第16話 暴走する第一号
赤い光が、ダニエルの瞳を覆っていた。
『第一号、戦闘制御権限を再取得』
『神経接続率――六十二パーセント』
『警告。接続率が安全限界を超過しています』
耳鳴りのような電子音が、頭の奥で鳴り続ける。
ダニエルは、床に倒れたカイを見つめていた。
胸元に広がる血。
力なく垂れた手。
つい数分前まで、疑い合いながらも一緒に歩いていた男が、動かなくなっていた。
「……カイ」
返事はない。
「おい、起きろよ」
ダニエルは一歩踏み出そうとした。
しかし、身体が勝手に動いた。
視界の中央に照準が浮かぶ。
自動戦闘機械。
三体。
脅威度、九十二パーセント。
排除推奨。
『戦闘補助プログラムを起動』
ダニエルの右手が、床に落ちていた銃を拾い上げた。
「ダニエル……?」
リナの声が聞こえる。
彼女はカイの身体を抱きかかえながら、こちらを見ていた。
「こっちを見て! お願い、私の声を聞いて!」
ダニエルは彼女を見た。
だが、頭の中のシステムは別の判断を下していた。
第二号。
管理者権限保持者。
排除優先度――最高。
「……リナ、逃げろ」
自分の声なのに、自分のものではないようだった。
「早く、逃げろ!」
次の瞬間、ダニエルの身体が動いた。
一発目の銃弾が自動戦闘機械の頭部を撃ち抜く。
二発目が関節部を破壊する。
三体目が銃口を向けるよりも早く、ダニエルは床を滑り、射線の外へ移動していた。
人間には不可能な速度。
いや、少なくとも、今までのダニエルには不可能な動きだった。
彼は機械の懐へ潜り込み、銃身をつかんで押し上げる。
発砲。
弾丸は天井を貫いた。
その隙に、ダニエルは機械の胸部へ銃口を押し当てた。
引き金を引く。
機械が沈黙した。
わずか数秒。
三体すべてが破壊されていた。
しかし、ダニエルは止まらなかった。
銃を捨て、次の標的を探すように首を動かす。
「……脅威、未排除」
彼の視線がリナへ向いた。
「ダニエル!」
ヴィクターが床を這いながら叫んだ。
「そいつは敵じゃない!」
ダニエルの動きが止まる。
ほんの一瞬だった。
『命令との不一致を検出』
『神経制御プログラムを再調整します』
ダニエルは頭を抱えた。
「やめろ……!」
膝が床につく。
頭の中に、知らない映像が流れ込んできた。
白い研究室。
無数のモニター。
拘束具に固定された自分。
ガラスの向こうで、誰かが叫んでいる。
『ダニエル、聞こえるか!』
『お前の意思を手放すな!』
そして、女性の声。
『この子に、これ以上何もさせないで!』
エレナだった。
ダニエルは息をのんだ。
「母さん……?」
『記憶領域との接続を開始』
映像がさらに鮮明になる。
エレナが自分の頬に触れている。
涙を流しながら、何かを伝えようとしていた。
『もし、いつかあなたが自分を信じられなくなったら……』
その先が聞こえない。
映像が途切れた。
「くそっ……!」
ダニエルは床を殴った。
「何なんだよ、これは!」
そのとき、リナが立ち上がった。
「ダニエル、動かないで」
「来るな!」
「来るなと言われても、行くわよ」
リナは恐怖を押し殺しながら、ゆっくりと近づいた。
「あなたが私を攻撃する可能性があることくらい分かってる。でも、あなたはさっき、私に逃げろと言った」
彼女はダニエルの前にしゃがみ込んだ。
「あなたの中に、まだあなた自身がいるんでしょう?」
ダニエルの瞳が揺れた。
「……分からない」
「なら、分かるまで一緒に探す」
リナは彼の手を握った。
その瞬間、彼女の端末が激しく振動した。
『管理者権限による神経制御プログラムへの介入を検出』
リナの表情が変わる。
「これ……!」
彼女は端末を操作した。
「ダニエル、あなたの神経制御プログラムに外部から命令が送られている。施設の中だけじゃない。遠隔地から直接接続されている!」
「誰が?」
「発信元は偽装されている。でも、命令の認証コードは……」
リナは画面を見つめた。
「オルフェウス最高評議会のものよ」
ヴィクターが顔を上げた。
「何だと?」
「間違いない。しかも、認証権限は通常の評議会メンバーより上位に設定されている」
ヴィクターは険しい表情で立ち上がろうとしたが、右脚の人工筋繊維が反応しなかった。
「俺の義肢も、まだ制御を奪われている。施設の中枢を止めない限り、完全には解除できないらしい」
「中枢はどこだ?」
ダニエルが尋ねた。
リナは医療区画の奥を指さした。
「地下五階。だけど、そこへ行くには認証が必要。普通のアクセス権限じゃ開かない」
「俺なら開けられるか?」
「あなたの生体情報なら、おそらく。でも、今の状態で神経接続を繰り返したら、本当に戻れなくなるかもしれない」
ダニエルはカイを見た。
リナの腕の中で、カイは目を閉じていた。
「……行こう」
「ダニエル」
「俺がこの力を使うたびに、何かが壊れていくのは分かってる。それでも、ここで止まるわけにはいかない」
彼はゆっくりと立ち上がった。
「カイが何を知っていたのか。母さんが何をしようとしていたのか。そして、誰が俺たちを操っているのか。全部、確かめる」
ヴィクターが頷いた。
「分かった。だが、次に暴走したら俺が止める」
「……頼む」
ダニエルは短く答えた。
三人は医療区画の奥へ進んだ。
カイは、リナが背負っていた。
まだ息はある。
しかし、呼吸は弱く、時間が残されているとは思えなかった。
