第三話 秋の膳 持ち寄りを煮つめるかまど(5)
ロナは茸籠から、傘の締まったものを二つ取った。
大きさでは選ばない。
指で裂くと、縁に水がにじむ。
火の縁で、その水気が細く消えた。
栗粉パンは端を使う。
客へ出すには小さすぎる欠片だが、焦げ目はよくつく。
山鳥の脂は、匙の先へほんの少しだけ取った。
バルトが置いていった小皿からではない。
鍋の脇に残っていた脂を、ロナが自分で寄せた分だ。
林檎煮は、蜂蜜の回っていないところから一匙。
香草は使わない。
塩だけを添える。
小さな皿だった。
名物膳とは呼べない。
秋市の看板にもならない。
小皿なら、茸が先に見える。
脂も蜂蜜も、皿の端で待っている。
宿の主人は宿帳の台からリュカを見て、短くうなずいた。
「端の小部屋なら空いている。薪置き場の隣だ。寝床は狭い」
「それでいい」
「湯は遅くなる」
「飯が先でいい」
リュカは杖を膝に渡し、狭い部屋の話に一つ頷いた。
火の前へ来ない。
ただ、飯を待っている。
ロナは皿を持っていった。
裂いた茸は二つだけ。
栗粉パンは小さく、林檎煮も椀の底に一匙。
山鳥の脂は、茸の裂け目に薄く残るだけだった。
リュカは、それを食べた。
焼き茸を噛み、栗粉パンを汁に触れさせる。
林檎煮は、匙の先に少しだけ取った。
食べ終えると、白い皿の底が見えた。
リュカは、匙を急がせなかった。
茸を噛み、パンを汁に触れさせ、林檎煮を最後に残した。
途中で、皿の向きを一度変えた。焦げ目のついた茸を、火の明かりに近づけるようにして見る。
ロナは、その手元を見ていた。
香草の汁を飲んだ客は、すぐ水を頼んだ。脂の重いパンを食べた客も、口をぬぐった。
今、リュカの前では、水差しは動かなかった。
リュカの口元にも、脂の跡はない。
リュカは、皿の外を見なかった。
皿の中だけを、火の明かりへ少し近づけていた。
リュカは空の皿を置いた。
皿の底には、茸の小さな焦げ目と、薄い脂の筋だけが残っている。
「茸は裂いたんだな」
ロナは、少しだけ顔を上げた。
「厚く切ると、水が出ます。香りを逃がしたくありませんでした」
「脂も蜂蜜も控えたんだな」
「はい。脂は裂け目に少しだけ。蜂蜜は林檎だけで、茸には入れていません」
リュカは皿の底を、ロナの方へ少し向けた。
「今の皿は、自分で決めたんだな」
ロナは口を結んだ。
ひとりで焼くなら、手は動く。
けれど客へ出す皿になると、同じ手が止まる。
「客へ出す皿になると、手が止まります」
「何を怖がっている」
「助けようとしてくれる人に、待ってと言えないんです」
ロナは作業台の方を見た。
壺も束も小皿も、まだ火のそばにある。
「礼を言ったあとでは、断れません」
リュカは、かまどではなくロナを見た。
「礼なら、俺も言う。助かった」
「あり合わせです」
「残さず食えた」
ロナは空の皿とリュカの顔を見比べた。
リュカは皿の底を見せるように、少しだけ傾けた。
焼き茸も、パンに吸わせた汁も、林檎煮も残っていない。
「下げた皿は、残っているか」
ロナは洗い場の方を見た。
「あります。でも、新しい客へは出せません」
「なら、残っているものを見せろ」
リュカは匙を取らなかった。
ロナの指から、皿の縁をつかむ力が少し抜けた。
リュカは立ち上がらなかった。客の席から動かず、ロナが皿を持ってくるのを待った。
火の前へ勝手に入らない。鍋をのぞき込まない。木匙にも触れない。
ロナは、さっき下げた皿を思い出した。
下げた皿には、茸が残っていた。
リュカの皿には、茸が残っていなかった。
