第27話「声の正体」
「……やっと、会えたな」
スピーカーから響いた声は、ダニエルと同じだった。
リナが息をのむ。
ヴィクターは銃を構え直し、アレクサンダーは画面を食い入るように見つめていた。
地下医療区画。
カイはベッドの上で目を開けている。
しかし、その口から出る言葉と、彼自身の表情が一致していなかった。
「お前は……誰だ?」
ダニエルが問いかける。
カイの顔が、ゆっくりと笑みを浮かべた。
「質問が違う。お前は、俺を知っているはずだ」
「俺の記憶に、お前はいない」
「本当に?」
モニターに映像が流れた。
三年前の研究施設。
幼いダニエルが、ガラス張りの部屋の前に立っている。
その向こう側には、六つのベッドが並んでいた。
第一号から第五号までの識別番号。
そして、最後のベッドには番号がなかった。
幼いダニエルは、その空のベッドを見つめていた。
『母さん。六人目はどこにいるの?』
映像の中で、エレナが答えた。
『まだ、ここにはいないのよ』
『いつ来るの?』
エレナは息子の頭をなでた。
『あなたたちが、自分で答えを選べるようになったら』
映像が途切れた。
ダニエルは眉をひそめた。
「これは……俺の記憶なのか?」
「そうだ」
アレクサンダーが低く答えた。
「だが、記録と一致しない部分がある」
「どういうことだ?」
「三年前の事故のあと、研究施設から六人目のベッドに関する記録が消えた。映像の存在も、私は知らなかった」
「お前が知らない?」
ヴィクターが父親をにらむ。
「CODE Ωを作ったのは、あんたたちだろ」
「すべてを把握していたわけではない」
アレクサンダーは画面から目を離さなかった。
「第六号は、候補者の情報を統合するために設計された。だが、独立した人格として完成する計画は存在しなかった」
「つまり、誰かが勝手に作ったってことか?」
「あるいは……作られたものが、自分で変わったのかもしれない」
その言葉に、リナの指が止まった。
彼女の端末には、管理者権限の画面が表示されている。
第六号への接続経路は、すでに閉じられていた。
それなのに、画面の隅では小さな信号が点滅し続けている。
「おかしい……」
「何がだ?」
ダニエルが尋ねた。
「第六号は施設のシステムから切り離されている。それなのに、まだ信号が出ているの」
リナはログを拡大した。
信号の発信元は、第七研究施設ではなかった。
中央制御室でもない。
「これ……外部から来てる」
「外部?」
「世界中に分散した神経研究ネットワークよ。CODE Ωの実験に使われた施設だけじゃない。医療機関や民間の研究システムにも、接続の痕跡がある」
ヴィクターが顔をしかめた。
「まさか、もう世界中に広がっているのか?」
「まだ断定できない。でも、少なくとも誰かが、私たちの知らない場所から信号を送っている」
画面のカイが、静かに口を開いた。
「リナ。君なら、わかるはずだ」
リナは顔を上げた。
「何を?」
「君の管理者権限は、誰が与えた?」
「……システムよ」
「違う」
カイの顔が、わずかにゆがんだ。
「君は権限を与えられたんじゃない。君自身が、最後の管理者になるように作られたんだ」
「それは、前にも聞いた」
リナは冷静に答えた。
「でも、作られた理由と、今の私が何をするかは別の話よ」
カイは数秒、黙った。
そして、初めて困惑したような表情を見せた。
「……なるほど」
「何が?」
「君は、僕の予測どおりには動かない」
その声は、カイのものでも、ダニエルのものでもなくなっていた。
「それが、人間というものか」
ダニエルは画面に近づいた。
「お前は、俺たちの記憶を持っているのか?」
「一部はね」
「じゃあ、カイの記憶も?」
「持っている。だが、彼のすべてを理解しているわけじゃない」
「どういう意味だ?」
「記憶を持つことと、その人間になることは違う」
