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Code Ω  作者: ニコル
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29/65

第29話「六人目の子ども」


「……お母さん?」


地下三階へ続く扉の向こうから、幼い声が聞こえた。


ダニエルは、銃を構えたまま動けなかった。


その声を知っている。


いや、知っているはずがない。


三年前の記憶を取り戻しても、あの声の持ち主だけは思い出せなかった。


「アラン。あれは誰だ?」


「自分の目で確かめろ」


「質問に答えろ」


ダニエルが銃口を向けると、アランは両手をゆっくりと上げた。


「私を撃つのは構わない。だが、その前に考えろ。お前が本当に知りたいのは、私の罪か? それとも、お前自身が何をしたのか、だろう?」


ヴィクターがアランの背後へ回った。


「妙な動きをしたら撃つ」


「三年前から変わらないな、ヴィクター」


「俺を知ったような口で呼ぶな」


「君の父親から、何度も話を聞いている」


「黙れ」


ヴィクターの声に怒りが混じった。


アランは、それ以上何も言わなかった。


ダニエルは扉の向こうを見つめた。


「行こう」


リナが彼の隣に立つ。


「私も行く」


「危険かもしれない」


「だから何?」


リナは彼を見た。


「また私を置いていくつもり?」


ダニエルは苦笑した。


「……わかった。一緒に行こう」


三人は、地下三階へ足を踏み入れた。


     *


階段の先には、奇妙な部屋があった。


中央に置かれたのは、一台の小さなベッド。


周囲には、使われていない医療機器が並んでいる。


壁には子どもの身長を測った跡が残っていた。


その横に、鉛筆で書かれた名前がある。


ダニエル。


リナ。


ヴィクター。


カイ。


そして、最後の一つ。


名前はなかった。


代わりに、数字が書かれていた。


6


「ここは……子どものための施設だったの?」


リナがつぶやいた。


アランは部屋の奥にある端末を操作した。


古い映像が再生される。


白衣を着たエレナが、幼いダニエルの手を引いて歩いていた。


その後ろには、四人の子どもたちがいる。


リナ、ヴィクター、カイ。


そして、顔の見えないもう一人。


「この映像は、事故の数年前に撮影されたものだ」


アランが説明した。


「五人の候補者は、当初からCODE Ωの実験対象だったわけではない。神経損傷を治療するための研究で、彼らは互いの脳波に特異な反応を示した」


「特異な反応?」


ダニエルが尋ねた。


「一人の神経活動が変化すると、離れた場所にいる別の子どもの脳波にも変化が現れた。偶然にしては、あまりにも再現性が高かった」


リナが映像を見つめる。


「それを利用して、神経ネットワークを作ったのね」


「そうだ。だが、研究者たちは一つの問題を見落としていた」


「何を?」


「情報を共有することと、人格を共有することは違う。彼らの神経活動をつなげれば、互いに理解し合えると考えた。しかし、実際には別々の人格が、互いの感情や記憶に干渉し始めた」


