第47話 父の名前を使う者
研究棟へ戻る途中、ダニエルの通信機にリナの声が飛び込んできた。
『ダニエル、急いで。接続が少しずつ強くなっている』
「少年に変化は?」
『今のところ、生命維持は安定している。でも、外部から神経反応を読み取ろうとしている。まだ直接操作されてはいないみたい』
「まだ、か……」
ダニエルは階段を駆け上がった。
Ω-000。
認証名はジェームズ・クロス。
だが、父親の認証情報を使える人間が、父親本人とは限らない。
むしろ、誰かが意図的にその名前を使っている可能性を考えるべきだった。
「リナ、接続の経路は?」
『旧サーバーを経由している。外部から直接入ってきたわけじゃない。施設内部の古い端末を踏み台にしているみたい』
「内部に誰かいるのか?」
『それとも、以前から残っている自動処理かもしれない。まだ断定できないわ』
ダニエルは通路の角で立ち止まり、先を確認した。
人影はない。
それでも、銃を下げることはしなかった。
「接続を止める方法は?」
『認証元を特定できれば、古い管理権限を無効化できる可能性がある。でも、下手に操作すると、相手にこちらの権限を奪われるかもしれない』
「わかった。俺が現場を確認する」
*
カプセルのある部屋に戻ると、ヴィクターが入口を塞ぐように立っていた。
「遅かったな」
「状況は?」
「少年に目立った変化はない。ただ、カプセルの制御画面に外部接続の警告が出ている」
ヴィクターは、手元の端末をダニエルに見せた。
画面には、神経活動の数値とともに、ひとつの項目が表示されていた。
《外部照会:進行中》
《対象:第一被験者》
《応答:拒否》
「拒否されているのに、まだ照会を続けているのか」
「そういうことだ。向こうは、本人の意思を確認したいのか、それとも別の何かを調べたいのか……」
ヴィクターは言葉を切った。
「どちらにしても、勝手に接続されるわけにはいかない」
ダニエルはカプセルに近づいた。
少年は目を閉じたままだ。
先ほどの会話で、彼は自分の恐怖を伝えてくれた。
今度は、その言葉を守る番だった。
「リナ、こちらから少年の意思を確認できるか?」
『できる。ただし、無理に応答を求めないで。今は外部照会を拒否している状態だから、本人の意思を優先する』
「わかってる」
ダニエルは端末の音声入力を開いた。
「聞こえるか? ダニエルだ」
返事はない。
「今、誰かがお前の状態を調べようとしている。嫌なら、応答する必要はない。俺たちが止める」
数秒後、画面に文字が浮かんだ。
《応答:不要》
ダニエルは小さくうなずいた。
「わかった。お前はそのままでいい」
その直後、外部照会の進行が止まった。
ヴィクターが画面を見た。
「本人の拒否で止まったのか?」
『その可能性が高いわ。少なくとも、今の照会は中断された』
リナの声に、わずかな安堵が混じった。
だが、ダニエルはまだ警戒を解かなかった。
「照会を止めたのは少年自身だ。システムが相手の権限を無効化したわけじゃない」
「つまり、また試してくるかもしれない」
「ああ」
ダニエルは画面に残る接続記録を確認した。
照会が始まった時刻。
停止した時刻。
そして、停止直前に記録された短いデータ。
そこには、通常の管理命令とは異なる情報が含まれていた。
《照会結果:本人による拒否を確認》
《強制処理:実行せず》
「……おかしいな」
ヴィクターが顔を向けた。
「何がだ?」
「向こうは、少年を無理に操作しなかった。接続を試みたのに、拒否されたら引き下がった」
「単に、失敗しただけじゃないのか?」
「その可能性もある。だが、強制処理を実行しないよう、最初から設定されていたようにも見える」
ダニエルは、記録をリナへ送った。
『確認する。少し待って』
*
数分後、リナから返事があった。
『ダニエル、ひとつ気になることがある』
「何だ?」
『今回の照会には、第一被験者の状態を確認する処理と、拒否された場合に停止する処理がセットで入っていたの。強制接続の命令は見当たらない』
