第40話 眠る少年の選択
施設へ戻る車内で、ダニエルは何度も父親の音声記録を聞き直していた。
『二人とも、ただの子どもなんだ』
ジェームズ・クロスは、そう言った。
研究者としてではなく、父親として。
少なくとも、あの記録からはそう聞こえた。
「聞きすぎても、消えた部分は戻らないわよ」
隣に座るリナが言った。
「わかってる」
「なら、少し休んだら?」
「無理だな。ようやく父親の手がかりが見つかったんだ」
リナは、それ以上何も言わなかった。
代わりに、手元の端末をダニエルへ向けた。
「さっきの記録について、気になることがあるの」
画面には、音声データの解析結果が表示されていた。
「最後の部分、単なるデータ破損じゃない。誰かが意図的に切り取っている可能性がある」
「復元できるか?」
「元データがなければ難しい。でも、最後に記録された音声の前後に、通常の音声ファイルにはない神経信号が混ざっていた」
ダニエルは眉を寄せた。
「神経信号?」
「記憶データを保存するときに使われる形式に似ている。ジェームズは、音声だけじゃなく、何か別の情報も一緒に残していたのかもしれない」
「それがあれば、父親の行方もわかる?」
「可能性はある。でも、今はまだ断定できない」
ダニエルは窓の外へ目を向けた。
手がかりは増えている。
それでも、真実に近づくほど、わからないことも増えていく。
だが、今度は焦らない。
誰かが用意した答えに飛びつくのではなく、確かなものをひとつずつ積み上げていく。
それが、今の自分にできることだった。
*
地下三階に戻ると、ヴィクターが入口で待っていた。
「遅かったな」
「そっちに異常は?」
「外部からのアクセスが増えている。だが、今のところ施設内への侵入はない」
ヴィクターはダニエルの後ろにいるアランを見た。
「そいつも連れてきたのか」
「必要な話が残っている」
「逃げ出したら?」
「そのときは、お前が止めろ」
「了解」
ヴィクターはアランの腕を軽くつかみ、壁際へ誘導した。
乱暴ではないが、逃がすつもりもない。
ダニエルとリナはカプセルへ向かった。
少年は変わらず眠っていた。
しかし、監視端末の数値は、出発前とは違っていた。
リナが画面を確認する。
「記憶反応が少し上がってる。危険なレベルではないけど、一定の周期で同じ反応を繰り返しているわ」
「何に反応している?」
「わからない。外部からの刺激は検知されていない」
ダニエルはカプセルのそばへ立った。
「……聞こえるか?」
返事はない。
「父さんの記録を見つけた。お前を守ろうとしていたみたいだ」
少年の指が、かすかに動いた。
リナが画面を確認する。
「今、反応した」
ダニエルは続けた。
「まだ、何もわかっていない。でも、お前が何者なのかを勝手に決めるつもりはない」
波形がゆっくりと変化した。
カプセルの画面に、短い文字が浮かぶ。
《音声入力:認識》
ダニエルは息を止めた。
「お前が目覚めたいと思うなら、俺たちはそのための方法を探す。まだ眠っていたいなら、それも尊重する」
しばらくして、画面に新しい文字が表示された。
《意思確認:待機》
リナが驚いたように顔を上げた。
「これ……システムが、本人の意思を確認しようとしている」
「前にも似た反応があったな」
「ええ。でも、今回は違う。覚醒手順を進めるためじゃない。本人の意思が確認されるまで、次の処理を止めている」
ダニエルはカプセルを見つめた。
「……お前が決めていいんだ」
その言葉を聞いたかのように、少年の波形が一瞬だけ強くなった。
そして、画面に文字が現れた。
《第一被験者:意思反応を確認》
《回答:まだ、眠っていたい》
ダニエルは目を閉じた。
少年は、まだ目覚めないことを選んだ。
それは以前にも示された意思だった。
だが、今回は少し違う。
システムが、その選択を正式な回答として受け入れている。
「よかった……」
リナが小さくつぶやいた。
「少なくとも、誰かに無理やり目覚めさせられる状態ではなくなった」
