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第四話 冬の膳 勇者の名乗りを求める門(5)

 その焦げた甘さで、リュカはもう一度、椀を両手で包み直した。


 老人が椀を両手で包みながら言った。


「宿で出る皿ではないな」


「宿の皿なら、ここまで熱いまま来ない」


 リュカは林檎を飲み込んで答えた。


 ガロの匙が、鍋の縁を一度こすった。


「部屋も寝台もない。火と椀と、横になれる隙間だけだ」


「火と椀があれば、今夜は越せる」


 リュカは椀を空にした。

 底に残った豆を、匙で寄せる。


 子どもの匙が椀の縁で小さく鳴り、笑いが漏れた。


「本当に底の豆を食べた」


「最後に来たからな」


 ガロは空の椀を受け取った。

 すぐに下げず、鍋のそばへ置く。


「もう一杯いるか」


 リュカは空の椀を両手で包み直した。


「少し後でもらう」


「そう言うやつほど、湯気の匂いで戻ってくる」


「なら、後で食う」


 天幕の外では、風がまだ布を押していた。

 だが、結び直した端は大きくは揺れない。


 火鉢の赤い炭が、灰の中で静かに光っている。

 鍋は小さく鳴っている。

 燻製肉の端は、根菜と豆の間で湯気を立てている。


 リュカは、火鉢の前で手を温めた。


 町の宿ではなかった。

 火鉢の熱は膝に残り、椀の縁はまだ温かかった。


 食べ終えた者たちは、空の椀を膝の上で抱えていた。


 子どもは、焼き林檎の皮を残すか食べるかで迷っていた。

 薬売りの女は、薬包の外側を布で拭いている。

 拭いたあとも、結び目の下を指で押さえ、もう一度だけ確かめた。

 老人は、椀を空にしたあとも両手で包んでいる。


 ガロは鍋の縁についた汁を木片で拭った。

 その木片も、洗った布も、きちんと鍋の横へ戻す。乱暴なようで、置いた場所は崩さない。


「ここ、いつからある」


 リュカが聞いた。


「さあな。俺が荷を運び始めた時にはあった」


「誰が張った」


「門番と、通れなかった連中だろう」


「町のものか」


「門番が張って、通れなかった連中が直した」


 ガロは入口の毛布の継ぎ目を指でつまんだ。


「破れたところは、だいたいそうやって塞がってる」


 つまんだ布の端が、色の違う糸で引きつれていた。


「火鉢を置いたやつがいて、鍋を掛けたやつがいて、毛布を継いだやつがいる」


 リュカは、入口の毛布の端をつまんだ。

 ほどけた端は無理に折られ、紐で押さえられている。

 その上に、色の違う結び目が二つ重なっていた。


「門に止められた者が、朝まで凍えないための場所か」


「泊まる場所じゃない。朝を待つ場所だ」


 ガロは火鉢の灰を、棒の先で少し寄せた。

 灰の下で、赤い炭が細く光った。


「使ったやつが、次のやつのために少し残していく。毛布でも、椀でも、火種でもな」


「だから残っている」


「残すやつがいるうちはな」


 リュカは火鉢の灰へ火かき棒を入れ直した。


「なら、俺も少し残す」


 ガロは火かき棒で灰をひと筋寄せた。


 しばらくして、天幕の中の火が落ち着くと、それぞれの座る場所が決まっていった。


 薬売りの女は、火鉢から少し離れた布の上に薬包を置き、外套の陰へ寄せた。

 老人は支柱に手を当ててから腰を下ろし、杖を自分の横へ引き寄せた。

 子どもは鍋のすぐそばへ座ろうとしてガロに追い払われ、木皿を抱えてリュカの隣に来た。


「ここなら鍋に近い?」


「鍋には近い」


 リュカが言うと、子どもは首をかしげた。


「ガロに怒られない?」


「鍋に手を出さなければな」


「じゃあ、ここでいい」


 ガロが鼻を鳴らした。


「鍋に近づくなと言ってるんだ」


「鍋じゃない。リュカの隣に来ただけ」


「それでも鍋に近い」


「リュカも近いよ」


 薬売りの女が笑い、老人も椀を両手で少し持ち上げた。


 リュカは火鉢の灰を火かき棒で薄く寄せていた。

