第15話 二度目の選択
『どちらか一方が死亡するまで、施設の封鎖は解除されません』
無機質な音声が、医療区画に響き渡った。
ダニエルは目の前の少年を見つめていた。
赤い瞳。自分と同じ顔。同じ声。
違うのは、その表情だった。
目の前の少年には、迷いがなかった。
「どうしたの、ダニエル?」
第零号が首を傾げる。
「また僕を殺すのが怖い?」
「……お前は、あのとき死んだと言ったな」
「そうだよ」
「なら、俺の目の前にいるお前は何なんだ」
「君が知っている僕の記憶を持った、別の存在。そう考えればいい」
第零号は淡々と答えた。
「でも、僕にとっては関係ない。僕はあの日のことを覚えている。君が銃を向けたことも、僕が君を信じていたことも」
ダニエルの頭に、白い部屋の映像がよみがえった。
幼い少年が笑っている。
並んで食事をした日。
警備員に追われ、二人で隠れた夜。
そして、銃口を向けられた少年の顔。
『約束しただろ。僕たちは、誰にも操られないって』
「やめろ……」
ダニエルは頭を押さえた。
「僕は、君を責めたいんじゃない」
第零号は一歩近づいた。
「ただ、知りたいんだ。あのとき君は、自分の意思で僕を殺したの?」
その問いに、ダニエルは答えられなかった。
自分の記憶がない。
自分の意思だったのかさえ、分からない。
「答えろ!」
突然、第零号が叫んだ。
「僕はずっと、その答えを探していたんだ!」
彼の足元で、床の金属板がへこんだ。
人工筋繊維が作動している。
戦闘能力まで、ダニエルと同等なのか。
「ダニエル、聞いちゃ駄目!」
リナが叫んだ。
「こいつはあなたを動揺させようとしてる!」
「分かってる!」
「分かってないわ! この施設は、あなたの反応を計測してる。脳波も心拍数も、全部!」
リナは壁の端末に接続した。
「この試験そのものが実験なのよ。あなたたちがどう反応するか、誰を選ぶか。それを記録している!」
ヴィクターが周囲を警戒しながら言った。
「なら、試験装置を破壊すればいい」
「やってる。でも、制御系統が独立してる。外部からの操作を一切受けつけない!」
カイが舌打ちした。
「ふざけた仕組みだな。誰がこんなものを作った?」
「私よ」
白衣の女が答えた。
全員の視線が彼女に集まった。
「正確には、私が設計した基礎システムを、誰かが改造したの。最初の目的は、二人を戦わせることではなかった」
「なら、なぜこんなことになっている?」
ヴィクターが銃口を向ける。
女は視線をそらさなかった。
「計画の最終段階では、システムが適合者の選択を評価する。誰かを犠牲にすることを受け入れるか。命令に従うか。それとも、命令そのものを拒絶するか」
「つまり、どんな答えでも記録されるわけね」
リナが唇を噛んだ。
「最初から、私たちに選択肢なんてない」
「いいえ」
女は静かに首を振った。
「選択肢がないと思わせることこそ、このシステムの目的なの」
その瞬間、第零号が動いた。
一瞬で間合いを詰め、ダニエルの胸元へ拳を放つ。
ダニエルは腕を交差させて受け止めた。
衝撃で身体が後方へ飛ぶ。
背中がカプセルに激突した。
「ダニエル!」
リナの声が遠く聞こえる。
第零号は追撃を仕掛けた。
右の拳。左の蹴り。肘による打撃。
すべてが正確だった。
ダニエルはかろうじて防いだが、反撃する余裕がない。
「弱くなったね」
第零号が言った。
「三年前は、もっと強かった」
「……黙れ!」
ダニエルは床を蹴り、カプセルの陰へ回り込んだ。
力で勝てないなら、相手の動きを読む。
第零号はダニエルの動きを知っている。
ダニエルも、第零号の動きを知っているはずだった。
だが、身体が覚えているはずの感覚が、うまくつながらない。
第零号の拳が頬をかすめた。
血の味がした。
『神経接続を検出』
頭の中で機械音声が鳴る。
『戦闘補助プログラムを起動しますか』
ダニエルは奥歯を噛みしめた。
使えば勝てるかもしれない。
しかし、その代償は分からない。
「選べよ、ダニエル!」
第零号が叫ぶ。
「僕を殺すか、君が死ぬか!」
ダニエルは答えなかった。
代わりに、第零号の攻撃を受け流し、相手の腕をつかんだ。
二人の身体がぶつかる。
「俺は……」
ダニエルは歯を食いしばった。
「お前を殺さない!」
第零号の表情が凍りついた。
「何だと?」
「お前が何者だろうと関係ない。俺は、もう誰かに決められた選択はしない!」
第零号は一瞬だけ動きを止めた。
その隙に、ダニエルは彼の腕を離し、背後へ転がった。