ダニエルはうなずいた。
「これで、少しは時間が稼げる」
そのときだった。
カプセルの画面が赤く点滅した。
《外部接続要求》
《接続元:不明》
リナが端末を操作する。
「また来た……! 今度はカプセルへの直接接続よ!」
「切れるか?」
「やってみる!」
画面に複数の認証要求が流れた。
外部からの接続は、施設の通常回線を通っていない。
別の経路を使い、カプセルの制御系へ直接アクセスしようとしている。
リナは防御プログラムを起動した。
しかし、接続要求は止まらなかった。
「この接続、管理者権限を要求している……!」
「誰の権限だ?」
「識別番号は……Ω-000」
ダニエルの表情が変わった。
旧記録保管室で、出生記録を消そうとした存在と同じ番号だった。
「拒否できるか?」
「拒否している。でも、向こうは別の認証経路を次々に使ってくる!」
ヴィクターが駆け寄った。
「物理的に切るか?」
「待って。カプセルの電源まで落ちる可能性がある!」
ダニエルは画面を見つめた。
このままでは、少年の意思とは関係なく、外部から覚醒処理を進められるかもしれない。
だが、強引に接続を切れば、少年の神経活動を傷つける危険がある。
どうするべきか。
そのとき、ダニエルは画面の端に、ひとつの項目を見つけた。
《第一被験者:意思確認済み》
その下には、接続要求とは別の処理が表示されていた。
《本人の意思による接続拒否:有効》
ダニエルはリナを見た。
「外部接続を拒否する権限は、あの子自身が持っているんじゃないか?」
リナはすぐに画面を確認した。
「……そうか。以前、本人の意思で覚醒を停止したとき、システムがその選択を認めている。なら、外部からの接続も、本人の意思を根拠に拒否できるかもしれない」
「試せるか?」
「危険はある。でも、今のまま放置するよりは可能性がある」
ダニエルはカプセルに手を置いた。
「聞こえるか?」
画面の波形が反応する。
「外から、お前を無理に動かそうとしているやつがいる。俺たちは止めようとしているが、完全には防げない」
ダニエルは静かに続けた。
「もし嫌なら、拒否していい。誰かに言われたからじゃない。お前自身が、そうしたいと思うなら」
数秒後。
カプセルの画面に、文字が表示された。
《外部接続:拒否》
《理由:本人の意思》
接続要求が、一斉に消えた。
リナが目を見開いた。
「全部、切れた……!」
施設内の警報が止まる。
カプセルの波形も、ゆっくりと安定していった。
ダニエルは長く息を吐いた。
少年は、自分の意思で自分を守った。
まだ眠ったままでも、何もできないわけではない。
「よくやった」
ダニエルは小さく言った。
そのとき、カプセルの画面に、もうひとつの表示が浮かび上がった。
《接続要求元:Ω-000》
《拒否を受理》
その下に、短いメッセージが現れる。
《……そうか。まだ、自分で選べるんだな》
ダニエルは画面を見つめた。
この言葉を書き残したのは誰なのか。
敵なのか。
それとも、少年の意思を守ろうとしている誰かなのか。
答えはまだわからない。
ただひとつ、確かなことがあった。
Ω-000は、少年の意思を無視して接続を強制したわけではなかった。
最後には、拒否を受け入れていた。
ダニエルはその文字を、しばらく見つめていた。
そして、静かに拳銃をホルスターへ戻した。
「……まだ、話し合える相手かもしれないな」
リナは答えなかった。
彼女もまた、画面に残った短い言葉を見つめていた。
《まだ、自分で選べるんだな》
それは、誰かの願いのようにも聞こえた。
そして、遠く離れた別の場所で。
暗い部屋のモニターを見つめていた男が、ゆっくりと目を閉じた。
「……よかった」
その声を聞く者はいなかった。
男は画面を消した。
表示されていたのは、ひとつの名前。
《第一被験者》
そして、その隣には、もうひとつの名前があった。
《ダニエル・クロス》
男は小さくつぶやいた。
「今度こそ、誰にも選ばせるな」
暗闇の中で、モニターの電源が落ちた。