 火鉢のまわりは、さっきより狭くなった。

 火鉢の縁に、手の影が重なった。木皿を抱えた子どもも、鍋のそばへ少し寄った。

 炭は灰の下で、同じ赤さのまま細っていく。


 火鉢のまわりに人の影が落ち着き、鍋の湯気が低く流れた。


 鍋を食べ終えたあとも、リュカはすぐには火鉢から離れなかった。


 濡れた外套の裾は、火鉢から手の幅ひとつ離して広げてある。乾きかけた布から、雪の匂いと道の土の匂いが出ていた。

 ガロは火鉢の縁に指を置き、裾との間を一度確かめた。

 裾の端は焦げず、湿った重みだけが少しずつ抜けていく。


 薬売りの女は、布包みを膝に置いたまま、指先を火鉢へ近づけていた。

 老人は、椀を空にしたあとも両手で包んでいる。

 子どもは、焼き林檎の皮を木皿の端へ寄せたり戻したりしていた。


 天幕の中で目立つのは、欠けたり焦げたり濡れたりしたものばかりだった。


 欠けた椀。焦げた鉄皿。古い毛布。湿った敷物。すすけた鍋。結び直したばかりの紐。


 火鉢の縁には、まだ赤い炭の熱が残っていた。

 鍋は底で小さく鳴り、欠けた椀は老人の手の中で冷めていなかった。

 毛布の端は、入口の風を一枚ぶん受けていた。


 リュカは焦げた鉄皿の横に匙を置いた。


 鍋をもう一杯もらう前に、燻製肉の匂いがもう一度鼻に来た。


 天幕の隅、火鉢から少し離れたところに、燻製肉の包みが置かれている。

 布と油紙を重ね、凍った紐で結び直してある。

 形だけなら、荷運びの包みだ。


 けれど、天幕の中に座っている者は、もうその匂いを知っている。


 鍋の中で、端肉が根菜と豆の間をゆっくり回っていた。

 汁の表面に、脂が小さく浮いている。

 火鉢の上で鍋が鳴るたび、燻製の匂いがふっと立った。


 リュカは、椀の底に残った豆を食べてから言った。


「その肉がないと、夜番の鍋はどうなる」


 火鉢へかざしたガロの指の節が、少し白くなった。


「鍋が薄くなる」


「その薄い鍋を、夜番の者が食う」


 火鉢の縁に、ガロの親指がかかった。


 鍋の小さな泡だけが、火鉢の上で鳴った。

 子どもは、皿の端の皮をつついていた手を止める。

 薬売りの女は、膝の布包みを抱え直した。

 老人は杖の頭を、片手でゆっくりなでている。


 ガロは火鉢の縁を、親指でこすった。


「俺が背負っているのは包みだ」


 リュカは椀の底に残った豆を匙で寄せた。


「肉だ。包んで背負って、夜番へ渡す。それが俺の仕事だ」


「夜番の者は、それを待っている」


「だから何だ」


「待たれているなら、ただの包みではない」


 火鉢の縁をこする親指が、そこで止まった。


 ガロの指先が、膝の上で一度止まった。


 火鉢の炭が、ぱち、と小さく鳴る。

 入口の毛布が風を受けて揺れ、結び直した天幕の端が、ぎしりと鳴った。

 リュカはそちらへ動かない。

 ガロの荷だけが、火鉢の明かりを受けている。


 ガロは足元の包みへ手を伸ばした。

 紐の結び目を、指で確かめる。

 さっき結び直したばかりなのに、指は結び目の下へ入りかけていた。


「……夜番は、寒い」


 ガロが言った。


「寒いだろうな」


「夜番の詰所には火がある。だが、外の風が戸の下から入る。交代の前は足が冷える」


「交代前がいちばんこたえる」


「鍋に肉が少し入ると、腹が長くもつ」


「腹が落ち着けば、目も冴える」


「だから運んでる」


 ガロは、そこで言葉を止めた。


 止めたあと、椀の縁に残った汁を親指でこすった。


 リュカは椀を置いた。


「名乗り門は、それを勇者の名乗りにするのか」


 薬売りの女が、膝の布包みを抱え直した。


 ガロは椀の縁を親指で押さえ、膝の上で少し回した。


「それはやめろ」


「何のことだ」


「肉を届けるだけの話を、勇者の話にするな」


「名乗り門は、そう言わせる」


「だから嫌なんだ」


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