第23話 第三の選択
A:全人類の意思決定を管理する。
B:CODE Ωを破壊する。
二つの選択肢が、ダニエルの目の前に浮かんでいた。
どちらを選んでも、何かを失う。
世界を救うために、人間の自由を奪うのか。
自由を守るために、自分の記憶を失うのか。
「……くだらない」
ダニエルはつぶやいた。
カプセルの中で、第零号が首を傾げる。
『何が?』
「二つしか選択肢がないことだ」
ダニエルは画面をにらんだ。
「誰が、こんな選択を決めた?」
『システムだよ』
「違う。システムを作った人間だ」
ダニエルは一歩前へ出た。
「お前たちは、いつもそうだ。世界を救うためだと言って、俺たちに選択を迫る。どちらかを選ばなければ、もっと大勢が犠牲になると脅す」
彼は、カプセルの中の少年を見つめた。
「でも、本当にそれしか方法がないのか?」
第零号は答えなかった。
その沈黙が、ダニエルには答えのように思えた。
「リナ!」
「何?」
「この選択画面を出しているシステム、どこに接続されている?」
リナは端末を操作した。
「中央制御室の認証サーバー。それから、世界各地の中継ノードにも接続されてる。最終認証が完了したら、各ノードへ命令が配信される仕組みよ」
「認証サーバーだけを切り離せば?」
「世界への強制接続は止まるかもしれない。でも、認証サーバーが停止すると、あなたの脳に接続されている神経制御プログラムが暴走する可能性がある」
「つまり、俺が死ぬかもしれないってことか」
「それだけじゃない。あなたの記憶が破壊される危険もある」
ダニエルは少しだけ笑った。
「それなら、Bと同じだな」
「ダニエル、待って!」
リナが叫んだ。
「まだ方法があるかもしれない。今すぐ決める必要はない!」
『残念だけど、時間切れだよ』
第零号の声が響いた。
『認証処理は、もう始まっている』
世界地図の光点が、一斉に赤く染まった。
『残り六十秒』
***
「ダニエル、俺が時間を稼ぐ!」
ヴィクターが銃を構え、アレクサンダーへ向き直った。
「父さん、もう終わりだ!」
「終わり?」
アレクサンダーは冷たく笑った。
「お前は、何も理解していない。人間の自由意思を守った結果、何が起きる?」
「それを決めるのは、俺たちだ!」
「その結果に責任を持てるのか?」
アレクサンダーが手を上げた。
武装兵が一斉に銃を構える。
銃声が響いた。
ヴィクターは遮蔽物へ飛び込み、敵の射線を分断する。人工筋肉の一部は破損していたが、残った機能を使い、敵の隊列を崩していく。
「リナ! 認証サーバーへの経路を探せ!」
「やってる!」
リナは端末を高速で操作した。
「待って……このシステム、変よ」
「何がだ?」
「認証サーバーに、通常の管理者権限とは別の経路がある。しかも、そのアクセス権限は……」
画面に表示された文字を見て、彼女は息をのんだ。
管理者権限:Ω-004
認証者:リナ・アシュフォード
「私……?」
リナの頭の中に、断片的な記憶が浮かんだ。
白い研究室。
ガラス越しに見つめる女性。
幼い自分の手を握る、誰かの手。
そして、聞き覚えのない声。
『この子に、私の記憶をすべて渡さないで』
リナは頭を押さえた。
「どうして……私は、何を忘れているの?」
その瞬間、彼女の端末に隠されたファイルが出現した。
Ω-004:最終管理者
役割:第一号および第零号の認証を監督する。
特記事項:本人への記憶移植は禁止。
リナの顔が青ざめた。
「私が……二人を監視するために作られた?」
第零号が答えた。
『そうだよ、リナ』
カプセルの中で、少年は微笑んでいた。
『君は、僕たちの選択を見届けるために存在している。君の脳には、システムの管理権限が組み込まれているんだ』
「だったら、私が認証を止める!」
リナは端末へ手を伸ばした。
しかし、アクセスした瞬間、画面に警告が表示された。
管理者認証に失敗。
生体情報の不一致。
「何で……?」
『君は、オリジナルじゃないからだよ』
第零号の言葉が、リナの胸に突き刺さった。
『君の記憶と人格は、ある女性を基に再構成された。でも、その女性のすべてが君に移植されたわけじゃない』
「……黙って」
『君が本当の管理者になるには、欠けている記憶が必要なんだ』
リナの視界が揺れた。
その女性は誰なのか。
自分は何者なのか。
答えを知りたいという感情と、知ることが怖いという感情が、彼女の中でぶつかり合っていた。
そのとき、ダニエルが彼女の肩に手を置いた。
「リナ」
「……何?」
「お前が何者として作られたかなんて、今は関係ない」
彼は、まっすぐ彼女を見た。
「俺が知っているお前は、俺を何度も助けてくれた。俺の記憶が消えても、俺が自分を見失っても、お前は俺を一人にしなかった」
「ダニエル……」
「だから、今度は俺がお前を信じる」
リナの目に、涙が浮かんだ。
彼女は深く息を吸った。
「……分かった」
再び端末へ向き直る。
「私が何者なのか、全部は分からない。でも、私が何をするかは、私が決める」
彼女は管理者認証画面を開いた。
そして、通常の認証経路ではなく、記録の最深部に隠されていた古いコマンドを入力した。
Ω-004:管理権限の再定義を要求。
画面が点滅する。
警告:既存の認証構造を破壊する可能性があります。
「構わない」
リナは決断した。
「私の意思で、私の権限を使う」
端末に、新しい選択肢が表示された。
管理者権限を再定義しますか?
