↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Code Ω  作者: ニコル
PR
11/65

第11話 偽りの名前

 午後十一時。


 旧中央医療研究センターは、都市の再開発区域から取り残されたように、暗闇の中にそびえ立っていた。


 かつては超国家連邦でも有数の先端医療施設だったという。だが、三年前に突然閉鎖され、現在は立入禁止区域に指定されている。


 正面ゲートには錆びた鎖が巻かれ、窓ガラスの大半が割れていた。


「いかにも罠って感じね」


 リナが建物を見上げた。


「罠じゃなかったら、そっちのほうが驚きだ」


 ダニエルは周囲を確認する。


 道路に監視カメラはない。


 少なくとも、見える範囲には。


「ヴィクター、周辺は?」


「東側に車両の痕跡がある。タイヤの幅からして軍用車両ではない。民間車両を偽装している可能性がある」


「何人いる?」


「最低でも四人。だが、建物の中まではわからん」


 ダニエルはリナに視線を向けた。


「通信は?」


「施設の電源は落ちてる。でも、地下から微弱な信号が出ている。誰かが独立電源を動かしているみたい」


「入口は?」


「正面以外に、搬入口があるはず。医療施設なら、緊急時の搬送路が地下につながっている可能性も高いわ」


「よし。正面から入るのはやめよう」


 ヴィクターが眉を寄せた。


「正面から入れば、敵が待ち構えているかどうかを確認できる」


「それは確認じゃない。わざわざ敵の射線に入るだけだ」


「慎重になったな」


「三回も殺されかければ、多少は学習する」


 ヴィクターは小さく笑った。


「その程度で済んでいるなら、上出来だ」


 三人は建物の裏手へ回った。


 錆びついた搬入口の扉は、電子ロックで施錠されていた。


 リナが端末を接続する。


「三十秒……いや、十五秒でいける」


「どうして短くなった?」


「あなたが急かすからよ」


 数秒後、ロックが解除された。


 扉を開けると、冷たい空気と消毒液の臭いが流れ出してきた。


 施設の内部は、外見以上に荒廃していた。


 床には書類が散乱し、壁には剥がれかけた案内板が残っている。


 しかし、ダニエルはすぐに違和感を覚えた。


「……誰かが掃除している」


「どこが?」


 リナが周囲を見回す。


「床の埃だ。壁際には積もっているのに、中央だけ薄い。最近、誰かが何度も通っている」


 ヴィクターが床にしゃがみ込んだ。


「足跡もある。二種類だ。一つは普通の靴底。もう一つは……」


「何?」


「医療用の滑りにくい靴だ」


 ダニエルは顔を上げた。


「まだ医療関係者がいるのか?」


「あるいは、医療関係者のふりをした人間だ」


 そのとき、施設の奥で電子音が鳴った。


 ピッ。


 ピッ。


 ピッ。


 一定の間隔で繰り返される音。


 リナが端末を確認した。


「地下から信号が強くなってる。発信源は地下三階よ」


「行こう」


 三人は階段を下りた。


     *


 地下三階には、無数の医療カプセルが並んでいた。


 その大半は破壊され、中身も空になっている。


 しかし、最奥の一室だけは違った。


 透明な壁の向こうに、巨大なサーバーと複数の医療機器が設置されている。


 中央には、古い診療記録端末が一台。


 画面には、こう表示されていた。


《患者記録データベース》


《アクセスには本人認証が必要です》


「リナ、見られるか?」


「試してみる」


 彼女は端末に接続した。


 しかし、数秒後、画面が赤く染まった。


《認証拒否》


《対象者の登録情報が一致しません》


「おかしいわね……」


 リナが眉を寄せる。


「どうした?」


「この端末、通常の患者データベースとは違う。個人の生体情報だけじゃなく、神経パターンまで照合している」


「神経パターン?」


「脳の活動に固有の特徴があるの。それを認証鍵として使っているみたい」


 ダニエルは端末に近づいた。


 その瞬間、画面が切り替わった。


《生体情報を確認》


《認証対象――第一号》


《アクセスを許可します》


「またか……」


 ダニエルがつぶやく。


 画面に患者一覧が表示された。


 その中に、彼の名前があった。


《患者番号:Ω-001》


《登録名:ダニエル》


《年齢:十九歳》


《記憶処理:実施済み》


《神経制御プログラム:適合率九十八・七パーセント》


 ダニエルの呼吸が止まった。


「十九歳……?」


 彼は二十二歳のはずだった。


 少なくとも、そう聞かされている。


「この記録、三年前のものよ」


 リナが画面を拡大する。


