第12話 死者からの招待状
「俺の名前は、カイ。CODE Ωの第五候補者だ」
男はそう名乗ると、両手をゆっくりと上げた。
敵意はない。
少なくとも、表面上は。
年齢はダニエルと同じくらい。黒い髪に、灰色の瞳。左頬には、こめかみから顎にかけて細長い傷跡が走っていた。
ダニエルは、その顔から目を離せなかった。
覚えている。
頭ではなく、身体が覚えていた。
白い研究施設。
赤く点滅する非常灯。
自分の手に握られた拳銃。
そして、目の前で血を流して倒れる少年。
――撃て、ダニエル。
誰かの声がした。
――そいつを生かしておけば、全員死ぬ。
「……お前は、誰なんだ」
ダニエルは拳銃を向けたまま尋ねた。
「今、名乗っただろ。カイだ」
「そうじゃない。お前は本当に、三年前に死んだのか?」
「死んだことになっている。それは間違いない」
カイは笑った。
「オルフェウスの記録でも、シャドウの記録でも、俺は死亡扱いだ。便利だよな。死んだ人間は、何をしても疑われない」
「何をしに来た?」
「お前を迎えに来た」
「どこへ?」
「お前が本当の自分を知ることができる場所だ」
ダニエルは銃口を下げなかった。
「信用できると思うか?」
「思わないだろうな」
カイはあっさりとうなずいた。
「俺も、お前に信用してほしいとは思っていない。信用は、真実を知った後にするものだ」
その言葉に、ヴィクターが反応した。
「……誰の差し金だ?」
「誰の差し金でもない。俺は俺の意思で来た」
「証拠は?」
「ない」
「なら、帰れ」
ヴィクターが一歩前に出た。
「ダニエルを連れていかせるわけにはいかない」
「相変わらずだな、ヴィクター」
カイは彼を見て、薄く笑った。
「命令を守れなかった男が、今度は保護者気取りか?」
ヴィクターの銃口が、わずかに上がった。
「お前に何がわかる」
「わかるさ。三年前、お前が引き金を引けなかった理由もな」
空気が凍りついた。
リナが二人の間に視線を走らせる。
「知り合いなの?」
「……ああ」
ヴィクターが答えた。
「カイは、ECLIPSE作戦の関係者だ」
「関係者なんて言い方はやめてくれ」
カイは肩をすくめた。
「俺たちは、同じ実験室で育った仲間だろう?」
ダニエルの頭に激痛が走った。
同じ実験室。
仲間。
その言葉が、閉ざされた記憶の扉を叩く。
幼い自分。
ガラス越しに手を振る少年。
白いベッドに横たわる少女。
そして、いつも隣にいた黒髪の少年。
――ダニエル、今日は外に出られるかな?
知らないはずの声が、確かに聞こえた。
「やめろ……」
ダニエルはこめかみを押さえた。
「お前、何をした?」
「何もしていない。お前が自分で思い出しかけているだけだ」
カイの表情から笑みが消えた。
「いいか、ダニエル。俺たちは普通の子供じゃなかった。物心がつく前から、あの施設で育てられた。身体能力、記憶、判断力、感情の制御……すべてが研究対象だった」
「どうして、そんなことを?」
「人間を、次の段階へ進化させるためだと聞かされていた」
カイは遠くを見つめた。
「だが、研究者たちが本当に欲しかったのは、進化した人間じゃない」
彼はダニエルを見た。
「自分たちの命令に逆らわない人間だったんだ」
*
「話が長い」
ヴィクターが言った。
「お前の話を信じる根拠がない。具体的な証拠を出せ」
「いいだろう」
カイは上着の内側から、小さな記録媒体を取り出した。
「これは、ECLIPSE作戦の内部記録だ。オルフェウスが削除したデータの一部を復元した」
リナがすぐに反応した。
「見せて」
「ただし、条件がある」
カイは記録媒体を握りしめた。
「俺を中央研究区画まで連れていけ」
「自分で行けばいいだろ」
ダニエルが言う。
「行けないんだ」
「なぜ?」
「俺の生体情報は、施設の防衛システムに登録されている。正面から侵入すれば、即座に位置を特定される。地下の旧管理通路も、三年前に封鎖された」
ヴィクターが目を細めた。
「つまり、俺たちを使って侵入するつもりか」
「そうだ」
カイは隠そうともしなかった。
「お前たちには、施設の認証を突破できる人間がいる。第一号と、第二号だ」
リナの顔がこわばった。
「私は実験体じゃない」