YES / NO
リナは迷わず、YESを押した。
***
『残り三十秒』
第零号の声に、焦りが混じり始めた。
『やめて、リナ!』
初めて聞く、感情的な声だった。
『それを実行したら、君自身の記憶も壊れる!』
「それでもいい!」
リナは叫んだ。
「私の記憶が誰かに作られたものだったとしても、今の私が考えて、選んでいることまで偽物にはならない!」
管理者権限が再構築される。
世界地図の赤い光点が、一つずつ消えていった。
『強制接続、停止まで残り二十秒』
「ダニエル! 今なら認証サーバーへの接続を切れる!」
リナが叫んだ。
「でも、あなたの神経制御プログラムが暴走する可能性がある! それでもやるの?」
ダニエルは画面を見た。
Aを選べば、世界中の人々の意思が管理される。
Bを選べば、自分の記憶が消える。
だが、リナが作った第三の道が、わずかに開かれていた。
「やる」
ダニエルは認証サーバーへ手を伸ばした。
その瞬間、第零号が叫んだ。
『やめろ!』
カプセルのガラスに、ひびが走った。
『君には分からないんだ! 僕が何を見てきたのか!』
少年の赤い瞳が揺れた。
『僕は、君の記憶の中にいた。君が母親を失って泣いているときも、誰かを救えなくて苦しんでいるときも、全部見ていた!』
「……」
『僕は、君を守りたかったんだ!』
ダニエルの手が止まった。
第零号は、震える声で続けた。
『もう誰も失いたくなかった。だから、誰も間違えない世界を作ろうとしたんだ!』
その言葉に、ダニエルは三年前の記憶を思い出した。
銃声の直前。
第零号が、わずかに横を向いた瞬間。
彼は確かに、何かを叫んでいた。
しかし、記憶はそこで途切れていた。
「……お前は、何を守ろうとしたんだ?」
ダニエルが尋ねた。
第零号は答えなかった。
ただ、カプセルの内側に手をついた。
その手のひらには、血のような赤い光が浮かんでいた。
『残り十秒』
リナの端末が警告音を鳴らす。
「ダニエル、決めて!」
ダニエルは目を閉じた。
世界を救うために、誰かの意思を奪うことはできない。
自分の記憶を守るために、世界を犠牲にすることもできない。
ならば――。
彼は目を開いた。
「俺は、どちらも選ばない」
ダニエルは認証画面の下部に表示された、隠しコマンドへ手を伸ばした。
第三選択――認証者によるシステム拒否。
「こんな選択肢、最初からあったのか……」
リナが息をのんだ。
「でも、これを選ぶと……」
「分かってる」
ダニエルは答えた。
「それでも、俺は俺の意思で決める」
彼は、拒否コマンドを実行した。
その瞬間。
世界中のモニターが、一斉に暗転した。
カプセルが激しく揺れ、警告音が鳴り響く。
『認証拒否を確認』
『最終段階――中断』
『神経制御プログラム、停止処理を開始』
ダニエルの身体から力が抜けた。
リナが駆け寄り、彼を支える。
「ダニエル! しっかりして!」
ヴィクターも敵を振り切り、二人のもとへ走った。
だが、その瞬間。
カプセルの中で、第零号が目を開いた。
赤い瞳は、もう光っていなかった。
少年はガラス越しにダニエルを見つめ、静かに微笑んだ。
『……ありがとう』
次の瞬間、カプセルのガラスが砕け散った。
少年の身体が床に倒れる。
システム音声が響いた。
第零号――生命反応、消失。
第一号――神経制御プログラム、停止。
CODE Ω――最終段階、中断。
ダニエルは意識を失った。
リナが彼の名前を叫ぶ。
ヴィクターは、倒れた少年を見つめていた。
すべてが終わった。
そう思った、そのときだった。
アレクサンダーが床に落ちた端末を拾い上げた。
画面には、たった一行の文字が残っていた。
最終管理者Ω-004――権限移譲、完了。
アレクサンダーは、ゆっくりと顔を上げた。
そして、リナを見つめた。
「……なるほど」
彼の口元に、冷たい笑みが浮かぶ。
「やはり、最後に選ぶのはお前だったか」
リナの背後で、倒れた第零号の指がわずかに動いた。
誰も、それに気づかなかった。
CODE Ω――第三段階、別系統で再起動。