「つまり、誰かが少年の意思を確かめようとした?」
『そう考えることもできる。ただし、照会で取得できる情報は限られている。本人の意思を尊重する人間がやったとまでは言えないわ』
ダニエルは、先ほどマーティンから聞いた言葉を思い出した。
ジェームズは、誰かひとりの判断に最終制御を委ねることを避けようとしていた。
少年が拒否すれば、システムもそれを受け入れる。
その仕組みは、父親の考えに近い。
だが、父親の名前を使っている以上、意図的にそう見せかけている可能性もある。
「Ω-000の接続記録を、過去のものと比較できるか?」
『やってみる。前に見つけた記録と照合すれば、少しはわかるかもしれない』
ダニエルは通信を切り、ヴィクターを見た。
「侵入者のふたりは?」
「別室で拘束中だ。もう一度話を聞くか?」
「いや。まずは記録を確認する。相手が何を知っているのか、先に整理したい」
ヴィクターはうなずいた。
「以前より慎重になったな」
「同じ失敗を繰り返したくないだけだ」
ダニエルはカプセルの少年を振り返った。
「誰かを守るために、そいつの意思を無視したら意味がない」
ヴィクターは、何も言わなかった。
その言葉が、彼自身の父親との関係にも重なることを、ふたりとも理解していた。
*
やがて、リナから照合結果が届いた。
『ダニエル。過去の記録と一致したわ』
「何が?」
『Ω-000の接続方式よ。今回の照会には、ジェームズ・クロスの旧管理権限が使われている。でも、接続元の機器は三年前の記録に登録されているものとは違う』
「父さんの権限を、別の端末で使っている?」
『そう。正確には、権限情報を複製したものかもしれない。ただ、どこから取得されたのかはまだわからない』
ダニエルは目を閉じた。
これで少なくとも、ひとつの可能性が強まった。
ジェームズ本人が操作していると断定することはできない。
誰かが、父親の権限を利用している。
しかし、その人物は少年を強制的に目覚めさせようとはしなかった。
「リナ、今回の接続にメッセージは残っていないか?」
『通常のメッセージはない。でも、照会が停止した直後、旧サーバーに短い記録が追加されていた』
「見せてくれ」
端末に、一行の文字が表示された。
《本人の意思を確認。現段階での介入は不要》
ダニエルは、その文章を見つめた。
介入は不要。
それは、誰かが少年の意思を確認し、今は手を出さないと判断したということなのか。
それとも、別の段階に進むための準備なのか。
「……誰が書いた?」
『記録上は、Ω-000。でも、文章が追加された時点で認証が行われた形跡はない』
「自動処理か?」
『その可能性があるわ。誰かが以前に設定した条件に従って、システムが動いているのかもしれない』
ダニエルは端末を握りしめた。
父親が生きている証拠は、まだない。
だが、父親が残した仕組みが、今も動いている可能性はある。
それならば、確かめる方法はひとつだった。
ジェームズが残した最後の研究記録。
あの記録の中に、Ω-000の仕組みを解き明かす手がかりがあるかもしれない。
「リナ、さっきの記録媒体を調べる準備をしてくれ」
『マーティンが持っていたものね?』
「ああ。父さんが個人的に残した記録らしい。開く前に、危険がないか確認したい」
『わかった。隔離した環境を用意するわ』
ダニエルは通信を切った。
カプセルの中で、少年は静かに眠っている。
彼は、自分の意思で目覚めないことを選んだ。
そして、その選択はシステムに受け入れられた。
それが誰かの計画の一部だったとしても、少年自身の意思まで偽物になるわけではない。
ダニエルは、もう一度だけカプセルに目を向けた。
「……今度は、ちゃんと守る」
その言葉は、少年に向けたものだった。
同時に、三年前の自分自身への約束でもあった。
父親の名前を使う者が誰なのか。
その答えに近づくため、ダニエルはジェームズの最後の記録を開く決意を固めた。




