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カンショー!  作者: 安城要
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絵画と彫刻

サキちゃんと呼ぶ声に振り替える。

美術室など特殊教室があるフロアに通じる階段を、ミワこと三輪亜里沙が小走りに追いかけてきて七海の隣に並んだ。

「今から部活?」

頷いた七海は再び歩みを進めながら聞き返した。

「ミワちゃんもかい?」

うん、と頷いたミワは七海と並んで歩き始めた。

「たまには部室にも顔出しとこうと思って」

「今日は環奈いないよ」

「うん、さっき会った。今日はバイトだって。なんか夏休みに向けてガッツリ稼がないと、とか言ってたよ」

前は夏休み中にガッツリ稼がないととか言ってたくせに、欲深い奴め。

「ミワちゃんはバイトとかしないの?」

う~ん、とミワは顔をしかめた。

「うちはそういうの厳しくって。バイトするくらいなら勉強しなさい、っていう感じでさ。お姉ちゃんも、大姉ちゃんもバイトしてなかったみたい」

そういえば!

ねえ、とこめかみに指を当てながら七海はミワを見た。

「じゃあ、三輪さんは夏休み中は受験勉強漬けかい」

「まあ受験生だしね。なんか・・・今から消耗してるよ。ああ、夏休みがくるう、って」

はは、と七海はため息をついた。

頭は悪くないんだろうけど、勉強する、いや、頑張って勉強する、ということが既にストレスになっている人に「受験生の夏休み」は辛かろう。

美術室前でミワと別れた七海は、美術準備室ぶしつの扉をくぐるとタブレットをのぞき込んでいた賢人に声をかけた。

「やあ、こんにちわサキちゃん」

あのう、とカバンを置くことも忘れて七海はとりあえず賢人に声をかけた。

「もうすぐ夏休みですけど」

まだ一月以上先ですよ、と苦笑した賢人に続ける。

ガチうちって夏休みって部活するんですか?」

そんなわけないですよねえ、というニュアンスたっぷりに言った七海に、賢人はうれしそうに頷いた。

「ええ、基本的に毎日やりますから、好きなだけ参加していただいていいですよ。まあタイミングが悪ければ、朝から晩まで独りきりという日もないではないですが」

は?

ち、ちょっとと七海は慌てて賢人に向かって手を振った。

「ちょっと、冗談ですよね?なんで毎日とかやる必要あるんですか?」

「なんで、って、今だってやってるでしょ?」

だって、と七海の声が高くなった。

「なんで帰宅部でそこまでやる必要があるんですか?」

はあ?と、それぞれ勝手に美術本を眺めつつ耳を澄ませていたのだろう夏樹と早紀が顔をあげる。

は?と賢人も瞬きしながら七海を見つめた。

「帰宅部、ってなんですか?」

え?と一瞬絶句して賢人を見つめた七海は、しばらく不思議そうに賢人の顔を見つめた後、頭を掻きながらうつむいた。

「すみません。なんか私の中では私らって、帰宅部の中にいる絵の好きなアウトサイダー集団ってイメージになってました」

美術準備室の中に三つのため息が響き渡った。

「一応活動としてはぼく達の方が本家本元なんですけどね」

「いや、確かにそうなんですけど、圧倒的少数者に加えて、いつも美術室となり行くと変な奴目線で見られてるんで、つい」

けど、とそこで七海は口調を強めた。

「けど、夏休み中毎日部活とか、ちょっとやり過ぎじゃないですか?そんなことしてたらもう絵を見つくしちゃうんじゃないですか?」

賢人はわざとらしく目を剥いて見せると驚いたように言った。

「そんなこと全然ないですよ。そうですね、例えばここに『死ぬまでに見たい1000の絵』という本があったとして、サキちゃんはまだその内の10分の1も見ていないんじゃないですかね?」

