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第四話 冬の膳 勇者の名乗りを求める門(2)

 薬売りは布包みを膝に抱えたまま、薬包の角を親指で押さえた。ガロは背中の荷を床へ下ろした。


 燻製肉の包みは、布の上から油紙を重ね、さらに古布で巻かれていた。紐は凍っている。

 ガロは指先で結び目を探り、うまくほどけず、奥歯を噛んだ。

 紐は固く、背負い革も雪を吸って冷えていた。


 火鉢へ近づければ、紐の表に水が浮く。

 けれど、ガロはすぐには火のそばへ持っていかなかった。


 手袋をはずし、素手で紐をつかむ。

 結び目を爪で起こす。

 凍った繊維が、ぎしりと鳴った。


「刃を使えばいいだろう」


 天幕の隅にいた老人が言った。


「切ったら、明日の朝に同じように結べない」


「明日には町に入れるんだろう」


「明日も荷はある」


 その時、結び目が指の下でほどけた。


 中から、燻製肉の匂いが出た。塩と煙の匂いだった。

 火鉢の熱を受けて、冷えていた肉の表面が湿った。天幕の中にいた子どもが、身を乗り出した。


「鍋に肉が入る?」


「端の肉だけだ」


 ガロは包みの端をめくり、細い刃で切れ端を削った。

 刃が肉を削る音は、布越しにも強く聞こえた。


 薬売りの女は薬包を抱え直し、老人は杖の頭へ指を置いた。子どもだけが、鍋の方へじりっと寄った。


 待ち天幕の鍋には、根菜と豆が入っていた。

 芋、蕪、人参に似た赤い根、白い豆。火鉢の上で、小さく泡を立てている。

 鍋の縁には、さっきまで林檎を温めていた薄い鉄皿が寄せてあった。


 ガロは削った端肉を鍋へ落とした。


 根菜の甘い湯気に、燻製肉の煙の匂いが混じった。


「入れすぎるなよ」


「入れてない」


「なら、もう一削りくらいは入る」


「届ける分が減る」


「食べる分は増える」


 ガロは刃を布で拭いた。

 ガロは鼻から短く息を抜き、すぐに荷の口を閉じた。


 門の内側では、夜番の戸口の明かりが細くなっていた。


 薄い板の奥で、夜番の鍋をかき回す音がしている。

 火の明かりが隙間で揺れ、湯気が少しだけ外へ流れた。

 夜番の者たちは、交代の合間にそこから椀へ豆と根菜をすくう。


 その鍋へ落ちる分の燻製肉は、まだガロの包みの中にあった。


 夜番の鍋の表面には、根菜の角と白い豆が浮いている。

 そこへ、いつもなら燻製肉が薄く削られる。

 肉が少なければ、根菜の甘い匂いばかりが勝つ。


 扉の向こうから声がした。


「今夜は根菜が主役だな」


 門番の声だった。

 声の終わりで、鍋をかき回す音が一度弾んだ。

 ガロは、大きめの端肉を削って、天幕の鍋へ落とした。


「聞こえたぞ」


「聞こえるように言ってる」


 ガロは鍋の縁に刃を置いたまま、短く言った。


「朝に足しても、今夜の鍋じゃない」


 火鉢の上で、天幕の鍋がことりと鳴った。


 薬売りの女は、膝の布包みを抱え直した。

 ガロは包みの紐を指の間へ引き寄せた。


 ガロは包みの口を寄せ、凍った紐を指の間へ挟んだ。

 繊維を引くたび、ぎちり、ぎちりと音が出る。紐は、指の間で硬く跳ね返った。


 子どもが、鍋の湯気に鼻を近づけた。


「肉のにおいだ」


「鼻を鍋に入れるな」


「入れてない」


「匙も入れるな」


「まだ持ってない」


「なら、そのまま待て」


 子どもは空の手を、膝の上で丸めた。

 ガロは肉包みを自分の足元へ寄せた。


 天幕の中には、ガロのほかに三人いた。


 薬売りの女は、薬包を膝に抱えていた。

 包みは濡れていない。袖口だけが雪で湿っていた。


 老人は杖を抱えて座っていた。膝の上には、小さな布袋がある。

 布袋の口は固く結ばれている。売り物の荷ではなかった。

