第52話「選択肢の向こう側」
《第三の選択肢:未登録》
赤い非常灯の下、ダニエルは画面に浮かぶ文字を見つめていた。
「リナ。第三の選択肢って、誰が用意した?」
「わからない。少なくとも、今表示されている選択画面を作ったのは保全プロトコル。でも、この項目だけは後から追加された形跡がある」
「ノー・ゼロか?」
「可能性はある。でも、名前だけで判断しないで。NO.0の管理権限を使える誰かが、同じことをした可能性もある」
ダニエルはうなずいた。
誰が仕込んだかを追うのは後だ。今は、カイと第六を選択画面の期限から守らなければならない。
モニターの数字が減っていく。
《選択期限:残り02分18秒》
「期限が来たら、どうなる?」
ヴィクターが尋ねた。
「既定の処理に戻るはず。問題は、その既定の処理が何なのか、記録が途中で切られていること」
「つまり、何も選ばなくても安全とは限らないわけか」
「そういうこと」
リナは端末を操作し、選択画面の周囲に表示された制御情報を拡大した。
「……待って。二つの選択肢、同じ場所につながってる」
「どういう意味だ?」
「『接続を維持する』を選んでも、『接続経路の変更を許可する』を選んでも、最終的には同じ管理領域に接続される。表向きは違うけど、どちらも保全プロトコルの管理下に置かれる仕組み」
ダニエルは舌打ちした。
「選ばせるふりをして、管理権限を手放さないつもりか」
「おそらくね。第三の選択肢だけは、接続先が登録されていない」
「だったら、そこを使う」
「簡単に言わないで。登録先がない選択肢は、実行時にエラーになる可能性がある。最悪、カイと第六の接続が不安定になる」
「だから、先に確認する」
ダニエルは通信を開いた。
「カイ、第六。画面の二つの選択肢は、どちらも同じ管理領域につながっているらしい。第三の選択肢は接続先が未登録だ。使えば、接続が不安定になる危険がある」
『つまり、どれを選んでも安全の保証はないってことか』
「そうだ。第三を使うなら、俺たちが接続先を用意する必要がある」
通信の向こうで、短い沈黙があった。
『俺は、管理領域に戻されるのは嫌だ』
カイが言った。
『でも、接続が切れて記憶を失うのも避けたい。自分勝手かもしれないけど、どっちも嫌なんだ』
「自分勝手じゃない」
ダニエルは迷わず答えた。
「どちらかを犠牲にしなきゃいけないと、誰かが勝手に決めてるだけだ」
その言葉に、第六が続いた。
『僕も、カイの記憶を失わせたくない。僕が存在するために、彼が犠牲になるのは違う』
『だから、そういう決めつけはやめろ』
カイの声には、苛立ちが混じっていた。
『俺は自分の意思でここにいる。お前を守るかどうかまで、お前が勝手に決めるな』
『……わかった』
第六は素直に答えた。
ダニエルは、そのやり取りを聞きながら端末を受け取った。
「リナ。接続先を新しく作ることはできるか?」
「一時的な中継先なら可能。でも、人格データを保存する場所じゃない。接続の経路を一時的に受け止めるだけ」
「それでいい。第六の人格をコピーする必要はない。カイとの接続を維持したまま、保全プロトコルの管理から一時的に切り離す」
「成功すればね」
「失敗した場合は、すぐに元へ戻す。勝手に切断することはしない」
リナは数秒考えたあと、うなずいた。
「やってみる。ヴィクター、電源系統を確認して。非常電源まで落ちたら中継先が維持できない」
「了解」
ヴィクターが通路へ走った。
その背中を見送り、ダニエルは画面に手を伸ばした。
選択期限は、残り一分を切っていた。
リナが中継先の設定を始める。だが、保全プロトコルはそれを察知したかのように、接続制限を強めてきた。
「妨害されてる! 古い管理権限が、私の操作を拒否してる!」
「管理権限を奪い返せないか?」
「無理。権限そのものを奪おうとすれば、向こうの仕組みと正面から衝突する。そうなればカイたちの接続に負荷がかかる」
