第44話 父が残した答え
旧記録サーバーの前に、ダニエルたちは再び集まっていた。
《解除手順:閲覧可能》
画面に表示された文字は、変わっていない。
だが、その下には新しい項目が追加されていた。
《閲覧条件:第一候補による意思確認》
「これ、どうやって確認するの?」
リナが首を傾げた。
「さっきの認証拒否が、条件を満たしたんじゃないか?」
「可能性はある。でも、閲覧許可が出た理由まではわからない。普通なら、管理者認証が必要な記録よ」
ダニエルは端末の前に座った。
「読めるなら、読む。それだけだ」
「中身が安全だとは限らないわ」
「わかってる。だから、お前に監視してもらう」
リナは少しだけ表情を緩めた。
「最初からそう言えばいいのに」
彼女は端末を接続し、記録を読み取り専用で開いた。
画面が切り替わる。
そこには、技術資料と手書きのメモが並んでいた。
ジェームズの筆跡だった。
『最終制御系は、単独の管理者によって停止できる構造にしてはならない』
ダニエルは読み進めた。
『一人の人間にすべての権限を与えれば、その人間が誤った判断をしたとき、システム全体が同じ誤りを繰り返す。複数の意思を接続することは、支配のためではなく、ひとつの判断に依存しないために必要だった』
「……最初は、そういう考えだったのか」
アランが静かに言った。
「ジェームズとエレナは、神経回路の研究を通じて、失われた記憶を回復させる方法を探していた。ひとつの判断に頼らず、複数の観測結果を使うことも、その研究の一部だった」
「それが、いつから変わった?」
「研究の成果が、人間の判断そのものを再現できると考えられ始めた頃だ」
アランは画面を見つめた。
「記憶を呼び起こす技術と、他人の判断を再現する技術は違う。だが、成果を急ぐ者たちは、その違いを小さく扱うようになった」
ダニエルは資料をスクロールした。
そこには、三つの項目が記されていた。
《第一被験者:記憶反応の誘発》
《第一候補:神経認証》
《第六号:複数人格データの統合》
その横には、ジェームズの手書きで短い言葉が残されていた。
『同じものではない。混同するな』
ダニエルは目を細めた。
「第一被験者の能力を再現するために、第六号を作った。でも、同じものにはならなかった」
「そうね」とリナが答えた。「少年は他人の記憶を無理やり取り込ませるわけじゃない。失われた記憶に触れるきっかけを作る。一方、第六号は複数の神経データを統合するために設計された」
「だから、人格統合に失敗したのか」
「その可能性が高い。データを集めることと、ひとつの人格として生きることは別だから」
ダニエルは第六号の記録を見つめた。
カイは、まだ第六号の内部にいる。
彼自身の声を取り戻しつつあるとはいえ、問題が解決したわけではない。
第六号もまた、自分がなぜ存在するのかを知ろうとしていた。
彼らを単純に切り離せば済む話ではない。
「ジェームズは、第六号をどうするつもりだったんだ?」
アランは答えなかった。
代わりに、画面の別の項目を指さした。
《最終制御系:分離条件》
その項目には、三つの条件が並んでいた。
第一被験者の意思を確認すること。
第一候補の認証を強制的に復旧させないこと。
そして、統合された人格データを、本人の意思に反して上書きしないこと。
ダニエルは画面を見つめた。
「……これが、父さんの考えていた停止条件か」
「正確には、強制的な制御を解除するための条件ね」
リナが説明した。
「ただし、これだけではCODE Ω全体を停止できるとは限らない。ここに書かれているのは、最終制御系の分離についてよ」
「つまり、システムの一部を止められても、外部に広がった機能までは止まらない」
「そういうこと」
ダニエルはうなずいた。
期待していたほど簡単な答えではなかった。
だが、必要な情報は手に入った。
CODE Ωを止めるには、単に中枢を破壊すればいいわけではない。
誰かの人格を犠牲にしてもいけない。
そして、第一被験者の意思を、システムの都合で利用してはならない。
ジェームズは、そのための道筋を残していた。
「次の記録は?」
ダニエルが尋ねると、リナは画面を確認した。
「まだあるわ。ただし、ここから先は閲覧条件が違う」
《記録名:第一候補への説明》
《閲覧条件:本人による選択》
ダニエルは眉を寄せた。
「また選択か」
「でも、今度はさっきと違うみたい。選択肢を選ばせて認証を復旧する仕組みは見当たらない」
「何を選ぶんだ?」
リナが画面を開いた。
表示されたのは、二つの項目だった。
《記録を読む》
《記録を保留する》
ダニエルはしばらく黙っていた。
どちらを選んでも、認証の復旧は行われない。
期限もない。
選択を強制する警告も表示されていない。
「……これは、本当に俺に選ばせているんだな」
「そう見えるわ」
ダニエルは迷わず、《記録を読む》を選んだ。
画面が暗くなり、音声が流れ始めた。
『ダニエル。もし君がこの記録を聞いているなら、私は君に直接話せなかったのだろう』
ジェームズの声だった。
先ほどの研究記録とは違い、彼はカメラを見ていなかった。
机の上に置かれた資料を見ながら、ゆっくりと話している。
『君に謝らなければならないことがある』
ダニエルの呼吸が浅くなった。
『私は、君を研究対象にしないと決めた。だが、それだけでは君を守れなかった。君の神経認証は、君が生まれたときから、第一被験者との間に通常では説明できない反応を示していた』