*
地下五階。
中枢管理室の扉は、壁一面を覆う巨大な金属板だった。
認証装置には、五つの指紋センサーと三つの生体認証センサーが並んでいる。
中央には、黒い文字が浮かんでいた。
『CODE Ω 中枢管理システム』
『認証条件――第一号、第二号、第三号、第五号』
リナが顔をしかめた。
「第五号……カイの認証も必要なの?」
「そうらしいな」
ヴィクターが答える。
「だが、カイは……」
言葉が途切れた。
リナは背中のカイを下ろし、彼の手を認証装置へ近づけた。
何も起こらない。
『第五号、生体反応低下』
『認証失敗』
リナは唇を噛んだ。
「駄目……反応が足りない」
ダニエルは装置を見つめた。
五人の候補者。
それぞれに与えられた役割。
第一号、戦闘能力。
第二号、管理者権限。
第三号、監視者。
第五号、計画外の存在。
そして、記録のない第四号。
「……第四号は、どこにいる?」
ダニエルが呟いた瞬間、認証装置の表示が切り替わった。
『代替認証経路を検出』
『第一号の記憶領域から、第五号の認証情報を取得可能』
リナが振り返る。
「それって……」
「俺の記憶を使えば、カイの認証を代わりに通せるってことだろ」
「でも、記憶領域に直接アクセスするのは危険よ!」
ダニエルは目を閉じた。
「もう、逃げない」
彼は認証装置へ手を伸ばした。
指先が触れた瞬間、全身に電流のような衝撃が走った。
『第一号の生体認証を確認』
『記憶領域への接続を開始』
視界が暗転する。
次に目を開けたとき、ダニエルは白い部屋に立っていた。
目の前には、幼いカイがいた。
その隣に、幼いリナ。
さらに、ヴィクターによく似た少年。
そして、顔の見えないもう一人。
六つのベッド。
六人の子供。
その中央に立っていたのは、エレナだった。
彼女はダニエルを見つめ、悲しそうに微笑んだ。
『ごめんなさい、ダニエル』
「母さん……!」
『あなたたちに、こんな未来を与えるつもりはなかった』
彼女の背後で、巨大な扉が開いた。
その向こうには、無数の人間の脳波を表示するモニターが並んでいた。
『CODE Ωの本当の目的は、世界を支配することではありません』
エレナの声が震えた。
『世界中の人間から、選択する自由を奪うことでもない』
彼女はダニエルの手を握った。
『それは――』
映像が激しく乱れた。
『警告。記憶領域への不正アクセスを検出』
『外部からの強制切断を開始』
エレナの姿が遠ざかっていく。
「待って! 母さん、最後まで話してくれ!」
彼女は何かを言った。
その唇の動きを、ダニエルは必死に読み取った。
――第四号を探して。
そして、映像が消えた。
*
中枢管理室。
ダニエルが目を開けると、扉のロックが解除されていた。
『認証完了』
『第五号の代替認証を承認』
リナが驚いた顔で彼を見つめる。
「何を見たの?」
ダニエルは、しばらく答えられなかった。
やがて、低い声で言った。
「第四号を探せ、と母さんが言っていた」
「第四号……」
ヴィクターが顔をしかめる。
「だが、第四号の記録は存在しない」
「違う」
ダニエルは首を振った。
「記録が存在しないんじゃない。誰かが消したんだ」
三人は中枢管理室へ足を踏み入れた。
中央の巨大なモニターには、世界地図が表示されていた。
無数の光点が、各国の主要都市を示している。
その上に、一つの文字が浮かび上がっていた。
『CODE Ω――全世界接続率、十八パーセント』
リナの顔が青ざめる。
「嘘……。これ、世界中の通信網に接続しているの?」
「通信網だけじゃない」
ヴィクターが別の画面を見た。
「金融システム、軍事ネットワーク、医療データベース……各国の重要インフラに接続経路がある」
ダニエルは画面を見つめた。
「これが完成したら、何が起きる?」
リナは答えるまでに、数秒かかった。
「人間の意思に介入できるようになれば、戦争を始めることも止めることもできる。選挙の結果を変えたり、金融市場を混乱させたり……理論上は、世界のあらゆる決断に影響を与えられる」
「つまり、世界を支配できる」
「ええ。でも、誰が何のために?」
その瞬間、モニターが切り替わった。
白髪交じりの男が映し出される。
ダニエルには見覚えがなかった。
だが、ヴィクターの表情が一変した。
「……そんな馬鹿な」
男はカメラに向かって微笑んだ。
『久しぶりだな、ヴィクター』
ヴィクターは銃を握りしめた。
「お前は……三年前に死んだはずだ」
男は静かに答えた。
『そうだ。公式記録では、私は三年前に死亡している』
画面の下に、名前が表示された。
アレクサンダー・レイン。
ヴィクターの父親だった。
そして男は、ダニエルへ視線を向けた。
『ダニエル。君の母親が隠したものを、私はずっと探していた』
彼は笑みを深めた。
『ようやく、第四号の居場所が分かったよ』
モニターに、新たな映像が映し出された。
暗い部屋。
椅子に拘束された一人の女性。
その顔を見た瞬間、リナが息をのんだ。
「……私?」
映像の女性は、リナと瓜二つだった。
しかし、その首元には、見覚えのない番号が刻まれていた。
Ω-004。
アレクサンダーは告げた。
『彼女こそ、CODE Ωの最後の鍵だ』
そして、映像の女性がゆっくりと顔を上げた。
「……リナ」
彼女は、画面の向こうから囁いた。
「お願い。私を殺して」




