第25話「六人目の意思」
「人類の意思を守るか、五人の候補者を救うか……?」
リナは、モニターに表示された文字を見つめていた。
第七研究施設の地下医療区画では、カイの神経接続率が91%に達している。
そして中央制御室では、意識を失ったダニエルの脳波が、かすかに揺れていた。
「アレクサンダー。説明しろ。六人目は何をしようとしている?」
ヴィクターが父親に銃口を向けたまま問い詰める。
アレクサンダーは、息子の銃を見ても動じなかった。
「六人目は、人類全体の神経情報を統合するために作られた人格だ。候補者五人の記憶、感情、判断パターンを取り込み、それを世界規模に拡張する」
「つまり、世界中の人間を操るつもりか」
「違う」
アレクサンダーは首を横に振った。
「操る必要がなくなるんだ」
その言葉に、リナの背筋が凍った。
「人間が何を選ぶか。誰を愛し、誰を憎み、誰を殺すか。それらを事前に予測し、争いが起こる前に最適な判断へ導く。戦争も犯罪も、理論上は限りなくゼロにできる」
「その代わり、自分で選ぶ自由がなくなる」
リナが言った。
「ええ。だから私は、そんな世界を認めない」
彼女は管理者権限の画面を開いた。
その瞬間、画面が真っ赤に染まった。
《最終管理者Ω-004を確認》
《管理者権限の使用を検知》
《警告:第六号による逆接続を開始》
「逆接続……?」
リナが操作を中断するより早く、端末から無数の文字列が流れ出した。
画面の中央に、金色の瞳を持つ女が現れる。
リナと同じ顔。
しかし、その表情には人間らしい迷いが一切なかった。
『あなたは、私の権限を使っている』
「これは私の権限よ」
『いいえ。あなたは、その権限を与えられた人格にすぎない』
「黙って」
『あなたが守ろうとしているダニエル。彼の記憶の中に、あなたが知らない真実がある』
リナの指が止まった。
『あなたは、彼に出会う前から、彼を知っていた』
「……どういう意味?」
『彼があなたを忘れたのではない。あなた自身が、彼との記憶を捨てたのよ』
その瞬間、リナの頭に映像が流れ込んだ。
白い研究室。
幼いダニエル。
そして、彼の隣で泣いている自分。
「行かないで……ダニエル……!」
幼い自分の声が響いた。
次の瞬間、映像は途切れた。
リナはよろめき、端末に手をついた。
「今のは……私の記憶?」
『思い出せば、あなたは私になる』
「違う……!」
リナは顔を上げた。
「私が何者だったとしても、今の私が誰を守りたいかは、あなたに決められない!」
金色の瞳が、初めてわずかに細くなった。
『その判断が、あなたを破壊する』
画面が暗転した。
同時に、施設全体に警報が鳴り響く。
《第六号、神経接続率94%》
《候補者第三号への接続を開始》
「ヴィクター!」
リナが叫んだ。
ヴィクターの首筋に埋め込まれた神経制御装置が、赤く点滅していた。
「くそっ……!」
ヴィクターは自分の首を押さえ、壁に片手をついた。
身体が勝手に動き始める。
右手が持ち上がり、銃口がゆっくりとリナへ向いた。
「リナ……逃げろ……!」
「ヴィクター、銃を下ろして!」
「俺が……俺の意思で動かせない……!」
指が引き金にかかる。
リナは即座に管理者画面を開いた。
《候補者第三号への接続を遮断しますか?》
《警告:遮断時、対象の記憶構造が損傷する可能性があります》
「記憶を壊さずに切断する方法はないの?」
『ありません』
声が答えた。
金色の瞳の女が、再び画面に現れていた。
『第六号は、接続した人格の情報を自分の構造へ取り込む。すでに取り込まれた情報を切り離せば、対象の人格が欠損する可能性がある』
「だったら、接続そのものを止める!」
『それを可能にするのは、第一号だけです』
リナは息をのんだ。
「ダニエル……?」
『第一号には、すべての接続を拒否できる特性がある。彼が意識を取り戻せば、第六号の統合を停止できるかもしれない』
「かもしれない、ですって?」
『成功する保証はありません』
ヴィクターの銃が、さらに持ち上がった。
「リナ……頼む……俺を……撃て……!」
「そんなことできるわけない!」
そのとき、アレクサンダーが静かに口を開いた。
「リナ。管理者権限を使え」
「何をするつもり?」
「ヴィクターの神経接続を、お前の管理下に移すんだ。そうすれば、一時的に彼の身体を制御できる」
「つまり、あなたと同じことをしろと?」
「彼を救うためだ」
リナはアレクサンダーをにらんだ。
「人を操っておいて、救うなんて言わないで」
「なら、ほかの方法を探せ。だが時間はない」
モニターの数字が変わった。
《第六号:神経接続率97%》
ヴィクターの銃口が、リナの額に向けられた。
彼の目から、少しずつ光が消えていく。
「……リナ」
声が変わった。
「俺が俺でなくなったら……ダニエルを頼む」
引き金にかかった指が動く。
その瞬間。
「――やめろ」
かすれた声が、床から響いた。
全員が振り向いた。
倒れていたダニエルが、片手で身体を支えながら起き上がっていた。
顔色は悪く、呼吸も乱れている。
それでも、その目には確かな意思が宿っていた。
「人の意思を奪って……世界を救う?」
ダニエルは、ゆっくりと立ち上がった。
「そんなものは、救済じゃない」
ヴィクターの銃口が震えた。
「ダニエル……?」
「大丈夫だ、ヴィクター。お前が撃ちたいと思ってないことくらい、わかる」
ダニエルはヴィクターの目を見た。
「だから、戻ってこい」
その言葉と同時に、施設中のモニターが一斉に点灯した。
《第一号:神経応答を確認》
《第六号:統合処理を一時停止》
リナが息をのむ。
だが、安堵したのも束の間だった。
画面に、新たな文字が浮かび上がる。
《第一号の覚醒を確認》
《最終統合条件を更新》
《第六号――完全体への移行を開始》
「何だと……?」
アレクサンダーの顔から、初めて余裕が消えた。
中央画面に映し出されたのは、地下医療区画にいるカイだった。
その背後には、アラン・クロス。
そしてカイの隣に、もう一人の人物が立っていた。
顔はダニエルと同じ。
赤い瞳も、表情も、かつてのNo.0とそっくりだった。
ただし、その人物の胸元には、見たことのない識別番号が刻まれていた。
《候補者第六号》
ダニエルは目を見開いた。
「……No.0?」
画面の人物が、ゆっくりと顔を上げた。
「違うよ、ダニエル」
その声は、No.0と同じだった。
「僕は、お前の代わりじゃない」
赤い瞳が、まっすぐにダニエルを見つめる。
「お前たち全員の記憶から生まれた、次の人類だ」
そして、そいつは笑った。
「さあ、第一号。今度こそ選んでくれ」
画面に二つの選択肢が現れた。
《A:第六号を停止する――接続済み候補者の人格消失リスク》
《B:第六号の統合を許可する――全人類への接続を開始》
その下に、第三の選択肢が表示された。
《C:第一号の記憶を完全開放する》
ダニエルの呼吸が止まった。
その選択肢だけは、今までのどの記録にも存在しなかった。
そして、画面の第六号が告げた。
「思い出せよ、ダニエル。三年前、お前が本当に殺した相手を」




