第20話 母親の銃口
「あなたを、もう一度殺さなければならないの」
銃口は、まっすぐダニエルの胸を狙っていた。
三年間、夢の中で何度も探し続けた母親。
その母親が今、自分を殺そうとしている。
「……どういう意味だよ」
ダニエルは動かなかった。
「母さんは死んだはずだ。身体も、記憶も、全部……」
「そうね。私の身体は三年前に死んだ」
女性は静かに答えた。
「今ここにいる私は、保存された神経構造と記憶情報を使って再構成された存在。少なくとも、あなたが知っていた私と完全に同じとは限らない」
「じゃあ、あんたは母さんじゃないのか?」
「それを決めるのは、私ではないわ」
女性の指が引き金にかかる。
「でも、一つだけ確かなことがある。あなたがCODE Ωの最終認証を行えば、世界中の人間の意思決定に介入できるシステムが完成する」
リナが一歩前に出た。
「それを止めるために、ダニエルを殺すっていうの?」
「そうよ」
「ふざけないで!」
リナの声が響いた。
「あなたは、彼に自分の意思で生きろと言ったんでしょう? だったら、どうして彼の意思を無視して殺そうとするの!」
女性の表情がわずかに揺れた。
「……だからこそ、よ」
その瞬間、銃声が響いた。
ダニエルは反射的に身をひねった。
弾丸は肩をかすめ、背後の壁に突き刺さる。
「ダニエル!」
ヴィクターが飛び出した。
しかし、彼の身体が突然硬直した。
『第三号、神経制御を開始』
「くそっ……またか!」
人工筋肉が勝手に動き、ヴィクターの右腕がダニエルへ向かって振り下ろされる。
ダニエルは間一髪でかわした。
「ヴィクター、抵抗しろ!」
「言われなくても……やっている!」
ヴィクターは自分の腕を左手で押さえ込んだ。
だが、制御プログラムはさらに出力を上げていく。
骨がきしむ音がした。
女性は銃を構え直す。
「時間がない。アレクサンダーが施設の全権限を掌握すれば、あなたは二度と自由になれない」
「だったら、あんたが説明しろよ!」
ダニエルは叫んだ。
「俺の記憶を消した理由も、第零号を撃った理由も、全部だ!」
女性は目を閉じた。
そして、銃を下ろした。
「あなたが第零号を撃ったのは、彼を殺すためではなかった」
「……何?」
「銃弾は、彼の身体を貫いた。でも、本当の目的は別にあった。第零号の脳内にある認証装置を破壊し、CODE Ωの同期を止めること」
「そんなこと、映像には……」
「記録は改ざんされたのよ」
女性はダニエルを見つめた。
「あなたは彼を救おうとした。でも、装置が停止する直前、彼の神経信号はあなたの脳へ転送された。その瞬間、CODE Ωはあなたを最終認証者として登録した」
ダニエルの脳裏に、倒れた第零号の姿が浮かんだ。
「じゃあ……あいつは、本当に死んだのか?」
「肉体は死んだ。でも、彼の記憶情報の一部はシステムに残された」
女性は続けた。
「今、あなたの中にある記憶の一部は、あなた自身のものではない」
沈黙が落ちた。
ダニエルは自分の手を見つめた。
三年前の自分。
今の自分。
そして、第零号。
いったい、どこまでが本当の自分なのか。
「……それでも」
ダニエルは顔を上げた。
「俺が何者だろうと、誰を救うかは俺が決める」
女性の目が見開かれた。
その言葉を、彼女は以前にも聞いたことがあるのかもしれない。
「母さんが本物なのか、記憶のコピーなのか。そんなことは今はどうでもいい」
ダニエルは銃口の前に立った。
「俺を殺したいなら、理由を全部話してからにしろ」
女性の手が震えた。
その一瞬を、ヴィクターは見逃さなかった。
「今だ!」
ヴィクターは自分の腕を床へ叩きつけた。
人工筋肉の制御部が破損し、神経制御が一時的に途切れる。
同時に、リナが端末へコードを打ち込んだ。
「施設の外部接続を遮断する! でも、あと十秒しか持たない!」
アレクサンダーの声がスピーカーから響いた。
『エレナ。計画を続行しろ』
女性の表情が凍りついた。
『第一号を排除し、最終認証を確保する。それがお前の役目だ』
「……私は、あなたの命令には従わない」
『忘れたのか? お前の人格情報を保存したのは誰だ』
女性は唇をかんだ。
『お前が本物のエレナである保証などない。私が必要な情報だけを残し、再構成した存在かもしれないのだぞ』
その言葉は、彼女自身が抱えていた疑念をえぐった。
自分は本当にエレナ・クロスなのか。
それとも、エレナを名乗るだけのプログラムなのか。
彼女は銃を握り直した。
「……それでも、私は私の意思で選ぶ」
銃口が、今度は天井へ向いた。
一発。
照明が砕け散る。
暗闇の中、リナが叫んだ。
「走って!」
四人は隔離室を飛び出した。
廊下の奥では警備ドローンが起動し、赤い照準光が壁を走っている。
ダニエルは床を滑るように身を低くし、飛んできた弾丸を避けた。
右側の壁にある保守用パネル。
天井を走る電源ケーブル。
ドローンの射撃間隔。
一瞬で状況を分析する。
「リナ、三秒後に照明を復旧させろ!」
「何をする気?」
「敵の照準を狂わせる!」
ダニエルは壁のパネルを蹴り開け、露出した非常用回路へ手を伸ばした。
指先が端子に触れた瞬間、頭の中に機械の構造が流れ込んでくる。
『第一号、外部システム接続を確認』
「今じゃない……!」
ダニエルは接続を拒絶した。
だが、システムは勝手に起動しようとする。
『最終認証鍵を要求』
「俺の意思を無視するな!」
ダニエルは端子を引き抜いた。
火花が散る。
その瞬間、照明が復旧した。
ドローンのカメラが一斉に再起動し、照準が乱れる。
ヴィクターが床を蹴った。
残った人工筋肉を最大出力で駆動し、先頭のドローンを壁へ叩きつける。
リナは通信端末を奪い、警備システムへ偽の撤退命令を流した。
敵の動きが止まった。
「突破した……!」
しかし、ダニエルだけは立ち止まっていた。
端末の画面に、新しいメッセージが表示されていたからだ。
送信者は、エレナ・クロス。
『ダニエル。あなたがこのメッセージを読んでいるなら、私の計画は失敗したのでしょう』
続く文章を見て、ダニエルの顔から血の気が引いた。
『あなたが今、母親だと思っている存在は、私が作ったものではありません』
『それは――第零号が、最後に残した人格です』
ダニエルは背後を振り返った。
さっきまで隣にいた女性の姿がない。
廊下の監視カメラにも、彼女の姿は映っていなかった。
そして、画面に最後の一文が浮かんだ。
『本物のエレナ・クロスは、三年前、あなたを守るために自分自身を消去しました』
その直後。
施設全域に、聞き覚えのある少年の声が響いた。
『久しぶりだね、ダニエル』
赤い警告灯が点灯する。
『今度は、僕が君の母親になる番だ』
CODE Ω――最終段階、起動。




