↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Code Ω  作者: ニコル
PR
45/65

第45話 目覚めない理由


カプセルの前に戻ったダニエルは、少年の様子を確認した。


生命維持は安定。


神経活動にも大きな変化はない。


だが、モニターには新しい表示が出ていた。


《記憶反応:自発的回復》


《外部刺激:なし》


《覚醒意思:保留》


「保留、か……」


ダニエルがつぶやくと、リナが隣に立った。


「以前は、まだ目覚めたくないと明確に答えていた。今は、その回答を変えるかどうかも含めて、判断を保留しているみたい」


「何かあったのか?」


「旧記録サーバーの記録が再生された影響かもしれない。でも、本人が何を感じているかまでは、数値から読み取れないわ」


ダニエルはカプセルの透明な蓋に手を置いた。


「……聞こえるか?」


返事はない。


「父さんの記録を見つけた。お前を研究のために利用することには、反対していたらしい」


少年の指が、かすかに動いた。


ダニエルはその反応を見逃さなかった。


「お前が何者なのか、俺はまだ全部わかっていない。お前と俺が、どうしてつながっているのかもな」


一度、言葉を切る。


「でも、もう勝手に決めたりはしない。目覚めるかどうかも、ここを出るかどうかも、お前が決めていい」


波形がわずかに変化した。


リナが端末を確認する。


「反応が強くなった。何かを思い出しているのかもしれない」


ダニエルは、少年の顔を見つめた。


「……何を思い出した?」


その瞬間、モニターに文字が浮かんだ。


《音声応答:準備》


ダニエルは息を止めた。


少年の唇が、ゆっくりと動いた。


「……にい……」


かすれた声。


聞き間違いかと思った。


だが、もう一度、唇が動いた。


「……おにいちゃん……」


ダニエルの身体が固まった。


リナが驚いて彼を見た。


「今、聞こえた?」


「……ああ」


少年が、再び口を開いた。


「……どうして……」


声は小さく、途切れ途切れだった。


「どうして、僕を置いていったの……?」


ダニエルは答えられなかった。


その言葉を聞いた瞬間、頭の奥で何かが弾けた。


白い部屋。


床に落ちたパン。


小さな手を握りしめた自分。


そして、目の前で泣いている少年。


『迎えに来てね』


幼い自分は、確かにそう言われた。


いや、違う。


迎えに行くと約束したのは、自分だった。


施設の警報。


閉じていく扉。


少年の手をつかもうとして、届かなかった指先。


そして、自分は逃げた。


生き延びるために。


ダニエルは壁に手をついた。


「……そうだ」


声が震えた。


「俺は、お前を置いていった」


リナは何も言わなかった。


慰めることも、否定することもしなかった。


ダニエル自身が、その記憶と向き合う必要があるとわかっていたからだ。


「戻るつもりだった。でも、戻れなかった。いや……戻らなかった」


彼は少年を見つめた。


「ごめん」


それ以上、言い訳はしなかった。


「お前がどれだけ待っていたのか、俺にはわからない。でも、約束を破ったのは俺だ」


カプセルの波形が大きく揺れた。


警告音が鳴り、リナが画面を確認する。


「神経活動が急上昇している……! ダニエル、少し離れて!」


だが、ダニエルは動かなかった。


少年の唇が震えていた。


「……こわかった」


その一言が、ダニエルの胸をえぐった。


「……うん」


「ずっと、ひとりだった」


「……うん」


「でも……」


少年の声が途切れる。


波形が不安定になり、カプセルの表示が赤く点滅した。


リナが緊急制御を起動しようとした。


「このままだと神経反応が限界を超える!」


「待ってくれ!」


ダニエルは画面を見た。


《覚醒意思:未確定》


《記憶反応:急上昇》


システムは、少年の反応を覚醒の兆候として処理しようとしている。


だが、少年が望んでいるのは、本当に目覚めることなのか。


ダニエルはカプセルへ向き直った。


「無理に話さなくていい。今、全部思い出す必要もない」


少年の波形が、わずかに落ち着いた。


「俺はここにいる。今度は、お前の返事を待つ」


リナが緊急制御の手を止めた。


画面の数値は少しずつ安定していく。


やがて、少年の唇が再び動いた。


「……おにいちゃん……」


「……ああ」


「……今度は……いなくならない?」


ダニエルは目を閉じた。


簡単に約束できる言葉ではなかった。


敵はまだいる。


CODE Ωも止まっていない。


自分がこの先どうなるのかさえ、わからない。


それでも。


「俺は、ここに戻ってきた」


ダニエルは静かに答えた。


