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第六話 夏の膳 甲冑漁師の磯合戦(3)

 翌朝、鐘が鳴った。

 鐘は一つではない。

 港の奥から低い鐘が響く。

 岩場の方から小さな鐘が返る。


 朝の空気はまだ冷えていた。

 それでも浜へ出る漁師たちの首筋には、すでに汗があった。

 甲冑は重い。

 濡れればもっと重くなる。

 それでも、軽い布だけで浜へ出る者はいなかった。


 盾持ちは、盾の縁を砂へ当ててから持ち上げた。

 砂に残る線を見て、縁が欠けていないか確かめる。

 鎖番は、鎖の輪を一つずつ引き、弱い輪を別の束へ分ける。

 桶番は、蓋を閉めては開け、開けては閉めた。

 音が軽い蓋は使わない。

 重く鳴る蓋だけを、今日の大桶へ合わせる。


 宿の主人は、朝の残り火を見に台所へ戻った。

 火が強すぎると、魚介が届くころには薪が足りない。

 弱すぎると、夜の膳が遅れる。

 主人は灰を寄せ、火床の端に小さな炭を二つ残した。


「漁へ行く前に、台所を見るのか」


「帰ってから火を起こせば、膳が遅れます。腹を空かせた客は、大桶の蓋まで開けます」


 主人は火掻き棒を置き、入口の方へ目をやった。


「客を待たせても、魚介まで逃がすわけにはいきません」


 宿の柱には、古い板が掛けてあった。

 海風で端が反り、墨で書いた字はところどころ薄い。


 蟹は追うな。

 墨は吸うな。

 蛸は兜で釣れ。

 甲砕きは一人で受けるな。


 リュカは板を見上げた。


「最後だけ、漁の心得ではないな」


「全部、漁の心得だ」


 親方が兜の紐を引きながら言った。


「蛸は兜で釣るのか」


「釣るつもりはない」


「では、なぜ書いてある」


「蛸が兜を取る。だから釣れる」


「去年は、兜を二つ持っていかれました」


「反省が板になる土地か」


「夏は、心得を忘れた者から墨を吸い込みます」


 宿の主人が答えると、親方は兜の紐を締め直した。

 鎖番は、杭の輪に指をかけたままだった。

 リュカは板の文字をもう一度読んだ。


「宿へ持ち帰る分は、この大桶へ入れます」


 桶番が大桶の蓋へ手を置いて言った。


「海へ戻すものは?」


「まだ育ちきっていないものと、卵を抱えたものです。大桶へは入れず、網から戻します」


 桶番は蓋の紐を確かめた。


 リュカは外へ出た。

 漁師たちは甲冑を着ていた。

 肩当て、胸当て、脛当て。

 兜の下には頭布を巻き、手首には厚い革。

 腰には網を括り、背には盾を負う。


 剣はない。

 代わりに、大桶の引き綱、鎖の輪、網の端を押さえる短い棒がある。


「漁に行く格好ではないな」


 リュカが言うと、親方は兜の紐を結んだ。


「夏の漁だ」


「戦場の格好だ」


「夏の漁だ」


 親方は、並んだ盾から一枚を選び、盾持ちへ渡した。

 盾持ちは盾の縁を足元へ当て、低く構える。

 水に濡れた砂の上で、盾の下端が短く沈んだ。


「先に動きを鈍らせれば早いのではないか」


 リュカが言うと、親方だけでなく、宿の主人まで振り向いた。

 主人は台所脇から空の大桶を抱えている。


「弱らせるな!」


 親方が言った。


「早いだろう」


「身がゆるむ」


「魚介の話だな」


 宿の主人が大桶を地面へ置いた。


 桶番が蓋を押さえながらうなずいた。


「弱った魚は大桶でも跳ねませんが、味が落ちます」


 親方は兜をかぶった。


「捕るまでは敵。食えばうまい。弱らせると、その両方が半端になる」


 リュカは杖の先を砂へ立てた。


「分かった。俺はどこにいればいい」


 親方は港の先を指した。


「客は大桶の後ろだ」


「盾の後ろではなく、大桶の後ろか」


「盾と大桶の間は、漁師の持ち場です。客は大桶より前へ出ないでください」


 宿の主人はそう言って、冷やした瓜を小さな籠に入れ、布をかけて日陰へ置いた。

 濡れ布を一枚、肩に掛けた。


「昼まで戻れなければ、瓜だけ先に出します」


 親方が手を上げると、横にいた鐘役が小鐘を鳴らした。

 甲冑漁師たちは、浜へ出た。


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