「三年前の時点で十九歳なら、今は二十二歳。年齢は一致してる」


「じゃあ、俺の記憶が消されたのは三年前……」


「その可能性が高いわ」


 さらに画面をスクロールすると、別の項目が現れた。


《緊急連絡先》


《氏名:エレナ・クロス》


《続柄:母》


 ダニエルは動けなくなった。


 エレナ・クロス。


 映像に映っていた女性。


 そして、アラン・クロスが語った母親。


「……本当に、俺の母親だったのか」


 その声は、自分でも驚くほど弱々しかった。


 リナは何も言わなかった。


 彼女にも、かける言葉が見つからなかった。


 ダニエルは画面を見つめたまま、指を動かした。


 さらに詳細な記録が表示される。


《最終処置担当者:アラン・クロス》


《処置内容:記憶領域の初期化》


《補足:本人の抵抗により、記憶の一部が残存した可能性あり》


「アランが……俺の記憶を消した」


 ダニエルの拳が震えた。


「だったら、あいつは俺の過去を全部知っているはずだ」


「そうね。でも、さっきの発言が本当かどうかは別問題よ」


 リナは慎重に答えた。


「記録は改ざんできる。映像だって加工できる。私たちは、まだ何も確かめられていない」


「それでも、手がかりにはなる」


 ダニエルは別の項目を開いた。


 そこには、もう一つの患者記録があった。


《患者番号:Ω-000》


《登録名:非公開》


《年齢:不明》


《神経制御プログラム:適合率九十九・九パーセント》


《処置内容:記憶領域の封印》


《現在の状態:長期休眠》


 ダニエルの背筋が冷たくなった。


 第零号。


 自分よりも高い適合率。


 そして、長期休眠。


「こいつが……あの少年か」


 ヴィクターが画面をのぞき込んだ。


「第零号の記録は、オルフェウスの最高機密だったはずだ。こんな場所に残っているとは……」


「お前も知らなかったのか?」


「少なくとも、ここに保管されているとは聞いていない」


 ダニエルは彼の顔を観察した。


 嘘をついているようには見えなかった。


 しかし、ヴィクターは三年前の作戦に参加している。


 知らないことが多すぎる。


「他の記録も確認する」


 ダニエルが操作を続けると、画面に新たな項目が表示された。


《患者番号:Ω-002》


《登録名:リナ・アシュフォード》


 室内の空気が凍りついた。


「……私?」


 リナは画面を凝視した。


 顔から血の気が引いている。


「そんなはずない。私は普通の家庭で育った。両親だって……」


「記録の日付は?」


「十八年前……」


 彼女の声が震えた。


「私が四歳の頃よ」


 画面には、さらに詳細な情報が表示されていた。


《神経接続適合率:九十六・二パーセント》


《特殊技能評価:情報処理・暗号解析に高い適性》


《記憶処理:実施済み》


《保護措置:一般社会への移送》


 リナは一歩後ずさった。


「違う……」


 彼女は首を振る。


「私は実験なんか受けていない」


「リナ……」


「私は、自分の努力で今の技術を身につけたの! 誰かに作られたわけじゃない!」


 その声には、恐怖だけでなく、怒りもあった。


 ダニエルは彼女の肩に手を置いた。


「誰も、お前の努力を否定していない」


「でも、この記録は……」


「記録が何を意味するのか、まだわからない。お前が何者なのかを、こんな画面だけで決めさせるな」


 リナは唇をかみしめた。


 やがて、ゆっくりとうなずく。


「……ありがとう」


 その瞬間だった。


 室内の照明が一斉に赤く変わった。


《警告》


《未承認アクセスを検知》


《施設封鎖システムを起動します》


「まずい、データベースに触れたのがバレた!」


 リナが叫ぶ。


 天井から防火シャッターが降り始めた。


「出口へ!」


 ヴィクターが走り出す。


 だが、ダニエルは画面に残った最後の記録を見ていた。


《患者番号:Ω-003》


《登録名:ヴィクター・レイン》


 その下に、見慣れない文字列が表示されている。


《役割:監視者》


《任務:第一号の生存確認》


《特別命令:必要に応じて第一号を処分せよ》


 ダニエルの目が見開かれた。


「ヴィクター……!」


 彼が振り返る。


「どうした?」


 ダニエルは画面を指さした。


 ヴィクターの顔から、表情が消えた。


 数秒間、誰も動かなかった。


「……説明しろ」


 ダニエルの声は低かった。


「お前は最初から、俺を監視していたのか?」


 ヴィクターは目を閉じた。


「そうだ」


 あまりにもあっさりした答えだった。


「三年前から?」


「そうだ」


「俺を殺す命令も受けていた?」