ダニエルは、画面の隅にある小さな表示に気づいた。
《保全対象:本人の意思を優先》
その一文だけ、ほかの制御情報と異なる形式で記録されていた。
「リナ。これ、誰が書いた?」
「……元のプロトコルに含まれていたみたい。でも、ほかの管理命令とは優先順位が違う」
「だったら、管理権限を奪う必要はない」
ダニエルは選択画面を指さした。
「この保全対象っていう指定を、本人の意思そのものに置き換える。管理者が接続先を決めるんじゃない。カイと第六が、接続を維持するかどうかを決められる状態にする」
「そんな変更をしたら、保全プロトコルの前提そのものが崩れる」
「最初から、その前提がおかしいんだ」
リナはダニエルの顔を見た。
そして、小さく息を吐いた。
「……ほんと、あなたはシステムの設計者が一番嫌がることを思いつくね」
「褒め言葉として受け取っておく」
リナが最後の操作を実行した。
画面が一瞬、真っ白になる。
《選択期限:残り00分12秒》
《本人の意思を優先:再認証》
「カイ、第六! 今、接続の状態を確認して!」
『確認した。接続は維持されてる』
『僕も確認した。人格記録に異常はない。ただし、管理領域との通信が不安定になっている』
「それでいい。今は接続を切らず、変更だけを止めるんだ」
残り三秒。
二秒。
一秒。
そして――。
《既定処理:実行不能》
《保全対象の意思確認を優先》
《接続経路変更:停止》
警告音が止まった。
照明が戻り、モニターの赤い表示が消えていく。
リナは椅子の背にもたれ、長く息を吐いた。
「止まった……。接続は維持されたまま、経路変更だけが止まった」
ダニエルは通信を開いた。
「カイ、大丈夫か?」
『ああ。頭の中の妙な通路も消えた。まだ少し気持ち悪いけどな』
『僕の人格記録にも、今のところ異常はない』
「よかった」
その瞬間、画面に新しい記録が表示された。
《保全プロトコル:一部権限を返還》
《旧管理者:NO.0》
《最終操作記録:第一候補による変更を承認》
ダニエルの表情が変わった。
「承認……? 俺の操作を、向こうが認めたのか?」
リナは記録を調べたが、送信元はわからなかった。
「少なくとも、さっきまで妨害していた仕組みとは別の処理が動いた。NO.0本人なのか、残された自動処理なのかは、まだ判断できない」
ダニエルは画面を見つめた。
あの存在は、解除を続けろと言った。
そして、第六を切り離すなとも。
今回の処理は、その指示と矛盾していなかった。
だが、それだけで信用する理由にはならない。
「次は、NO.0が何を守ろうとしているのかを確かめる」
ダニエルがそう告げたとき、別の端末が短く鳴った。
少年のカプセルからだった。
ヴィクターが戻り、モニターを確認する。
「神経反応に変化がある。危険な上昇じゃない……むしろ、さっきより安定してる」
リナが記録を開いた。
少年の接続状態は変わっていない。目覚める意思も、まだ示されていない。
ただ、メインシステムの解除が進んだことで、少年の神経活動にかかっていた制御負荷がわずかに下がっていた。
「このまま解除が進めば、あの子にかかっていた負担も減るかもしれない」
リナが言った。
ダニエルは、カプセルの向こうで眠る少年を見つめた。
「なら、止まるわけにはいかないな」
少年を無理に目覚めさせるためではない。
カイと第六を、どこかへ移すためでもない。
誰かが決めた役割から、全員が自分の意思で抜け出せるようにするためだ。
ダニエルは解除処理の画面へ向き直った。
残された工程は、あとわずかだった。
しかし、その最後の工程を実行するには、ひとつだけ確認しなければならないことがある。
解除処理の最終承認者。
その欄に表示されていた名前は、ダニエル・クロスではなかった。
――リナ・アシュフォード。
彼女自身も知らない、古い管理権限が、まだ完全には消えていなかった。