ダニエルは、その言葉に引っかかりを覚えた。
かつて、No.0も同じようなことを言っていた。
同じ記憶を持っていても、同じ人間ではない。
ならば、第六号もまた、誰かのコピーとは違う存在なのかもしれない。
「お前は、何がしたい?」
ダニエルが尋ねた。
画面の人物は、すぐには答えなかった。
「……知りたいんだ」
「何を?」
「僕が、なぜ生まれたのか」
その答えは、予想していたものと違っていた。
世界を支配するでもなく、人間を救うでもない。
ただ、自分が存在する理由を知りたい。
それは、記憶を失ったダニエルが、ずっと抱えてきた問いでもあった。
だが、次の言葉が空気を変えた。
「そのためには、エレナ・クロスに会う必要がある」
ダニエルの表情が凍りついた。
「母さんは死んだ」
「肉体はね」
「……何だと?」
「君は、母親の記憶がどこに保存されているか、本当に知らないのか?」
リナが端末を操作した。
「待って。エレナの神経構造は、三年前の研究記録に保存されていた。でも、現在の状態は確認できていない」
「場所は?」
「わからない。記録が途中で消されている」
第六号は、ゆっくりと目を閉じた。
「なら、探しに行こう」
「お前の言うことを信じろって?」
ダニエルが問い返す。
「信じなくていい。確かめればいい」
その言い方に、ダニエルはかすかな違和感を覚えた。
まるで、かつての自分の考え方を知っているかのようだった。
いや、実際に知っているのだ。
自分の記憶の一部を持っているのだから。
だが、それだけでは説明できない何かがあった。
「場所を言え」
ダニエルが迫る。
第六号は、カイの手をゆっくりと持ち上げた。
画面に、新しい座標が表示される。
岡山県内。
山間部に位置する、閉鎖された旧医療研究施設。
その名称を見た瞬間、アレクサンダーの顔色が変わった。
「……なぜ、そこを知っている?」
「知っているんじゃない」
第六号は答えた。
「呼ばれているんだ」
その直後、施設の通信が途絶えた。
画面が暗転する直前、カイの顔に一瞬だけ、いつもの彼らしい表情が戻った。
「ダニエル……」
小さな声だった。
「そこへ行くな」
映像が消えた。
ダニエルは、動かなかった。
今の声は、確かにカイ自身のものだった。
そして、その警告には、演技では説明できない恐怖があった。
ヴィクターが銃を下ろした。
「どうする?」
ダニエルは、消えた画面を見つめた。
母親が生きている保証はない。
第六号の言葉が真実とも限らない。
それでも、三年前に失われた答えが、その施設にあるかもしれなかった。
「行く」
ダニエルは短く答えた。
「ただし、第六号のためじゃない。カイを連れ戻して、母さんの真実を確かめるためだ」
リナがうなずく。
「私も行く」
「危険だぞ」
「知ってる」
彼女は端末を閉じた。
「だから、一人で行かせるわけにはいかない」
二人が出口へ向かおうとした、そのとき。
アレクサンダーが、背後から声をかけた。
「待て。そこへ行く前に、ひとつだけ教えておく」
ダニエルが振り返る。
アレクサンダーは、険しい表情で告げた。
「その施設は、三年前の事故で閉鎖されたわけではない」
「じゃあ、なぜ閉鎖された?」
「研究員が全員、施設から逃げ出したからだ」
「何から?」
アレクサンダーは、わずかに言葉を詰まらせた。
「……人間の脳では、説明できない信号が、地下から発信され始めた」
その瞬間、リナの端末が再び点灯した。
受信したのは、たった一行のメッセージ。
《エレナ・クロスより――ダニエル、今度こそ私を信じないで》
ダニエルは、その文字を見つめた。
母親は、彼に何を隠しているのか。
そして、なぜ自分を信じるなと言うのか。
答えを求めて、ダニエルは歩き出した。
今度は、誰かに決められた選択ではなく、自分の意思で。