いや死ぬまでにだって見たくないよ1000枚もの絵。

「部長とか、去年はお盆の期間を除いてほぼ毎日来てましたよ。おそらく夏休み中の部活の時間では学校で1番だったんじゃないですかね」

あの人は例外だよ。

「そんなに毎日、なにをしてたんですかね?」

「基本的に美術本や解説書を見たり、何人か集まった時はテーマを決めて議論したり、ですね。今年卒業された先輩にも熱心な方がおられましたから、朝から自習室に受験勉強に来られて、昼は息抜きを兼ねて美術準備室でお昼を食べたりしながら美術本を読んで、他に人がいれば議論して、とか2~3時間部活して、また夜まで受験勉強したりというので毎日参加、みたいな方もおられましたよ」

お昼ごはんを食べながらマンガ読んで、他に人がいたら大喜利して、でも毎日はいやだな。

どうでしょうか、と賢人が口調を変えて七海を向いた。

「嫌なら無理に参加とはいいませんが、この夏休み中何かテーマを決めて絵を見られるというのでは?そうすれば、参加の楽しみも増えますし、ただなんとなく絵を見るよりも、夏休み中でやり切った感がでるかもしれませんよ?」

「例えば?」

立ったまま話していたことに気づいた七海は賢人の脇をすり抜けて机の空いたところにカバンを置くと賢人を振り返った。

「なんか、いいテーマ・・」

そこでふと気づて賢人の背後に目をやった七海は、うっ、と言いかけていた言葉を切った。

薄く開いた扉の向こうから、誰かの目が覗いていた。

そ、そういえばっ、と七海は慌てて大声で言った。

「き、今日は沙織さんは来てませんね」

ああ、と突然話題を変えた七海を不思議そうに見ながら賢人が頷いた。

「今日はもう帰られたようですね。下駄箱のところで後姿をみましたから」

ガラリと扉が開いて、やあ諸君!と加納がうれしそうに現れた。

「いやすまんな、最近忙しくなかなか参加できずに」

「あ、部長、いらっしゃい」

「おひさしぶりで~す」

うむ、うむ、と満足そうにいつもの席に座った加納は、賢人を向くと一つ頷きかけた。

「ところで、悪いとは思ったが話は全て廊下で聞かせてもらったよ。面白そうな話だな、ふっふっふっ」

これは感染する病気なのか?

いや、と言いながら賢人が笑って頭を掻いた。

「実はサキちゃんにああ言ってはみたものの、何かテーマといってもすぐには思いつかなくって。部長は何かいいテーマをお持ちですか?」

うむ、と頷いた加納は七海を向き直った。

「今の戸田くんにはまだ難しいかもしれんが、面白いテーマがある」

あんたにとって面白い、だろ、それ?私にとっては難しいだけじゃん。

「絵のモデルを探す、というテーマなんてどうだろうか?」

モデルを探す?

「それって、有名な絵のモデルが誰かを調べるっていうことですか」

「そうだ。例えば同時代のいろんな有名画家のモデルを務めた人気の女性とかは結構いたのだよ。この絵に描かれてるこの人と、別の絵に描かれているこの人が同じモデルだったということは往々にしてあるのだ」

ほおう。

しかしっ!!と加納が叫び、おおうっ、と七海は椅子から転げ落ちた。

「い、いきなり大きな声を出さないでください。びっくりするじゃないですか」

ふっふっふっ、と笑って加納が椅子に手をついて立ち上がった七海を見た。

「この程度でバランスを崩すとか、きみはもう少し体幹を鍛えた方がいいのではないかね」

ほっといて。

一つ咳払いをした加納は、しかし、ともう一度言った。

「しかし、夏休みにじっくりと研究するのであれば、普通のモデルを調べるだけでは面白くない」

あのう、じっくりやる気ないんですけど、ねえ。ねえ、聞いてる?

