第26話「引き金を引いた理由」
「三年前、お前が本当に殺した相手を」
第六号の声が、中央制御室に響いた。
ダニエルは、画面に表示された三つの選択肢を見つめていた。
A。第六号を停止する。
B。第六号の統合を許可する。
C。自分の記憶を完全に開放する。
「……記憶を開放すれば、何が起こる?」
『お前が忘れた真実を思い出す』
「それだけか?」
『記憶は、ただの映像ではない。人間が何を恐れ、何を愛し、何を選ぶかを決めるものだ。封じられた記憶が戻れば、お前自身が変わる可能性もある』
ダニエルは、リナに視線を向けた。
「こいつの言葉を信じるつもりはない。でも、三年前のことを知らないままじゃ、カイも助けられない」
「だったら、私も一緒に見る」
リナが彼の腕をつかんだ。
「何を思い出しても、一人で抱え込まないで」
ダニエルは小さくうなずき、Cを選択した。
《第一号:記憶封鎖を解除》
視界が白く染まった。
*
三年前。
第七研究施設、地下実験室。
銃声が響いた。
少年のダニエルは、床に膝をついていた。
目の前には、自分と同じ顔をした少年が立っている。
No.0。
赤い瞳の奥には、怒りも悲しみもあった。
「どうして撃たなかった?」
No.0が尋ねた。
ダニエルの手には銃が握られていた。
弾丸が破壊したのは、No.0の身体ではない。
二人の間にあった認証装置だった。
「お前を殺せば、全部終わると思ったんだ」
ダニエルは震える声で答えた。
「でも、撃てなかった」
「俺が怖いのか?」
「違う。お前を殺したら、俺は一生、自分が正しかったって思い込むことになる」
ダニエルは顔を上げた。
「俺には、まだわからないんだ。お前を止めることが正しいのか、それとも、お前の話を聞くべきなのか」
No.0は、しばらく黙っていた。
やがて、かすかに笑った。
「それでいい。わからないまま選べ。誰かが決めた正解を選ぶな」
そのとき、警報が鳴り響いた。
《認証装置破損》
《神経接続が不安定化》
《第六号へのアクセス経路を確認》
実験室の扉が開き、エレナが駆け込んできた。
「ダニエル!」
彼女は息子の肩をつかんだ。
「ここから離れるわよ!」
「母さん、No.0が……」
「今は説明している時間がないの!」
エレナは、壁のモニターを見た。
そこには、幼いリナが映っていた。
ガラス越しに、彼女は必死に何かを叫んでいる。
『ダニエル! 約束したよね!』
音声が途切れ途切れに響いた。
『私たち、絶対に忘れないって!』
ダニエルはモニターに駆け寄ろうとした。
しかし、エレナが彼を引き止めた。
「お願い。今は忘れて」
「そんなの無理だ!」
「忘れなければ、あなたが利用される。あなたの記憶を通して、あのシステムが再び動き出すのよ」
エレナの手が震えていた。
「あなたを守るために、私はあなたの記憶を封じる」
「母さん……!」
「ごめんなさい」
エレナは涙をこらえながら、端末に手を伸ばした。
「でも、これだけは覚えておいて。あなたが何を忘れても、あなたが誰を大切に思っていたかまで、誰かに決めさせてはいけない」
光が視界を埋め尽くした。
最後に見えたのは、ガラスに手を押し当てるリナの姿だった。
そして、No.0の声。
『いつか、もう一度会おう』
『そのときは、お前が何を守るために生きるのか、自分で決めろ』
*
「……そうだったのか」
ダニエルは中央制御室で目を開けた。
記憶は戻った。
だが、すべてではない。
三年前、なぜNo.0が第六号に関わっていたのか。エレナがどこまで真実を知っていたのか。その答えは、まだ見つからなかった。
リナがそっと彼の手を握った。
「思い出したの?」
「ああ。俺たちは、昔から知り合いだった」
「私たちが……?」
