第46話 声の主
「発信元がわかったわ」
リナの声が、通信越しに響いた。
ダニエルは廃棄された研究棟の通路で足を止めた。
「どこだ?」
「施設の地下区画。旧医療研究棟の東側よ。ただし、現在のネットワークには接続されていない。音声は、侵入者の端末に直接保存されていたみたい」
「最初から、俺たちが端末を調べることまで想定していたのか」
「可能性は高いわね。発信者は、あなたに見つけてほしかったんじゃない?」
ダニエルは小さく息を吐いた。
罠かもしれない。
それでも、行かなければ何もわからない。
「リナ、俺の位置を追跡してくれ。異常があれば、すぐ知らせてほしい」
『了解。ただし、通信が途切れたら撤退して。約束よ』
「わかった」
通信を切ると、ダニエルは拳銃を確認した。
残弾は多くない。
無駄撃ちはできない。
彼は銃を構えたまま、薄暗い階段を下りていった。
*
地下区画の扉は、鍵がかかっていなかった。
押し開けると、かびた空気と古い機械の臭いが流れ出してきた。
室内には、停止した医療装置が並んでいる。
その奥に、ひとりの男が立っていた。
「来たか、ダニエル」
マーティン・クロスだった。
以前、少年のカプセルの前で対峙したときと同じ顔。
だが、今回は武器を持っていない。
ダニエルは銃口を下げなかった。
「さっきの音声は、あんたが送ったのか?」
「そうだ」
「なぜ、直接連絡しなかった?」
「今の私は、施設の通信網に接続できない。いや、正確には、接続すれば居場所を知られる」
「誰に?」
マーティンは答えず、背後の装置に目を向けた。
「まず、確認させてくれ。あの子はどうしている?」
「まだ眠っている。自分の意思でな」
マーティンの表情がわずかに緩んだ。
「そうか……」
その反応を、ダニエルは見逃さなかった。
「やっぱり、あんたはあの子を守ろうとしていたんだな」
「守ろうとしていた。だが、それだけではない」
「どういう意味だ?」
「私は、あの子を目覚めさせることが怖かったんだ」
マーティンは、近くの机に置かれた古い端末を起動した。
画面に表示されたのは、第一被験者の神経反応を記録したグラフだった。
「この子の脳には、ほかの被験者とは違う特徴がある。誰かの失われた記憶に触れると、その人自身が記憶を取り戻すきっかけを作ることがある」
「母さんから聞いた。記憶を作り出す能力じゃないんだろう?」
「そうだ。あくまで、本人の中に残っているものを呼び起こすだけだ」
マーティンはグラフを拡大した。
「だが、研究者たちはその働きを利用しようとした。複数の人間の記憶や判断を結びつければ、個人の迷いや対立を減らせると考えたんだ」
「CODE Ω……」
「最初は治療のためだった。失われた記憶を取り戻し、傷ついた神経を補助する。その目的自体が間違っていたわけではない」
マーティンは画面を閉じた。
「問題は、誰かがその技術を使って、人間の判断そのものを管理しようとしたことだ」
ダニエルは銃を構えたまま、男を見据えた。
「それで、あの子を眠らせていた?」
「違う。眠り続けることを選べる状態にしていたんだ。無理に目覚めさせれば、本人の意思を確認する前に神経接続が進む危険があった」
「なら、なぜ今まで黙っていた?」
「私が話せば、君は真実を知るために動くだろう。君が動けば、あの子との接続が再び強まるかもしれない」
マーティンは、まっすぐダニエルを見た。
「私は君を信用していなかった」
「……俺が、あの子を利用すると思ったのか?」
「君自身が利用するという意味ではない。君を通じて、誰かがあの子に接触する可能性があった」
ダニエルは黙った。
その懸念は、間違っていない。
ジェームズの記録を開いた直後、何者かが接触を試みてきた。
彼らはまだ、システムの外に出られていない。
「ひとつ聞く」
ダニエルは一歩近づいた。
「俺とあの子は、どうしてつながっている?」
マーティンは、すぐには答えなかった。
「正確な原因は、私にもわからない」
「また、それか」
「信じられないのは当然だ。だが、ジェームズも原因を特定できていなかった。少なくとも、私が最後に研究記録を確認した時点ではな」
マーティンは端末を操作し、ひとつの記録を表示した。
《第一候補・神経反応記録》
《第一被験者との同期:自然発生》
《人工的な接続操作:確認されず》
ダニエルは画面を凝視した。
「自然発生……?」
「研究者たちは、君とあの子を接続したわけではない。少なくとも、この記録ではそうなっている」
「じゃあ、俺たちの間に何があった?」
「そこから先は、記録がない」
マーティンは苦しそうに目を伏せた。
「君たちが幼い頃、ふたりの神経反応が連動していた。それは事実だ。だが、その理由を説明できる者はいなかった。研究者たちは原因を突き止めるより先に、その現象を利用することを考え始めた」
ダニエルは、ゆっくりと銃を下げた。
自分と少年がつながっていた理由。
それは、誰かが仕組んだ計画の結果ではないのかもしれない。
だが、偶然だったと決まったわけでもない。
わかっているのは、原因を知らないまま、ふたりの関係が研究の道具にされたということだけだった。