「……ああ」


 リナが息をのんだ。


 ダニエルはヴィクターに銃を向けた。


「じゃあ、なぜ今まで殺さなかった?」


 ヴィクターは銃口を見つめた。


「命令を実行できなかったからだ」


「理由は?」


 ヴィクターはしばらく黙っていた。


 そして、ゆっくりと口を開いた。


「三年前、俺は一度、お前を殺そうとした」


 ダニエルの指に力が入った。


「だが、お前は俺に言ったんだ」


 ヴィクターの声がわずかに震えた。


「『もし俺が化け物になったら、お前が止めてくれ』と」


 ダニエルの脳裏に、白い部屋がよみがえった。


 血まみれの手。


 向かい合う二人の少年。


 そして、拳銃を握る自分。


「俺は……」


「お前を撃てなかった」


 ヴィクターはまっすぐダニエルを見た。


「それから三年間、ずっと考えていた。あのとき、引き金を引くべきだったのか。それとも、お前を信じるべきだったのか」


 シャッターが床に近づいてくる。


 警告音が激しく鳴り響く。


 それでも、ダニエルは銃を下ろせなかった。


「今はどうなんだ?」


 ヴィクターは答えた。


「今でも、わからない」


 その言葉を聞いた瞬間、ダニエルは銃を下ろした。


「……そうか」


 信じたわけではない。


 許したわけでもない。


 ただ、今ここで彼を撃てば、三年前の真実にたどり着く道まで失う。


「話の続きは、生きて出られたら聞く」


 ダニエルはシャッターの下をくぐった。


 リナとヴィクターも続く。


 閉鎖された廊下を駆け抜け、階段を駆け上がる。


 背後で重い金属音が響いた。


 施設の封鎖が完了したのだ。


     *


 地上へ脱出した三人は、近くの路地に身を隠した。


 ダニエルは壁にもたれ、荒い息を整えた。


 母親。


 リナ。


 ヴィクター。


 三人とも、CODE Ωに関係していた。


 偶然であるはずがない。


 しかし、何のために集められたのか。


 その答えは、まだ闇の中だった。


 リナが端末を確認する。


「……データの一部は持ち出せたわ」


「何がわかった?」


「第零号の記録に、別の保管先が指定されていた。場所は超国家連邦の中央研究区画」


「政府の中枢か」


「ええ。でも、そこに行く前に、一つ確認したいことがある」


 リナはダニエルを見つめた。


「私たち三人の記録には、共通の管理者が設定されていたの」


「誰だ?」


 リナは画面を見せた。


 そこには、たった一つの名前が記されていた。


《計画統括責任者:エレナ・クロス》


 ダニエルは息を止めた。


 母親が、CODE Ωの責任者だった。


 アランの話が本当なら、彼女は計画を止めようとしていたはずだ。


 では、なぜ責任者として登録されているのか。


 そもそも、彼女は本当に死んだのか。


 そのとき、リナの端末に新しい通知が届いた。


 発信元不明。


 添付ファイルは、一枚の古い写真だった。


 写真には、研究施設の前に並ぶ五人の人物が写っている。


 中央にはエレナ・クロス。


 その隣には、若いアラン・クロス。


 さらに、その後ろには幼いダニエルと、赤い瞳の少年がいた。


 そして、一番端に立っている人物を見た瞬間、ダニエルは凍りついた。


 そこに写っていたのは――


 現在のリナと、まったく同じ顔をした少女だった。


 写真の裏面には、手書きで一文が記されていた。


『CODE Ω計画、最終候補者五名』


 その下には、さらに小さな文字が続いていた。


『第五の候補者は、すでに計画の外へ逃亡している』


 ダニエルは写真を握りしめた。


 五人。


 第一号。


 第零号。


 リナ。


 ヴィクター。


 そして、もう一人。


 まだ姿を現していない、第五の候補者。


 その人物こそが、三年前の事件の真相を知っているのかもしれない。


 だが、彼らはまだ知らなかった。


 その写真を送信した人物が、今まさに彼らの背後から近づいていることを。


「久しぶりだな、第一号」


 暗闇から、若い男の声が響いた。


「俺のことを、覚えているか?」


 ダニエルが振り返る。


 そこに立っていたのは、黒いフードをかぶった男だった。


 男は笑みを浮かべ、ゆっくりとフードを外した。


 その顔を見た瞬間、ダニエルの頭の中で、三年前の記憶が一気に弾けた。


「お前は……死んだはずだ」


 男は答えた。


「そうだ。三年前、お前がこの手で殺したんだからな」


 そして男は、静かに告げた。


「俺の名前は、カイ。CODE Ωの第五候補者だ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。