「これからも、お前をひとりにしないために戦う。何が起きても、勝手にお前の未来を決めたりしない」


少年の指が、もう一度動いた。


そして、モニターに文字が表示された。


《意思反応:安定》


《覚醒意思:保留を継続》


リナが、ほっと息を吐いた。


「……反応が落ち着いたわ」


ダニエルはうなずいた。


少年は、まだ目覚めないことを選んだ。


だが、それは以前のような拒絶とは違っていた。


誰かに見捨てられることを恐れながら、目覚めることも怖がっている。


その両方の気持ちを抱えたまま、少年は答えを保留した。


それもまた、本人の選択だった。


*


「ダニエル」


カプセルから離れたところで、リナが声をかけた。


「あなたは、あのときのことを思い出したのね」


「ああ」


「全部?」


「いや。断片的だ。何が起きたのか、まだわからない部分もある」


ダニエルは自分の手を見つめた。


「でも、ひとつだけはっきりした。俺は、ただ連れ去られたわけじゃない。自分で逃げることを選んだ」


「それは、あなたが生きるための選択だった」


「そうかもしれない。でも、あいつをひとりにした事実は変わらない」


リナは少し考えてから言った。


「自分の選択に責任を持つことと、自分を一生責め続けることは違うわ」


ダニエルは彼女を見た。


「……わかってる」


「本当に?」


「努力する」


リナは小さく笑った。


「それならいいわ」


そのとき、ヴィクターが通路から戻ってきた。


「感動の時間を邪魔して悪いが、外の連中について報告がある」


ダニエルの表情が引き締まった。


「何がわかった?」


「拘束した二人の端末を調べた。所属を示す情報は削除されていたが、任務内容の一部が残っていた」


「少年の状態確認か?」


「それだけじゃない。旧記録サーバーからデータが再生された場合、その内容を記録するよう指示されていた」


リナが顔を上げた。


「つまり、あの記録が再生されることを知っていたの?」


「少なくとも、可能性は想定していたらしい」


ダニエルは考え込んだ。


ジェームズの記録を、誰かが監視している。


それが、記録を再生させた相手なのか。


それとも、別の目的で監視しているだけなのか。


まだ判断できない。


「ほかには?」


ヴィクターは端末を見せた。


「任務の最後に、ひとつだけ命令が残っていた」


画面には、短い文章が表示されていた。


《第一候補が記録を閲覧した場合、接触を試みること》


ダニエルの目が細くなった。


「接触……?」


「そうだ。拘束した男は、相手が誰なのかは知らないと言っている。ただ、接触方法だけは指示されていた」


「どんな方法だ?」


ヴィクターは画面を下へスクロールした。


そこには、短い音声ファイルが添付されていた。


リナが再生する。


ノイズの混じった音声が流れた。


『ダニエル。記録を見たなら、次は私の話を聞いてほしい』


ダニエルは息を止めた。


聞き覚えのある声。


だが、すぐには思い出せない。


音声は続いた。


『ジェームズの記録だけでは、真実の半分にも届かない。君の父親が何を守ろうとしたのか、そして、何を諦めたのか。それを知りたければ、ひとりで来てほしい』


そこで音声は終わった。


リナがすぐに言った。


「罠よ。ひとりで来いなんて、従う必要はない」


「わかってる」


ダニエルは端末を見つめた。


「だが、声は無視できない」


「知っている声なの?」


「ああ……たぶんな」


彼はもう一度、音声を再生した。


今度は、声の低さや息継ぎの癖まで注意して聞いた。


そして、ひとつの名前が頭に浮かんだ。


「……マーティン」


ヴィクターが顔を上げた。


「少年のそばにいた、あの男か?」


「声が似ている。でも、確信はない」


マーティンは、第一被験者を守ろうとしていた。


それなのに、なぜ今になってダニエルへ接触しようとするのか。


彼は何を知っているのか。


そして、なぜ直接ではなく、侵入者を使って連絡してきたのか。


ダニエルは端末をポケットへしまった。


「ヴィクター。少年を頼む。リナは、この音声の発信経路を調べてくれ」


「あなたは?」


「マーティンが本当に発信者なのか、確認する」


リナはすぐに首を振った。


「ひとりでは行かせない」


「罠かもしれないからこそ、こちらも準備する。正面から相手の要求に従うつもりはない」


ダニエルは拳銃の残弾を確認した。


「接触場所も、方法も、こちらで決める」


今度は、相手の用意した選択肢に従うつもりはなかった。


少年の意思を守るために。


そして、父親が残した真実を知るために。


ダニエルは、自分の足で次の一歩を踏み出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。