 時々、老人は布袋の口を指でなぞり、中にあるものを確かめていた。


 子どもは、林檎籠の紐を指に巻いていた。

 母親は昼のうちに町へ入ったが、子どもだけが林檎売りの荷を手伝って、夕鐘に遅れたと言った。

 本人はそれを、手伝いではなく「林檎の見張り」と呼んでいた。


 薬包、布袋、林檎籠の紐。

 三人とも、それぞれの荷から手を離していなかった。


 火鉢はある。

 鍋もある。

 毛布も何枚かある。


 それでも、門の内側から聞こえる鍋の蓋は遠かった。


 外の風が天幕を押した。布が大きくふくらみ、支柱の縄が鳴る。

 ガロは火鉢のそばから立ち上がり、入口の毛布を直した。

 雪が入り込まないよう、端を踏み石の下へ押し込む。


「慣れてるんだね」


「嫌でも覚える」


「そうだろうね」


「朝になれば入れる」


「それも何度も聞いた」


「なら聞くな」


 ガロはそう言って、毛布の端を足先で押さえた。


 ガロは入口を直し終えると、火鉢の横へ戻った。

 包みを持ち上げ、もう一度、紐を確かめる。

 結び目は固く、余った紐は二重に巻かれていた。

 夜番の鍋には間に合わなかった。

 それでも肉は、まだ包みの中にある。


 ただ、その晩の夜番の鍋からは、根菜の湯気ばかりが立っている。


 ガロは包みの上へ手を置き、結び目を親指で押さえた。

 冷えた革の感触が、手のひらに残った。


 ガロがその荷を預かったのは、昼過ぎだった。


 北の燻製小屋では、軒先に吊るした肉から、まだ細い煙の匂いが出ていた。

 包みを渡す時、燻し場の番人は油紙を指で叩いた。「夜番の鍋だ。夕鐘に遅れるな」ガロはうなずいた。

 昼の鐘が鳴る前に出た。包みは背の高い位置で結び、余った紐を二重に巻いた。


 途中、坂のところで荷馬車が詰まっていた。車輪が凍った轍にはまり、二人がかりで押していた。

 ガロはそこを避けて、肩まで雪をかぶった生け垣の横を通った。包みの角を腕でかばった。

 紐が肩へ食い込んだが、荷は落とさなかった。


 橋の手前では、踏み板の上に薄い氷が張っていた。

 そこで一度、足を取られた。膝まで雪に沈み、包みが背中からずれかけた。

 ガロは片手を雪に突き、もう片方の手で背負い革をつかんだ。

 手袋の中へ冷たいものが入ったが、包みの油紙までは濡らさなかった。


 それでも門の前では、届け先と中身だけが舌に残った。

 我こそは、夜番の鍋へ燻製肉を運ぶ者。

 背負い革をつかむ指に、雪の冷たさが戻った。


 門番小屋の扉が、少し開いた。さっきの門番が、肩に毛布を引っかけて外をのぞく。


「ガロ、聞こえるか」


「何の用だよ」


「朝に入ったら、肉はこっちへ先に回せよ」


「分かってる」


「今夜は本当に根菜が主役だ」


「主役に失礼だろ」


 門番は笑った。


「肉を背負って門前で止まったやつが言うな」


「止めたのは名乗り門だ」


「名乗ったのはお前だろ」


 ガロは背負い革の紐を握り直した。


 門番は火桶へ手を戻した。

 小屋の奥から湯気が細く流れている。肉の匂いは薄い。根菜の甘い匂いばかりだった。


 門番は鼻を鳴らした。


「肉の匂いだけは天幕の勝ちだな」


「交換するか」


「しない。夜番の鍋だからな」


「じゃあ文句を言うな」


「言ってない。根菜を褒めてる」


 門番は小屋の扉を閉めた。


 天幕の中で、子どもが笑った。

 薬売りの女も、小さく笑った。

 老人は匙の先を椀の中で一度止めた。


 ガロも笑った。


 けれど、足元の肉包みをもう一度結び直す指は、結び目の上で一度もつれた。


 鍋の中では、端肉が根菜と豆の間で小さく揺れていた。

 門の内側の鍋には、その赤茶の欠片がない。


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