第四話 冬の膳 勇者の名乗りを求める門(6)
ガロは包みの紐から手を離した。
赤くなった指先を、外套の裾でこすった。
「助けてるわけじゃない」
ガロは赤い指先を、外套の裾へ押し当てた。
「包みを濡らさず運んで、鍋の前まで持っていく。それだけだ」
「その包みで、夜番の者の椀に肉が入る」
「今のを褒め言葉にするな」
「褒めていない。椀の中身の話をしている」
ガロは椀の縁に指をかけた。
「椀の中身の話だと?」
「肉が入るか、薄い汁だけで終わるか」
ガロの指が、椀の縁で止まった。
湯気が、豆の間から一度濃く上がった。
端肉がひと切れ、豆の間に沈みかけている。子どもがそれを狙って匙を伸ばし、ガロに手を叩かれた。
「まだ早いだろ」
「肉が沈んじゃうよ」
「沈んでも逃げはしない」
「見えなくなる」
「匂いで待て」
子どもの匙が、椀の縁で小さく鳴った。
薬売りの女が笑う。
「都合がいいね」
「腹が減ってる時は、それでいい」
ガロはそう言ってから、鼻から短く息を抜いた。肩から力が少し抜けていた。
薬売りの女は、膝の布包みの結び目を指で撫でた。
「私も、同じようなものだよ」
リュカは椀を膝の上で止めた。
薬売りは、包みを少し持ち上げた。
布の外側は湿っている。
だが、内側から乾いた紙の角が少し見えた。
結び目は丁寧で、指の跡が残っていた。
「咳の子の薬だ。薬包の紙を濡らさず持ってきた」
「誰の子なんだ」
「門の内側の樽職人の子」
「濡れていたら」
「効きが落ちる。苦いだけになる」
「なら、ただ運んだだけじゃない」
薬売りは、布包みの結び目を親指で押さえた。
老人は、火鉢の向こうで小さく咳をした。
「わしは、大したことはしておらん」
火鉢の灰が、ぱちりと小さく崩れた。
老人は膝の上の小さな布袋を開いた。
中には、古い杯の足飾りが一つ入っていた。
指輪ではない。
杯の細い足に通してあった、丸い木の飾りだった。
「妻と昔、この町へ来た。冬になったら、もう一度この町の鐘を聞きに来ようと話した」
老人は、布袋の口を指でなぞった。
「妻は来られん。だから、この飾りを持って来た」
子どもが首をかしげた。
「それ、なくさなかったんでしょ」
老人の手が、杖の頭で一度止まった。
「ああ。なくさずに済んだ」
「じゃあ、それでいいんじゃないの」
老人は、杖の頭に置いた手をゆっくり動かした。
火鉢の赤い光が、老人の指に当たっていた。
ガロが鍋をひと混ぜすると、豆が底から浮いた。
「お前らも、門の前だと急に黙るんだよな」
薬売りの女が言った。
「ガロもそうだね」
「俺は黙ってない。夜番へ届ける肉だって言ってる」
「だから入れないんだろ」
「うるさいな」
言い返したものの、ガロは鍋の縁を指で押さえたままだった。
リュカは、空いた椀をガロの方へ押した。
「後で食うと言った」
「今食うのか」
「今がいいんだ」
ガロは椀を取った。鍋の底から豆、根菜二つ、端肉を一切れすくった。厚い端肉が豆にのった。
「底の豆だぞ」
「それで構わない」
「本当に変なやつだ」
「ここは町の宿じゃないんだろ」
「選べるほど立派じゃない」
「なら、変なやつも来る」
ガロは笑った。
椀をリュカへ渡す。
リュカはそれを受け取り、火鉢の前で食べた。
豆はやはり少し硬い。端肉は小さい。だが、汁の塩気はさっきより深くなっている。
天幕の外では、風が雪を撫でていた。
町の内側から、どこかの扉が閉まる音が聞こえた。門の内側の戸口からは、根菜の薄い湯気だけが流れていた。
ガロの足元で、肉包みの紐が白く固まっていた。
このまま朝まで待てば、門は開く。
けれど、夜番の鍋は朝まで根菜の匂いのままだ。
ガロは包みの凍った紐に手を置いた。
ほどけかけた結び目を、今度は丁寧に締め直した。
*
明け方前、雪は止んでいた。
待ち天幕の火鉢には、赤い炭が細く残っていた。
入口の毛布の下から、冷えた風が少し入る。
薬売りの女は薬包を膝に抱えたまま、箱の紐を押さえていた。
老人は杖を両手で握っている。
子どもは母親の外套の端を握り、火鉢のそばから顔を出した。
リュカは火鉢の横にいた。
町門の前まで出ているが、開門を待つ列には加わっていない。
昨夜結び直した天幕の紐を確かめ、それから火鉢の灰を棒でならしている。
灰の下で赤い炭が少しのぞいた。
「並ばないのか」
ガロが言った。
「俺は後でいい」
「また通れなかったら」
「朝の門が開くまで待つ」
「気楽なやつだな」
「火と椀はある」
リュカは火鉢の灰を棒の先で一度ならした。
門の外は、まだ朝になりきっていなかった。
町の中で、どこかの扉が一つ軋んだ。
門番が火桶から手を離し、門の脇に立った。
門の前の話し声が、そこで途切れた。
名乗り門の受け口の奥で、低い声が鳴った。
『名を聞こう』
ガロは一歩前へ出た。
「ガロ。北の燻製小屋から」
『どこへ向かう』
ガロは背中の包みに指をかけた。
門の内側の小さな窓の奥で、鍋の蓋が一度だけ鳴った。
名乗り門の声が、そこへ重なった。
『どの鍋へ届ける』
「夜番の鍋だ」
そこまでは、舌が勝手に出た。
背負い革の端を握った指が、そこで止まった。
次の言葉で、ガロの喉が詰まった。
名乗り門の奥で、声が低く沈んだ。
『では、名乗りを聞こう』
ガロは息を吸った。
白い息が、すぐにほどける。
背中の包みの重さが、肩紐を通して体にかかっていた。
天幕へ入った時より軽いはずなのに、肩紐は深く食い込んだ。
火鉢のそばの子どもが、天幕の柱から少し身を乗り出した。
薬売りの女は、箱の紐を片手で押さえていた。
老人は杖を両手で握っている。
リュカは火鉢の灰をならす棒を止めていた。




