ。
桶番が蓋を開ける。
網持ちが魚を大桶へ落とし、桶番はすぐ蓋を閉じた。
リュカは、伸ばしかけた手を引っ込めた。
海老が、若い漁師の脛当てを叩いた。
海老の尾が、脛当てと靴の隙間へ入り込む。
若い漁師が片膝を一瞬だけ浮かせた。
すぐ隣の盾持ちが、盾の角を砂へ差し込む。
浮いた膝の前を塞いだ。
若い漁師が隣へ顔を向け、口を開く。
「礼はあとだ! 盾を戻せ!」
親方が後ろから言った。
「まだ海老が来るぞ!」
隣の盾持ちはそう言って、盾の角を砂から抜かなかった。
若い漁師は礼を飲み込み、盾を下げ直して、下端を隣の盾へ合わせた。
親方の手が上がり、鐘役の小鐘が鳴った。
短く、鋭い音だった。
「前をそろえろ!」
盾列がそろった。
跳ね魚の群れが、もう一度飛ぶ。
盾に当たり、落ち、網に入る。
リュカは笑いかけ、すぐ息を止めた。
盾の下へ、海老がもう一匹潜り込む。
脛当てが鳴った。
盾列が一歩ずれる。
その隙から、魚が桶の横へ跳ねた。
桶番が棒で魚の進路を切った。
網持ちが浅い網で掬い、桶番の開けた大桶へ落とした。
桶番はすぐ蓋を閉じた。
リュカは桶の取っ手を握り直した。
親方は振り向かないまま、声を飛ばした。
「客は大桶の後ろへ寄れ!」
リュカは桶を半歩引いた。
盾列が正面の魚と足元の海老を受けた瞬間、濡れた岩肌を横に走るものがあった。
蟹だった。
大きくはない。
甲羅は手のひらほどで、鋏も特別に長くない。
ただ、速い。
網の端へ走り、綱へ鋏をかける。
正面で魚が盾を鳴らす。
足元で海老が脛当てを打つ。
横では蟹が網の綱を挟む。
「蟹を止めろ!」
「どの蟹ですか!」
若い漁師が叫ぶ。
「切ってる蟹だ!」
「切っているのは全部です!」
鎖番が前へ出た。
蟹は、網を杭へ留めた綱を切った。
網が波に引かれ、端に通した鎖が張る。
鎖番は鎖を踏み、網を杭際へ引き戻した。
杭の輪が重く鳴った。
「綱は切られます。鎖は切られません」
蟹が鋏で鎖を挟んだ。
かつ、と硬い音がした。
鎖は切れない。
蟹は鋏をずらし、大桶の側板へ鋏を立てた。
ぎり、と木が削れ、白い木屑が水へ落ちた。
桶番が蓋を押さえながら叫んだ。
「大桶を引け!」
リュカは桶の取っ手を掴んだ。
桶が横へ滑る。
蟹は側板から離れ、取っ手の引き綱へ鋏をかけた。
リュカは引き綱を踏み、蟹の鋏から引き抜いた。
短い係留鎖が張り、大桶が止まった。
蟹は鋏に木屑をつけたまま、横へ逃げた。
鎖番は張った鎖を踏み直し、次に来た蟹の横へ短い鎖を落として、片側を塞いだ。
盾持ちが盾の縁を蟹の前へ置き、横へ走る道を狭める。
蟹が向きを変えた先へ、網持ちが浅い網を伏せた。
桶番が大桶の蓋を開ける。
網持ちが網の端を持ち上げると、蟹は鋏をかける前に大桶へ滑り落ちた。
宿の主人が蓋を押さえ、桶番が手首に巻いた蓋の紐を締めた。
「主人も漁師なのか」
「夏だけです。大桶を宿へ戻すまで、魚介を逃がせません」
大桶の蓋が、内側から二度鳴った。
桶番は蓋の隙間から新しい海水を入れた。
大桶の中で、蟹の鋏が鳴った。
その音が消える前に、水面の向こうが横一列に盛り上がった。




