第21話 名乗る少年
『今度は、僕が君の母親になる番だ』
施設全域に響く声。
ダニエルは、手の中の端末を強く握りしめた。
「……第零号」
『正解』
スピーカーから、少年の笑い声が聞こえた。
『君は本当に賢いね。記憶を失っても、何度でも真実にたどり着く』
「ふざけるな。母さんの記憶を使って、何をするつもりだ?」
『母さん?』
声が一瞬、途切れた。
『ああ、あの人のことか。君はまだ、母親という存在にこだわっているんだね』
「質問に答えろ!」
『簡単なことだよ』
モニターが切り替わった。
映し出されたのは、世界地図だった。
東京、ニューヨーク、ロンドン、北京、モスクワ。
主要都市の地下に、無数の光点が広がっている。
『CODE Ωは、人間の脳を直接操作するためだけのシステムじゃない。人間が選択する前に、その選択肢そのものを変えるシステムなんだ』
「選択肢を変える?」
リナが画面をのぞき込んだ。
『たとえば、戦争を始めようとする指導者がいるとする。彼が命令を出す直前、システムは彼の脳に介入する。戦争を避ける選択肢を、本人が自分で選んだと思い込むように誘導する』
「それは誘導じゃない。洗脳よ」
リナの声が冷たくなった。
『呼び方は自由だよ。でも、戦争で死ぬ人間がいなくなるなら? 犯罪が減るなら? 飢餓がなくなるなら?』
「だから、全人類の意思を奪っていいと?」
『意思があるから、人間は争うんだ』
第零号は、まるで当然のことを話すように答えた。
『君たちは自由を求める。でも、その自由で何度も間違える。憎しみで人を殺し、利益のために国を滅ぼし、正義のために戦争を始める』
画面に戦争や災害、暴動の映像が次々と映し出された。
『僕なら、それを終わらせられる』
ダニエルは画面をにらんだ。
「それは平和じゃない。ただ、誰かに管理されているだけだ」
『なら、君に何ができる?』
声から笑みが消えた。
『君は三年前、僕を撃った。僕の身体を壊し、僕の記憶を奪い、僕を一人にした』
「……」
『それでも僕は戻ってきた。君の脳に残った記憶を通して。君が母親を求めるたび、僕はその声を学んだ。君が誰かを信じるたび、その感情を理解しようとした』
ダニエルの背筋に、冷たいものが走った。
『僕は、君の記憶の中で育ったんだよ』
***
「信じるな、ダニエル」
ヴィクターが低く言った。
「相手はお前を動揺させようとしている」
「だが、事実かもしれない」
ダニエルは自分の頭に触れた。
自分が母親だと思っていた女性。
三年前の研究施設。
第零号を撃った記憶。
そのすべてが、本当に自分のものなのか。
「リナ。俺の脳に残っているデータを調べられるか?」
「今は無理。施設のネットワークが乗っ取られている。接続した瞬間、あなたの神経系まで侵入される可能性がある」
「それでも調べたい」
「駄目!」
リナがダニエルの腕をつかんだ。
「あなたはさっき、システムの接続を自分で拒否した。あれができたのは、あなた自身の意思が残っているからよ。今、無理に記憶へアクセスしたら、その最後の部分まで失うかもしれない」
「じゃあ、どうすればいい?」
「システムの中枢を止める。そこに本当の記録があるはず」
ヴィクターが施設の構造図を表示した。
「中央制御室は地下六階だ。だが、ここから先は警備システムが完全に敵の支配下にある」
「正面から行くのは無理ね」
リナは地図を拡大した。
「旧式の冷却設備がある。電源系統が独立しているから、ネットワークの影響を受けにくい。そこを通れば中枢の真下に出られる」
「決まりだ」
ダニエルが歩き出した。
そのとき、ヴィクターが彼の肩をつかんだ。
「一つ聞かせろ」
「何だ?」
「もし、中枢で第零号を止める方法が見つかったとして……それがお前自身の命と引き換えだったら、どうする?」
ダニエルは答えなかった。
三年前、彼は第零号を撃った。
その結果、何が起きたのか。
まだ、すべては分かっていない。
「……そのときに決める」
ヴィクターは手を離した。
「お前らしい答えだ」