ほう、と賢人が面白そうに頷いた。

「では、部長にはなにか秘案がおありで?」

うむ、と頷いた加納は七海を見上げながらこぶしで机を叩いた。

「既にある芸術作品をモデルとして描かれた絵を探すというのをやりたまえ」

あ~あ、なんかやること決定になっちゃってるよ。

それは、と賢人が加納の顔を覗き込んだ。

「既にある絵の構図を真似たり、オマージュ作品を探したり、ですか?」

「それを更に一歩踏み込んでだな」

加納はふっふと笑った。

「別ジャンルの芸術である、彫刻をモデルとして描かれた絵を探すというのではどうかね?」

は?

ほおう、と賢人が驚いたような声を出した。

「それは初耳ですね。そんなものがある、というか、そんなことが確認されている絵があるんですか?」

もちろん有るとも、と加納がタブレットを取るとそれをスクリーンに繋いだ。

すぐに一枚の絵(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/30/Peter_Paul_Rubens_-_The_Descent_from_the_Cross_%28Antwerp_Cathedral%29.%2C_c._1613.jpg)がスクリーンに映し出される。

それを見た途端、七海は頷いた。

「この絵知ってます。確かエロ・・『ネロ少年が見たがっていた絵』ですね?」

「ちゃんと名前で覚えたまえ」

これは、と体ごと振り返った賢人がスクリーンと加納の顔を見比べた。

「これはルーベンスの『キリストの降架』ですね。ほう、これってモデルとなった彫刻があるんですか」

そうだ、と加納がタブレットを操作する。

「これがルーベンスがそのポーズを真似たと言われているバチカン美術館所蔵の『ラオコーン像』(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bd/Laocoon_and_His_Sons.jpg)だ」

その彫像の写真をじっと見つめた七海は、困ったように天井を見上げて少し考えたが、すぐに一つ頷くと自らのスマホを取り出して操作した。

そしてその画面をじっと見つめた後それを加納に向ける。

「あのう、お言葉を返すようですが、真似たってわりにはあんまり似てないんじゃないですか?ほら」

とスマホの画面の一点を指さす。

「手だって、キリストさんは伸びてるのに、ラオさんは曲げてるし」

ふむ、と加納がうれしそうに頷いた。

「それについては面白い話がある」

それはあなたにとってですか?

「実はこのラオコーン像は掘り出された時、右手が欠けていたのだよ」

これ?

欠けていたにしては違和感がないが、誰か修復したのか?

「その発掘に立ち会っていたのが、かのミケランジェロだ」

“かの”と加納が言う限りは、カラバッジョじゃない方のミケランジェロだな、多分。

「その当時の芸術家達は、その欠けた部分はどうなっていたかいろいろと議論したが、ミケランジェロは手は後方の背中に向かって曲がっていたのではないかと推測した」

「それで、このような形に修復されたというわけですか?」

聞いた賢人に、いやいや、と加納がうれしそうに首を振った。

「時の教皇が欠けた部分がどうなっていたかの非公式のコンテストを開催し、ラファエロに審査をさせた。そしてその時は右手は伸ばされた形がふさわしいとされてそのように修復されたのだ。ところが20世紀になってから欠けた右手部分が出土し、それはミケランジェロが主張したように背後に向かって曲げられていた。20世紀半ばになって初めて、現在の形に修復され直したのだよ」

なんでそんな話するんだ?と頭に???を並べて聞いていた七海の隣で賢人が大きく手を打った。

「なるほど!ルーベンスが見た当時は『ラオコーン像』はまだ右手が伸びた状態だったため、その姿を真似てキリストを描いたのですね」

「そのとおり!」

七海は手の中の『キリストの降架』とスクリーンの『ラオコーン像』を見比べた。

ナルホド。

満足そうに頷いた加納はスクリーンの中の『ラオコーン像』を指し示した。

「現在の『ラオコーン像』を見れば、なんとなく似てるな、だけだが、歴史的経過を知れば見えないものも見えてくるというわけだ」

「さすがは部長ですね。いやあ、やっぱり芸術は奥が深いです」

うむう、と七海も小さく唸った。

確かに、この部長は只者ではないな、まあ、いろんな意味でだが。

こうなってくると、沙織のせいで加納が部室に顔を出さないのが惜しいような気もする。

願わくば、と賢人がわずかに身を乗り出した。

「他のエピソードがあれば是非」

うむ、うむと嬉しそうに加納がタブレットを操作した。

「同じくピーテル・パウル・ルーベンスの『セネカの死』(https://livedoor.blogimg.jp/mement_mori_6/imgs/c/a/cae7a464-s.jpg)などはどうかね?」

は?