「それが答えか」
第零号の声が低くなる。
「なら、君はここで死ぬんだ」
彼の右腕が赤く発光した。
同時に、ダニエルの脳内へ警告が響く。
『警告。神経制御プログラムによる強制介入を検出』
『第一号の戦闘制御権限を一時停止』
ダニエルの身体が硬直した。
「なっ……!」
指先すら動かない。
第零号が拳を振り上げる。
「ごめんね、ダニエル」
その拳が振り下ろされる直前、銃声が響いた。
弾丸は第零号の肩をかすめ、背後の装置を破壊した。
ヴィクターが銃を構えていた。
「悪いが、そいつは殺させない」
「ヴィクター! 何をしてる!」
施設のスピーカーから、別の声が響いた。
「試験への介入は規約違反だ。直ちに武器を捨てろ」
ヴィクターは無視した。
「ダニエル、立てるか!」
「身体が……動かない!」
「なら、俺が時間を稼ぐ!」
ヴィクターは第零号へ向かって走った。
だが、第零号は片手を上げただけだった。
ヴィクターの義肢が突然停止する。
「なに……?」
次の瞬間、ヴィクターの身体が床に叩きつけられた。
「ヴィクター!」
リナが端末を操作する。
「駄目、制御権限を奪われてる! ヴィクターの人工筋繊維が、施設のシステムに接続されてる!」
第零号はダニエルへ向き直った。
「もう邪魔は入らない」
彼の拳が再び振り上がる。
そのとき。
「いい加減にしなさい!」
リナが叫んだ。
彼女は端末から手を離し、医療区画中央の制御装置へ走った。
「リナ、やめろ!」
ダニエルが叫ぶ。
しかし、リナは止まらなかった。
制御装置に手を触れた瞬間、施設の照明が一斉に明滅した。
『第二号の神経接続を確認』
『管理者権限との一致率――九十六・二パーセント』
『権限認証を開始』
白衣の女が目を見開いた。
「そんな……。彼女に、管理者権限が?」
リナの瞳が、一瞬だけ青白く光った。
そして、施設全体に声が響いた。
『管理者権限を確認』
『命令を再評価します』
『試験を中断――』
そこで音声が途切れた。
一秒。
二秒。
沈黙。
そして、別の声が響いた。
『管理者権限の上位命令を検出』
『第二号を排除対象に指定』
リナの背後で、壁が開いた。
中から現れたのは、銃を構えた自動戦闘機械が三体。
銃口が、リナへ向いた。
「……嘘でしょ」
リナが振り返る。
その瞬間、第零号が笑った。
「そういうことか」
彼はダニエルを見下ろした。
「ようやく分かったよ。どうして君たちが集められたのか」
「何を知っている?」
「この試験の本当の目的さ」
第零号は、赤く光る瞳を細めた。
「僕たちの中から、世界を支配する人間を選ぶことじゃない」
彼はリナを指さした。
「世界を支配するシステムに、命令できる人間を選ぶことなんだ」
自動戦闘機械の銃口が火を噴いた。
ダニエルは、動かない身体を無理やり引きずろうとした。
間に合わない。
そう思った瞬間、リナの前にカイが飛び込んだ。
銃弾が彼の身体を貫いた。
「カイ!」
倒れ込むカイ。
その胸元から、血が広がっていく。
リナが彼を抱き起こした。
「どうして……! どうして私をかばったの!」
カイは苦しそうに笑った。
「さあな……。俺にも、分からない」
彼の目がダニエルを捉えた。
「でも、今度は……間違えなかった」
カイの手が床に落ちた。
その瞬間、施設の全モニターが黒く染まった。
そして、たった一行の文字が表示された。
『第五号、死亡を確認』
ダニエルの中で、何かが切れた。
「……ふざけるな」
頭の中で警告音が鳴り響く。
『第一制限、解除可能』
『第二制限、解除可能』
『第三制限――ロックされています』
ダニエルは血のにじむ唇をかみしめた。
「ふざけるなああああっ!」
赤い光が、彼の瞳を覆った。
『第一号、戦闘制御権限を再取得』
『第三段階――強制移行』
施設の最深部。
誰もいない管制室で、一人の男がモニターを見つめていた。
「第五号が死んだか……」
男は静かに眼鏡を外した。
「予定より早いな」
隣に立つ部下が尋ねる。
「計画を中止しますか?」
男は首を横に振った。
「いや。むしろ、これで確信した」
画面には、赤い瞳のダニエルが映っていた。
「彼は、まだ自分の意思を失っていない」
男は微笑んだ。
「だからこそ、完成させる価値がある」
そして、モニターの隅に新たな指示を入力した。
『最終命令――エレナ・クロスの記憶を、第一号へ返還せよ』
男は誰にも聞こえない声で呟いた。
「さあ、ダニエル。今度こそ、本当の選択をしてもらおう」