***
地下へ続く非常階段。
三人は足音を殺して進んでいた。
だが、地下四階に到達した瞬間、壁のスピーカーが起動した。
『侵入者を確認』
リナが舌打ちした。
「見つかった!」
天井の通気口が開き、小型ドローンが十機以上飛び出した。
銃口が一斉にこちらを向く。
「伏せろ!」
ヴィクターが叫ぶ。
銃撃が始まった。
ダニエルは柱の陰へ滑り込み、周囲を観察した。
ドローンは三機ずつの隊列を組み、交互に射撃している。
死角はない。
通常なら、逃げ道は塞がれていた。
しかし、一つだけ違和感があった。
「リナ! 冷却設備の圧力弁はどこだ!」
「右側の壁! でも、開けたら蒸気が噴き出す!」
「それでいい!」
ダニエルは床を蹴った。
銃弾が足元をえぐる。
柱から柱へ移動しながら、壁の保守パネルに飛びついた。
カバーを引きはがし、緊急解放レバーを倒す。
轟音。
高圧の蒸気が通路を白く染めた。
ドローンの光学センサーが一斉に曇る。
「今だ!」
ヴィクターが飛び出し、先頭の三機を叩き落とした。
リナは端末を接続し、残りのドローンへ偽の位置情報を送る。
敵の銃口が互いを向いた。
短い銃撃音。
すべてのドローンが床に落ちた。
「やるじゃない」
リナが息を吐いた。
「偶然じゃない」
ダニエルは倒れたドローンを見つめた。
「こいつらの制御信号、俺たちの位置情報を取得するたびに、射撃命令を更新していた。だから、蒸気でセンサーを塞いで、偽の位置情報を流せば同士討ちを誘発できる」
ヴィクターが眉をひそめた。
「以前のお前なら、ここまで冷静には判断できなかっただろうな」
「……そうなのか?」
「少なくとも、俺の知っているお前はそうだった」
ダニエルは自分の手を見た。
確かに、身体が覚えている。
戦い方も、敵の倒し方も。
だが、それが自分の経験なのか、埋め込まれたプログラムなのかは分からない。
そのとき、リナの端末に新しいデータが表示された。
「待って……これ、何?」
画面には、施設の管理記録が映し出されていた。
『CODE Ω人格再構成計画』
対象者――第零号。
再構成元――第一号の記憶領域。
人格補助データ――エレナ・クロス。
リナの顔が青ざめた。
「第零号は、ダニエルの記憶を使って人格を再構成されている。でも、母親の人格を作ったのは第零号だけじゃない……」
「どういうことだ?」
リナは記録を拡大した。
「エレナの記憶情報が、第零号の人格に組み込まれている。つまり、第零号はダニエルの記憶だけじゃなく、母親の記憶まで持っている可能性がある」
ダニエルは息をのんだ。
第零号は、自分の記憶から生まれた。
そして、母親の記憶も持っている。
ならば、あの声は――。
「……あいつは、母さんになりたいんじゃない」
ダニエルはつぶやいた。
「母さんを失った俺に、母さんの代わりをさせようとしているんだ」
スピーカーから、少年の声が再び響いた。
『さすがだね、ダニエル』
『でも、一つだけ違う』
モニターが点灯した。
そこに映ったのは、白い部屋に座る第零号だった。
彼は、ダニエルと同じ顔で笑っていた。
『僕は母さんの代わりになりたいんじゃない』
『君に、もう一度母さんを殺させたくないだけだ』
ダニエルの呼吸が止まった。
画面の第零号は、ゆっくりと顔を上げた。
『中央制御室に来て』
『そこに行けば、三年前に君が本当に撃った相手が分かる』
映像が切れた。
そして、最後に一行だけが残った。
ECLIPSE事件――死亡者記録、改ざん前の原本を解放します。
ダニエルは拳を握りしめた。
三年前、本当に何が起きたのか。
誰を撃ったのか。
そして、誰が母親を奪ったのか。
その答えは、地下六階にある。
「行こう」
ダニエルは前を向いた。
「今度こそ、全部終わらせる」
その瞬間、施設の奥で巨大な機械が起動した。
低い振動が床を伝わる。
リナの端末に、警告が表示された。
最終認証まで、残り三十分。
認証対象――第一号、ダニエル。
認証失敗時、全世界の神経ネットワークへ強制接続を開始します。