「あのう、このじい様、セネカっていうんですか、誰です?」

小さく手を挙げながら遠慮がちに聞いた七海に加納が頷いた。

「彼は紀元前から紀元後の時期にローマ皇帝となったネロの師にして相談役だった哲学者だ」

ほら、サキちゃん、と賢人が横から口を挟んだ。

「以前に『キリストの昇架』と『キリストの降架』の絵を見ていた時にクォ・ヴァディスって話したことがあるでしょ?(『だったら』を参照)。それと同名の小説があるんですが、それが丁度ネロが皇帝の時代のキリスト教の迫害を描いたものなんです。キリスト教徒への弾圧のせいでネロは暴君と言われているんですが、その時代です」

くお、くお・・・と眉根をしかめて考えた七海は、おおっ、と手を打った。

「なんかキリストが、弟子が3回嘘をつくまでニワトリが卵を産まないとか予言した?」

「ニワトリが鳴かないです。キリストはそんな養鶏農家が困るような予言はしていません」

白石くんが言うとおり、と加納が頷いた。

「セネカはキリスト教迫害時代の皇帝ネロの相談役だった。しかしネロは弟や母を殺し、妻を自殺に追いやり、師であり何度も助けてもらったセネカにも自殺を命じた暴君だった。あまつさえ、ホメロスがすばらしい詩を作れたのはトロイの町が燃えるのを見たからだ、自分もいい詩を詠みたい、とローマの町に火をつけて燃えるローマを見ながら詩を作り、それをキリスト教徒が放火したことにして迫害した」

暴君の域を超えてる!

「これはそのセネカの自殺のシーンだよ。彼は静脈を切り失血死するのだが、自殺した者は天国に行けないというキリスト教の教えから、ルーベンスは史実に反して医師が静脈を切った風に描いている」

ほうほうと頷いた七海は加納を見た。

「一見、わたしゃ寝たきり老人の入浴介助風景かと思いましたよ」

「それにしてはずいぶんと筋骨隆々とした寝たきり老人があるものですね」

苦笑した賢人が、それで、と加納を向いた。

「当然これにもモデルとなった彫像があるというわけですね?」

そうだ、と加納がタブレットを操作する。

「これが『瀕死のセネカ』(https://cdn.creazilla.com/illustrations/5550869/vieux-pecheur-dit-seneque-mourant-marbre-noir-et-albat-illustration-md.jpeg)だ」

スクリーンに映し出された彫刻を一度見てから自らのスマホで『セネカの死』を検索して見比べた。

「なんか、彫刻の方が貧相な感じですね?」

うむ、と腕を組んだ加納は重々しく頷いた。

「ルーベンスは彫刻のコレクションをしており、これとは別にセネカの胸像の模刻を所有していて顔の辺りはこの胸像を真似たらしい。ちなみに、当時『瀕死のセネカ』はふくらはぎから下の部分はたらいに浸かっているとして彫刻されていないんだと足元にたらいを配して展示されていたそうだ」

これ以上無いくらいどーでもいい知識だな、それ。

ところが、だ、と加納が重々しく言った。

「後に『瀕死のセネカ』は実はその顔立ちからどうやらセネカ像などではなく、アフリカ辺りの漁師の像らしいということになり、現在は『年老いた漁夫』という題で展示されている」

ルーベンスの観察眼て大丈夫か?

どうかね、と加納がうれしそうに七海を向いた。

「調べるといろいろとわかってきて面白いだろう?どうだね、この夏休みはこのテーマで研究してみるというのでは」

謹んでお断りさせていただきます。


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