リナは困惑したように眉を寄せた。
「私は、何も覚えていない」
「お前のせいじゃない」
ダニエルは首を横に振った。
「俺だって忘れていた。だから、これから確かめればいい」
リナは彼の手を握り返した。
その瞬間、モニターから警告音が鳴った。
《第六号:完全体移行まで残り60秒》
「ダニエル、時間がない!」
ヴィクターが叫んだ。
彼の首筋では、神経制御装置がまだ赤く点滅している。だが、さきほどまで自由を奪われていた右手は、少しずつ動かせるようになっていた。
「第六号の接続を止める方法は?」
ダニエルが尋ねると、アレクサンダーが答えた。
「通常の停止命令では無理だ。接続された候補者の神経情報が、すでに第六号の構造の一部になっている」
「じゃあ、カイを助けるには?」
「統合が完成する前に、本人の意思を確認するしかない」
「本人の意思?」
「カイ自身が接続を拒絶できれば、システムに矛盾が生じる。その隙に、全体の接続を停止できる可能性がある」
「可能性、か……」
「確実な方法などない」
アレクサンダーはダニエルを見た。
「お前が、そういう世界を選んだのだろう」
ダニエルは答えなかった。
彼はモニターに映るカイを見つめた。
赤い瞳。
首筋から伸びるケーブル。
かつて自分たちと笑い、戦い、命を懸けて仲間を守った男。
「カイ! 聞こえるか!」
返事はない。
「お前は、俺たちを助けるために何度も危険を冒した。今度は俺たちが助ける番だ!」
カイの指が、わずかに動いた。
「……ダニエル」
かすかな声が返ってきた。
「俺は……」
カイの顔が苦痛にゆがむ。
「俺は、もう……自分が誰なのか、わからない」
ダニエルはモニターに近づいた。
「お前が誰なのか、システムに決めさせるな」
カイは目を閉じた。
長い沈黙のあと、彼は口を開いた。
「……俺は、まだ死んでない」
その声には、確かな意志があった。
《第五号からの拒絶信号を確認》
《第六号:統合処理に遅延が発生》
「今だ!」
リナが端末を操作した。
彼女の新しい管理者権限が、初めて第六号の接続経路に届く。
だが、成功したのは一瞬だった。
《警告:管理者権限への不正アクセス》
画面が真っ赤に染まる。
カイの背後に、アラン・クロスが現れた。
「よく耐えたな、カイ」
アランは彼の肩に手を置いた。
「だが、もう十分だ」
「……アラン?」
カイの瞳が揺れた。
「お前は、自分が何者なのかを知りたいと思わないか?」
アランが囁く。
「なぜ生き残ったのか。なぜ、お前だけが第六号と接続できるのか」
カイは答えなかった。
「知りたければ、目を開けろ」
カイの瞳が、ゆっくりと開いた。
赤い光が強くなる。
《第六号:完全体移行まで残り10秒》
「カイ!」
ダニエルの叫びも届かない。
カイは画面の向こうから、ダニエルを見つめた。
「悪い、ダニエル」
その表情は、どこか懐かしかった。
「俺、もう少しだけ……こいつの話を聞いてみる」
「やめろ!」
ダニエルが叫ぶ。
しかし、接続は再び上昇し始めた。
《神経接続率:98%》
《99%》
《100%》
画面が白く染まった。
誰もが息を止める。
そして、施設中のモニターに、ひとつのメッセージが表示された。
《第六号:起動完了》
その下に、見慣れない文字が続いた。
《人格統合:失敗》
《独立人格:確認》
アレクサンダーの顔が青ざめた。
「そんなはずは……」
ダニエルは、モニターを見つめた。
第六号は、候補者たちを統合したのではない。
誰にも支配されない、独立した人格として目覚めたのだ。
そして、画面の中のカイがゆっくりと顔を上げた。
「……やっと、会えたな」
その声は、カイのものではなかった。
ダニエルと、まったく同じ声だった。