ダニエルは、壁の数字を見た。


「それで、六人目が必要になったのか?」


アランは、すぐには答えなかった。


「六人目は、最初から子どもとして存在していたわけではない」


「どういうことだ?」


「五人のデータを統合するために作られた人工人格。それが、当初の第六号だった」


「なら、さっき聞こえた声は何だ?」


アランはベッドの方を見た。


「そこが問題なんだ」


その瞬間、ベッドの脇にある小さな端末が点灯した。


画面には、一人の少年が映し出された。


年齢は十歳ほど。


黒い髪。


青い瞳。


どこか、ダニエルに似た顔立ちだった。


少年は画面越しに、ダニエルを見つめた。


「……ダニエル?」


ダニエルは息を止めた。


その声は、記憶の中に残っていた。


三年前。


研究室の奥で、誰かが自分を呼んでいた。


何度も。


何度も。


しかし、顔だけが思い出せなかった。


「お前は……誰なんだ?」


少年は悲しそうに笑った。


「ひどいな。僕のこと、忘れちゃったの?」


その言葉に、ダニエルの頭が激しく痛んだ。


断片的な映像がよみがえる。


窓のない部屋。


二人で分けたパン。


夜中に交わした約束。


そして、閉まる扉。


『ダニエル、迎えに来てね』


幼い自分が、誰かに向かって叫んでいる。


『絶対に迎えに行くから!』


ダニエルは、よろめきながら壁に手をついた。


「……そんなはずはない」


リナが彼の肩を支える。


「ダニエル、どうしたの?」


「俺は……こいつを知っている」


少年は画面に手を伸ばした。


「やっと思い出してくれたんだね」


アランが端末を見つめた。


その顔には、初めて動揺が浮かんでいた。


「あり得ない……」


「何がだ?」


ヴィクターが銃口を向ける。


アランは答えなかった。


少年が口を開いた。


「ねえ、ダニエル。僕は、ずっと待っていたんだよ」


画面が一瞬乱れる。


《第六号:独立人格を確認》


《保存記録との不一致を検出》


《警告:人格情報の出所を特定できません》


リナが端末を操作した。


「待って。この映像、さっきの第六号とは別の信号よ」


「別の信号?」


「ええ。中央制御室で起動した第六号は、候補者たちの記憶を取り込んで生まれた人格。でも、この少年の記録は、それより古い」


彼女は画面を見つめた。


「少なくとも、三年前の事故より前から存在していたみたい」


ダニエルは少年に向き直った。


「お前が、本当の六人目なのか?」


少年は首を横に振った。


「わからない」


「わからない?」


「僕は、自分が誰なのかも、どうしてここにいるのかも、よく覚えていないんだ」


少年は目を伏せた。


「でも、ダニエル。ひとつだけ覚えていることがある」


「何だ?」


「僕をここに残したのは……」


突然、映像が停止した。


画面に赤い警告が走る。


《外部からの強制停止命令》


《記録消去まで残り10秒》


「誰かがデータを消そうとしてる!」


リナがキーボードを叩いた。


「止められない……管理者権限が拒否されている!」


ダニエルは端末に駆け寄った。


「おい! まだ話は終わってない!」


少年の映像が、ゆっくりと消えていく。


最後に、彼はダニエルを見つめた。


「ダニエル……」


その瞳から、一筋の涙が流れた。


「今度は、僕を忘れないで」


画面が暗転した。


部屋に静寂が戻る。


ダニエルは、拳を握りしめていた。


少年が誰なのか、まだわからない。


だが、ひとつだけ確かなことがあった。


自分は三年前、誰かを救うと約束した。


そして、その約束を忘れてしまった。


「……アラン」


ダニエルは振り返った。


「今の少年は何者だ?」


アランは長い沈黙のあと、答えた。


「私にもわからない」


「嘘をつくな」


「嘘ではない。あの記録は、私が研究施設を離れたあとに作られている」


「誰が作った?」


アランは、壁に刻まれた数字を見た。


6。


「……エレナだ」


その瞬間、リナの端末が震えた。


消去されたはずの記録の一部が、復元されていた。


そこには、エレナが残した音声ファイルが一つだけあった。


再生すると、彼女の声が響いた。


『もし、この記録をダニエルが聞いているなら……私は、あの子を守れなかったということね』


短い沈黙。


『あの子は、第六号ではない』


ダニエルの顔から血の気が引いた。


『あの子こそが、最初の被験者だったの』


音声はそこで途切れた。


リナが小さくつぶやく。


「最初の……被験者?」


ダニエルは、空になったベッドを見つめた。


そこに誰が眠っていたのか。


なぜ自分は、その存在を忘れてしまったのか。


そして、なぜエレナは、彼を第六号と区別していたのか。


答えはまだ、闇の中にある。


だが、ダニエルはもう一つのことにも気づいていた。


少年が消える直前、彼は「今度は」と言った。


つまり、過去にも一度、ダニエルは彼を忘れている。


そして今度もまた、誰かがその記憶を消そうとしている。


ダニエルは端末を握りしめた。


「もう二度と、忘れない」


その言葉に応えるように、暗い部屋の奥で、使われていないはずのカプセルが静かに動き始めた。


内部のモニターに、文字が浮かび上がる。


《第一被験者:覚醒準備》


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