「そう思いたい気持ちはわかる。でも、記録を見たんだろ?」
「……」
「信じるかどうかは、君が決めればいい。だが、真実を知る機会まで捨てる必要はない」
リナは唇をかみしめた。
ダニエルはカイを観察した。
彼の言葉には筋が通っている。
しかし、必要な情報だけを選んで話しているようにも見えた。
「一つ聞く」
ダニエルが口を開いた。
「三年前、俺がお前を殺したと言ったな」
「ああ」
「なぜだ?」
カイの目から、わずかに光が消えた。
「お前は、俺に銃を向けた。俺はお前に、ある事実を伝えようとした」
「何を?」
「エレナ・クロスのことだ」
ダニエルの心臓が跳ねた。
「母さんのことか?」
「そうだ。彼女は計画を止めようとしていた。だが、それだけじゃない」
カイは言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。
「彼女は、CODE Ωの完成に必要な最後の鍵を持っていた」
「鍵?」
「第一号、第零号、そして第二号。三人の神経パターンを統合するための認証鍵だ」
リナが顔を上げる。
「私が、その第二号だというの?」
「記録上はな」
「だったら、第五候補者のお前は何なんだ?」
ダニエルが尋ねた。
カイは自分の左頬の傷に触れた。
「俺は、失敗作だ」
その言葉には、嘲笑も怒りもなかった。
ただ、諦めだけがあった。
「CODE Ωの適合者として選ばれたが、神経接続に耐えられなかった。実験は失敗。俺は廃棄処分になるはずだった」
「それで逃げたのか?」
「違う」
カイは首を振った。
「お前が、俺を逃がしたんだ」
ダニエルは息をのんだ。
「……俺が?」
「そうだ。お前は施設の警備システムを停止させ、俺を外へ連れ出した。だが、その直後に警報が鳴った。研究員たちが追ってきて、俺たちは分断された」
「そんな記憶はない」
「だから言っただろ。記憶を消されたんだ」
カイはダニエルを見据えた。
「俺を撃ったのは、その後だ。お前は誰かに命令されて、俺に銃を向けた」
「誰に?」
「それを知りたければ、中央研究区画へ行くしかない」
再び、その言葉だった。
真実はいつも、次の場所に隠されている。
ダニエルはそれが気に入らなかった。
だが、今の自分にはほかに道がない。
「……わかった」
ダニエルは銃を下ろした。
「お前を中央研究区画まで連れていく」
「ダニエル!」
リナが抗議する。
「こいつが敵だったらどうするの?」
「敵かもしれない」
「だったら!」
「でも、こいつは俺たちが知らない三年前のことを知っている」
ダニエルはカイを見た。
「条件がある。記録媒体は今すぐリナに渡せ。それから、俺たちに隠し事をするな」
カイは少し考え、記録媒体をリナに投げ渡した。
「いいだろう」
「もう一つ」
ダニエルの声が低くなる。
「俺が本当にお前を殺したのなら、その理由を必ず突き止める。もしお前が嘘をついていたら、今度こそ俺がお前を止める」
カイは一瞬だけ目を見開いた。
それから、静かに笑った。
「……ああ。それでいい」
*
数分後。
四人は、廃ビルの地下にある仮設拠点へ移動した。
リナは記録媒体を解析端末に接続し、暗号化されたファイルを展開していく。
「全部は復元できない。でも、いくつかの記録は読めそう」
「何が出た?」
ダニエルが尋ねた。
「ECLIPSE作戦の実施計画。作戦開始は三年前の十月二十一日。目的は、CODE Ωの中核システムを回収すること」
「今日と同じ日付だな」
ヴィクターがつぶやいた。
「そう。そして、作戦参加者の一覧がある」
画面に名前が並ぶ。
ヴィクター・レイン。
アラン・クロス。
エレナ・クロス。
そして、ダニエル。
ダニエルの名前の横には、赤い文字でこう記されていた。
《任務:第零号の確保》
《補足:必要に応じて、第零号を排除せよ》
「……第零号を確保する?」
ダニエルは画面を見つめた。
「俺は、あいつを助けようとしていたんじゃないのか?」
カイは答えなかった。
リナが別のファイルを開く。
「待って。作戦終了後の報告書がある」
画面に、短い文章が表示された。
《ECLIPSE作戦、失敗》
《第零号:所在不明》
《第一号:死亡確認》
《第二号:保護対象から除外》