ダニエルは拳を握った。
『私は、その原因を調べようとした。だが、研究を続けるほど、君自身をシステムに利用しようとする者が増えていった。私は君を遠ざけようとしたが、すべての記録を消すことはできなかった』
映像の中で、ジェームズは長い沈黙を置いた。
『そして、私は間違えた。君に何も知らせないことが、君を守ることになると思った』
ダニエルは目を閉じた。
アランが隠していた真実。
エレナが封じた記憶。
ジェームズが残した記録。
誰もが、ダニエルを守ろうとしていたのかもしれない。
だが、守るために真実を隠した結果、彼は自分の過去を知らないまま、システムに利用されるところだった。
『ダニエル。君がこれから何を選ぶのか、私は決められない。父親だからといって、君の人生を決める権利があるわけではない』
ジェームズの声が、少しだけ震えた。
『だから、これだけは伝えておく。君が第一被験者と出会った理由を、私は知らない。君たちの反応がなぜ結びついたのかも、完全には説明できなかった。私は研究者だったが、すべてを理解していたわけではない』
ダニエルは画面を見つめた。
父親は、答えを持っていたわけではなかった。
すべてを計画していたわけでもない。
わからないことを、わからないまま残していた。
『もし、第一被験者がまだ眠っているなら、どうか急がせないでほしい。あの子は、私たちの研究のために生きているわけではない』
ジェームズは、そこで初めてカメラを見た。
『そして、もし君が私を探しているなら……』
音声が途切れた。
リナがすぐに解析を始める。
「待って。最後の部分、データが破損しているわけじゃない」
「どういうことだ?」
「音声の続きを記録する領域そのものがない。最初から、ここで終わるように作られている」
ダニエルは画面を見つめた。
父親は、自分の行方を伝えようとしたのか。
それとも、別の何かを伝えようとしたのか。
その答えは、ここにはなかった。
だが、最後の音声を聞いたことで、ひとつだけ確かなことがあった。
ジェームズは、すべてを知っていたわけではない。
彼もまた、わからないことを抱えながら、できる限りのことをしようとしていた。
ダニエルは静かに息を吐いた。
「……父さんも、間違えたんだな」
アランが答えた。
「そうだ。ジェームズは優秀な研究者だった。だが、完璧な人間ではなかった」
「なら、俺も父さんの計画をそのまま引き継ぐつもりはない」
ダニエルは立ち上がった。
「使えるものは使う。間違っていると思ったら、変える。それだけだ」
リナが微笑んだ。
「ようやく、あなたらしい答えが出たわね」
そのとき、カイから通信が入った。
ノイズの混じった声が、端末から聞こえてくる。
『……ダニエル。聞こえるか』
「カイ! 状態はどうだ?」
『問題ない、と言いたいところだが……そうでもない』
声の奥に、別の気配が混ざった。
第六号だった。
『旧記録サーバーのデータを確認した』
ダニエルは表情を引き締めた。
「どうやって?」
『お前たちが接続を切り離す前に、記録の一部がネットワークに流れた。すべてではない。だが、必要な部分は見た』
「何がわかった?」
短い沈黙。
『俺とカイを切り離す方法がある』
ダニエルは息を止めた。
『ただし、今すぐ実行すれば、どちらかの記憶が失われる可能性が高い』
「どちらか、だと?」
『完全に分離するには、統合されたデータを整理しなければならない。だが、俺とカイの記憶はすでに混ざっている。どこまでが誰の記憶なのか、正確には判別できない』
カイの声が割り込んだ。
『だから、今はやるな。俺はまだ、自分が何を覚えているのか、全部わかっていない』
ダニエルは目を閉じた。
またひとつ、簡単には解決できない問題が見つかった。
だが、今度は違う。
カイも第六号も、自分たちの状態を理解し、選ぼうとしている。
ダニエルが勝手に決める必要はない。
「わかった。今は分離しない。お前たちが自分で判断できるようになるまで、方法を探す」
『……助かる』
カイの声が、少しだけ柔らかくなった。
その直後、第六号が静かに言った。
『ダニエル。ひとつ聞きたい』
「何だ?」
『もし、俺が人間ではないとしても……俺が選んだことに、意味はあるのか?』
ダニエルはすぐには答えなかった。
人工的に作られた人格。
人間の記憶を使って生まれた存在。
それでも、彼は自分がなぜ存在するのかを知りたがっている。
「お前が何から作られたのかと、お前が何を選ぶのかは、別の話だ」
ダニエルは言った。
「誰かに作られたからって、誰かの命令だけで生きなきゃいけないわけじゃない。少なくとも、俺はそう思う」
通信の向こうで、長い沈黙が続いた。
やがて、第六号が答えた。
『……その答えを、もう少し考えてみる』
通信が切れた。
ダニエルは端末を置いた。
父親が残した答えは、すべての問題を解決してくれるものではなかった。
むしろ、これから自分たちが決めなければならないことを、はっきりさせただけだった。
それでいい。
誰かが正解を決めてくれる必要はない。
自分たちで考え、選び、その結果を引き受ける。
それが、ジェームズが最後に伝えたかったことなのかもしれない。
ダニエルは、少年のいるカプセルへ向かった。
今度は、少年の答えを聞くために。
そして、誰かが用意した正解ではなく、自分たち自身の未来を選ぶために。




