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第七話 全部、暴きます

第七話 全部、暴きます


 朝九時。


 NEXT ONE本社前には、すでに報道陣が集まり始めていた。


 テレビカメラ。長いマイク。雨上がりの湿ったアスファルトに、無数のコードが這っている。記者たちのざわめきが低く響き、ビルのガラス壁へ反射していた。


「神崎部長は!?」

「不正取引の件、事実ですか!?」

「社内ぐるみって本当ですか!」


 怒号のような声が飛ぶ。


 その喧騒を、健一は地下駐車場のモニター越しに見ていた。


「……なんだよこれ」


 顔色は土気色だった。


 ネクタイは曲がり、目の下には濃い隈が浮かんでいる。数日前まで“次期役員候補”と持ち上げられていた男とは思えない。


 机へ置いたスマホが震える。


 通知。


『NEXT ONE不正疑惑、SNSで拡散』

『神崎健一で検索急上昇』

『愛人との不適切関係も?』


「っ……!」


 健一はスマホを投げつけた。


 壁へぶつかり、鈍い音を立てる。


「クソがぁっ!!」


 社内ではすでに調査が始まっていた。


 コンプライアンス室。


 監査。


 事情聴取。


 役員会。


 そして今朝。


 決定打が届いた。


 匿名で送付された大量の証拠データ。


 音声。


 口座。


 契約書。


 メール履歴。


 改ざんデータ。


 全部だ。


 全部、暴かれた。


「神崎さん」


 背後から冷たい声がする。


 振り返ると、監査役の男が立っていた。


「役員会議です」


「……今?」


「全員待っています」


 健一は舌打ちした。


 喉が乾く。


 逃げたい。


 だが逃げられない。


 エレベーターへ向かう途中、社員たちの視線が刺さった。


 昨日まで笑顔で挨拶していた連中が、今日は目を逸らす。


 ひそひそ声が聞こえる。


「不倫してたらしいよ」

「横領ってマジ?」

「最低……」


 健一は奥歯を噛み締めた。


 違う。


 俺だけじゃない。


 麗奈もだ。


 会社だって知ってたはずだ。


 なのに。


 どうして自分だけ。


 会議室の扉が開く。


 重苦しい空気。


 役員たちの表情は完全に冷え切っていた。


 専務が資料を机へ叩きつける。


「説明してもらおうか」


 その瞬間、スクリーンへ映し出された。


 タイトル。


『不正取引一覧.xlsx』


 健一の背筋が凍る。


 専務が怒鳴った。


「なんだこれは!!」


 数字。


 送金履歴。


 架空会社。


 利益分配。


 全部、綺麗に整理されている。


 しかも注釈付きだった。


『社内在庫と不一致』

『不正送金確認』

『口止め料と思われる履歴あり』


 健一の額から汗が落ちる。


「……違います」


「何が違う!」


「これは、捏造で……」


「音声も捏造か?」


 次の瞬間、スピーカーから流れた。


『在庫なんか誤魔化せばいい』


 健一の声。


『バレたら麗奈のせいにする』


 健一の声。


 会議室が完全に凍りつく。


 専務が吐き捨てた。


「終わりだな、お前」


 その頃。


 都内のカフェで、真琴は静かに紅茶を飲んでいた。


 窓際の席。


 午後の柔らかな光がテーブルを照らしている。アールグレイの香りが湯気と一緒に立ち上り、焼きたてスコーンの甘い匂いが漂っていた。


 数か月前なら、こんな場所へ一人で入れなかった。


 健一に「無駄遣い」と言われるのが怖かったから。


 でも今は違う。


 真琴はゆっくりカップを持ち上げた。


 向かいには九条が座っている。


「ニュース、すごいな」


 九条がスマホ画面を見せる。


 SNSは炎上していた。


『NEXT ONEヤバすぎ』

『神崎って人、奥さん捨てて愛人いたらしい』

『ドラマみたい』


 さらに週刊誌サイトには、健一と麗奈の写真まで載っていた。


 ホテルから出てくるツーショット。


 腕を組み、笑っている。


 真琴はそれを見ても、もう胸が痛まなかった。


「不思議」


「何が」


「前なら泣いてたのに」


 九条は静かに真琴を見る。


「強くなったな」


「違うよ」


 真琴は小さく笑う。


「現実見えただけ」


 九条はコーヒーを口に運ぶ。


「証拠送ったの、お前だってバレる可能性あるぞ」


「うん」


「怖くないか」


 真琴は窓の外を見た。


 街は穏やかだった。


 信号待ちの人々。犬を散歩する老人。笑う高校生。


 世界は変わらない。


 でも自分の世界だけが、あの日から全部変わった。


「怖いよ」


 真琴は正直に言った。


「でも……もう戻りたくない」


 九条は何も言わなかった。


 その沈黙が心地よかった。


 一方その頃。


 麗奈は自宅マンションで震えていた。


「なんで……なんで私まで……!」


 テレビにはニュース速報が流れている。


『NEXT ONE幹部、不正疑惑』

『愛人関係も発覚』


 麗奈は爪を噛んだ。


 SNSには自分の顔写真まで出回っていた。


『この女か』

『人の旦那奪ったの?』

『因果応報』


「ふざけんな……!」


 スマホを投げる。


 床へ落ちた画面が割れた。


 全部、健一のせいだ。


 あの男が「大丈夫」と言ったから。


 バレないと言ったから。


 なのに。


 自分だけ逃げようとした。


「絶対許さない……!」


 麗奈の目に、黒い憎悪が浮かぶ。


 夕方。


 NEXT ONE本社前。


 健一は記者たちに囲まれていた。


「神崎さん!」

「不正認めるんですか!?」

「奥様へのモラハラも事実ですか!」


「どいてください!」


 警備員が制止する。


 フラッシュが激しく焚かれる。


 汗。


 怒号。


 眩しい光。


 健一の呼吸が乱れる。


 その時だった。


 スマホへ通知が届く。


 非通知メール。


 本文は一行だけ。


『全部、失う気分はどう?』


 健一の瞳が揺れた。


 真琴。


 真琴だ。


「……っ!」


 頭の奥で何かが切れる。


 健一は人目も忘れ、道路の真ん中で叫んだ。


「真琴ぉぉぉぉ!!」


 通行人たちが振り返る。


 記者がさらにカメラを向ける。


 だが健一にはもう見えていなかった。


 自分が崩れていく音だけが、耳の奥で響いていた。


 その頃。


 カフェでは静かなクラシックが流れていた。


 真琴は紅茶をひとくち飲む。


 温かい香りが喉を通り抜ける。


 窓の外では、夕陽が街を金色に染めていた。


 真琴はそっと目を細める。


 ようやく。


 ようやく、始まったのだと思った。



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