《第五候補者:処分完了》
最後の一文を見て、ダニエルはカイを振り返った。
「処分完了って……」
「そうだ」
カイは自分の左頬の傷を指でなぞった。
「俺は三年前、死んだことになった」
「でも、お前は生きている」
「生きているさ。おかげで、地獄を三年間も見続けられた」
彼の声には、押し殺した怒りがにじんでいた。
リナが最後のファイルを開こうとした。
その瞬間、画面が暗転した。
《外部アクセスを検知》
《記録媒体の消去を開始》
「何!?」
リナが操作する。
「誰かが遠隔でデータを消している!」
「止められるか?」
「やってる! でも、権限が強すぎる!」
ファイルが次々と消えていく。
作戦記録。
参加者一覧。
医療データ。
すべてが消去される。
そして、最後の一つが開いた。
《ECLIPSE作戦・最終映像》
ノイズ混じりの映像が流れ始めた。
燃え盛る研究施設。
崩れた廊下。
血まみれのヴィクター。
そして、銃を握るダニエル。
画面の中のダニエルは、目の前に立つ少年へ銃口を向けていた。
赤い瞳の少年。
第零号。
少年は、悲しそうに笑った。
『ダニエル。約束しただろ』
ダニエルの手が震える。
『僕たちは、誰にも操られないって』
少年が一歩、近づいた。
『なのに、どうして?』
銃声が響いた。
映像が激しく乱れる。
少年の身体が倒れた。
そして、画面いっぱいに赤い文字が浮かび上がった。
《第零号――死亡確認》
ダニエルは息をすることさえ忘れていた。
「……俺が、撃ったのか」
誰も答えなかった。
映像の最後に、一人の男が姿を現した。
アラン・クロスだった。
彼は倒れた少年を見下ろし、誰かに告げた。
『第一号の記憶を初期化しろ』
その後、画面が切り替わった。
研究室。
拘束台に横たわるダニエル。
その隣で、エレナ・クロスが泣いていた。
『お願いです……この子だけは、助けてください』
アランは冷たく答えた。
『彼はもう、人間としての境界を越えています』
『違う! この子は自分の意思で戦っただけです!』
『その意思こそが、計画を脅かすのです』
映像はそこで途切れた。
室内に、重い沈黙が落ちた。
ダニエルは両手を握りしめた。
自分が第零号を撃った。
その事実は、映像の中に残されていた。
だが、本当に自分の意思だったのか。
それだけは、まだわからなかった。
カイが静かに口を開いた。
「だから、俺はお前を迎えに来たんだ」
「何のために?」
「お前に、選ばせるためだ」
カイはダニエルをまっすぐ見た。
「第零号を殺したのが、お前の意思だったのか。それとも、誰かに操られた結果だったのか」
彼は一歩近づいた。
「その答えを知りたければ、中央研究区画へ行け。そこに、すべての記録が残っている」
ダニエルはゆっくりと顔を上げた。
「……わかった」
その目には、もう迷いだけではない何かが宿っていた。
「行こう。中央研究区画へ」
*
同じ頃。
超国家連邦・中央研究区画。
最深部にある監視室で、一人の研究員が端末を操作していた。
「報告します。第五候補者カイの生存が確認されました。第一号、第二号、第三号との接触も確認」
通信の向こうから、低い男の声が返ってくる。
『予定より早いな』
「いかがいたしますか?」
男は少し考えた。
『放置しろ』
「しかし、彼らが中央研究区画に侵入すれば……」
『構わない』
男は静かに笑った。
『むしろ、来てもらわなければ困る』
彼は目の前の巨大なカプセルを見つめた。
内部には、赤い瞳の少年が眠っている。
カプセルの表示が更新された。
《CODE Ω》
《第零号》
《生体反応:確認》
《死亡記録との不一致を検出》
男は満足そうにうなずいた。
「第一号が真実を知る日が来たか」
そして、誰もいない室内でつぶやいた。
「だが、まだ知らないだろうな」
男はカプセルのガラスに手を置いた。
「第零号が、本当に死んだ理由を」
カプセルの内部で、少年の唇が動いた。
眠ったままの彼が、かすかに笑う。
「……ダニエル」
その声は、監視室のスピーカーには届かなかった。
しかし、システムの記録には、確かに残されていた。
《第零号――意識反応を検出》
《第三段階への移行条件、成立まで残り一名》