「……それで、あんたは何を諦めたんだ?」
ダニエルは、音声にあった言葉を思い出した。
父親が何を守ろうとし、何を諦めたのか。
マーティンは、その質問を待っていたように目を閉じた。
「ジェームズは、君を研究対象にしないと決めた。だが、君とあの子の接続を完全に切る方法は見つけられなかった」
「だから、俺の記憶を失わせたのか?」
「記憶を封じたのは、君の母親だ。ジェームズは、その判断を止められなかった」
マーティンは続けた。
「彼は最後まで、君が自分の意思で生きられる可能性を残そうとしていた。だが、君を守ることと、あの子を守ること。その両方を確実に実現する方法は見つからなかった」
「……父さんは、何を諦めた?」
マーティンは、答えを探すように視線を落とした。
「君にすべてを話すことだ」
ダニエルの眉が動いた。
「どういうことだ?」
「真実を知らせれば、君は自分が何者なのかを知ることができる。しかし同時に、CODE Ωが君を再び認証者として利用する危険もあった。ジェームズは、その危険を消せなかった」
「だから、黙っていた……」
「それが正しかったとは思わない。彼自身も、最後にはそう認めていたはずだ」
ダニエルは、父親の記録を思い出した。
『真実を隠したことは、間違いだった』
ジェームズは、自分の判断が完全ではなかったことを認めていた。
守るために隠す。
隠すことで、選ぶ機会を奪う。
その矛盾を、彼は最後まで解決できなかったのだ。
「マーティン。もうひとつ聞きたい」
「何だ?」
「さっきの音声で、父さんが何を諦めたのかと言ったな。なぜ、あんたがそれを俺に伝える?」
マーティンは、しばらく黙っていた。
やがて、部屋の奥にある小さな保管庫へ歩いていった。
「これを見てほしい」
保管庫から取り出したのは、古びた記録媒体だった。
表面には、手書きで文字が刻まれている。
《DANIEL CROSS》
その下に、もうひとつの名前があった。
《FIRST SUBJECT》
そして、その二つを結ぶように、短い一文が添えられていた。
《接続を切ることが、必ずしも救済とは限らない》
ダニエルは記録媒体を受け取った。
「これは何だ?」
「ジェームズが残した、最後の研究記録だ」
「さっき見た記録とは違うのか?」
「ああ。こちらは、システムの管理記録ではない。ジェームズが個人的に残したものだ。私は長い間、これを開くべきではないと思っていた」
「なぜ、今になって?」
マーティンは、ダニエルの目を見た。
「君が、あの子の意思を尊重したからだ」
ダニエルは言葉を失った。
「君は、目覚めさせることも、接続を切ることも強制しなかった。ジェームズが望んでいたのは、そういう判断ができる状況だったのだと思う」
マーティンは、記録媒体を指さした。
「ただし、ひとつだけ覚えておいてくれ。これを開けば、君自身についても、あの子についても、今までの理解が変わるかもしれない」
「……脅しているのか?」
「いや。選択する前に、知っておいてほしいだけだ」
ダニエルは記録媒体を握りしめた。
もう、誰かが用意した答えを選ぶつもりはない。
知らないことを、知らないままにしておく選択もある。
だが、今回は知る必要があると感じていた。
「わかった。持ち帰って調べる」
「ひとりで開くな」
マーティンが強い口調で言った。
「その記録は、君ひとりの問題ではない。リナにも見てもらえ。必要なら、ヴィクターにも立ち会ってもらうんだ」
ダニエルはうなずいた。
そのとき、リナの声が通信機から響いた。
『ダニエル、聞こえる? 施設で異常が起きたわ』
「何があった?」
『旧サーバーの一部が、外部からの接続を受けている。しかも、接続先が……』
一瞬、通信にノイズが走った。
『あなたたちが今いる研究棟よ』
ダニエルはマーティンを見た。
男の顔から、血の気が引いていた。
「……そんなはずはない」
マーティンは、急いで端末に駆け寄った。
画面には、ひとつの接続要求が表示されていた。
《接続元:Ω-000》
《認証名:JAMES CROSS》
そして、その下に新しい一行が追加された。
《要求内容:第一候補および第一被験者の接続状態を確認》
ダニエルは拳銃を構え直した。
「マーティン。これを知っていたのか?」
「知らない……。ジェームズが、まだ生きているというのか?」
その声には、演技ではない動揺があった。
だが、ダニエルはまだ信じなかった。
認証名が父親のものであることと、父親本人が操作していることは、同じではない。
画面の接続要求が、ゆっくりと点滅する。
誰かが、またふたりの状態を確かめようとしている。
ダニエルは記録媒体をポケットにしまった。
「リナ、接続を切れるか?」
『試している。でも、今までの管理者権限では止められない』
「なら、無理に切るな。接続先を特定してくれ」
彼はマーティンに向き直った。
「話の続きは、あとだ。まずは、あの子を守る」
マーティンは黙ってうなずいた。
ダニエルは階段へ向かって走り出した。
父親が何を諦めたのか。
その答えを知る前に、今度こそ守らなければならないものがある。
眠る少年の意思を、誰にも奪わせないために。