皿の底には、小さな焦げ目が残っている。
蜂蜜も香草も脂の輪もない。
ただ、焼いた茸の跡があった。
「礼は言えばいい」
リュカは、火の音がする方へ顔だけ向けた。
「鍋に入れるかどうかは、別だ」
ロナは木匙の柄に指をかけた。
指は柄のくぼみで止まった。
「……でも、持ってきてくれたものを使わなかったら」
「使わないとは言ってない」
リュカは、皿の端についた焦げ目を指で少しこすった。
「どこに使うかを、おまえが言えばいい」
薪の奥で、小さな音がした。
ロナはそちらを見る。
古いかまどだった。
石を積み、粘土で固め、口の周りだけが黒く艶を持っている。
秋市のたびに火を入れられてきた口だった。
煤は厚いが、汚れているというより、使い込まれている。
リュカは、空いた皿を卓へ戻した。
「さっき下げた皿を、ここへ持ってこい」
ロナは顔をこわばらせる。
「失敗したものです」
「客へ出せとは言っていない。俺が食べる」
ロナは、厨房の端に置いた皿を持ってきた。
蜂蜜が回った焼き茸。
香草の強い汁。
山鳥の脂が重く染みた栗粉パン。
リュカは蜂蜜が回った茸を食べ、香草の汁を少し飲み、脂の染みたパンをかじった。
水を一口飲んだ。
「まずくはない」
ロナの肩が落ちた。
「それが、一番困ります」
「まずくないから、断りにくい」
リュカは皿を置いた。
「蜂蜜はうまい。香草も悪くない。脂も要る」
ロナは蜂蜜の艶から、汁椀の湯気とパンの脂へ目を移した。
リュカは、蜂蜜の艶が残った茸を皿の端へ寄せた。
椀からは、まだ青い匂いが立っている。
パンの端には、白い脂が固まりかけていた。
「だが、この皿は、茸より先に蜂蜜が来る」
「噛む前から、ですか」
「噛む前から甘い」
リュカは椀を少し寄せ、湯気をロナの方へ逃がした。
「汁は香草が先に来る。パンは、指に脂が残る」
火口の奥で石が低く鳴った。
リュカは、椀を元の位置へ戻した。
すぐには答えず、自分の空いた皿を持ち上げ、下げた皿の横へ置いた。
空いた皿の底には、茸の焦げ目と脂の薄い筋だけが残っている。
下げた皿では、蜂蜜の艶が茸を覆っている。
汁椀からは香草の青い匂いが立ち、脂はパンの端で白く固まりかけていた。
石音に、ロナは火口の方を振り返った。
かまど口の煤に、細い筋が浮いている。
壺の方へ、香草の束へ、脂の小皿へ、煤が細い筋になって伸びていた。
まだ火のそばにない干し茸の包みの方へも、途中で途切れた筋がある。
かまどの奥で、石音がまだくぐもっていた。
ロナは、作業台の香草を指で少し寄せた。
塩皿の方へ近づけただけだ。
鍋の蓋は動かなかった。
ロナが蜂蜜の壺へ指を伸ばすと、蜂蜜屋の女がこちらを見た。
ロナは小さく頭を下げ、壺の肩に触れた。
火口の奥で、石が小さく鳴った。
指先が、壺を鍋へ向けようとする。
ロナはその手を止めた。壺は、まだ林檎の小鍋の横にある。
「礼を言っても、鍋へ入れなくていいんですね」
リュカは短く答えた。
「受け取る手と、鍋へ入れる手は別だ」
その時、宿の主人が厨房へ入ってきた。
外の様子を見てきたのだろう。袖に湯気がまとわりついている。
宿の主人は、リュカの前の皿と、かまどを見た。
「昔の料理番は、よく火の前で声を張っていた」
宿の主人は木匙ではなく、かまど脇の小棚を見ていた。
布と空皿をどかすと、木目に古い跡が出た。
上の段には、壺を置いた丸い跡。
中の段には、塩がこぼれた白い跡。
下の段には、包みを縛った紐の擦れ。
火の端には、バルトの脂皿を置く平たい石があった。




