トルソの男(後編)
え、とその少女は眼鏡の奥の目を見開き、驚いたように七海と早希を見比べた。
「サキって呼ばれてる子が、二人いるんですか?」
うわあ、といいながら手で目を覆った七海が俯く。
「なんかこれ、デジャブだわ。もう悪い予感しかしないわ」
「サキちゃん、て呼ばれてる子でしたら、こっちです」
言った賢人が返す刀で早希を指差す。
「そっちは名前は早希ちゃんですが、チイちゃんと呼ばれていますから」
ええっ、と眼鏡の少女は眉をしかめた。
「なんでそんなややこしいことになってるんですか?」
なんなんだよお前、昨日の奴に言われて来たのかよ!と叫んだ七海を制しながら、賢人が少女に頷きかけた。
「それで、サキちゃんに何の御用で?」
あ、と言いながら俯いた少女は頬を赤らめた。
「あ・・あの・・・」
「はい?」
「昨日、あの、男の子が、サキさん訪ねてきましたよね?」
なぬ?
「・・あの・・・だから・・ええと・・・」
なるほど、と頷いた賢人がにっこりと少女に笑いかけた。
「そういうお話でしたら立ち話もなんですから、こちらにどうぞ」
なんなんだよ、その、面白いおもちゃが降ってきた、と言わんばかりの顔は!夏樹さんも!
いや・・あの・・・その・・・
無理やり大机に向かう椅子に座らされたその少女を、隣に座った環奈が指示した。
「改めて紹介します。絵画鑑賞部一年生の、ミワちゃんです」
ん?と言いながらじっとその顔を見つめた七海と早希が突然手を打って笑った。
「ほんと、ミワ“ちゃん”て感じだわ」
「ほんと、顔立ちといい雰囲気といい、まさしく三輪さんの小型版だわ。誰がつけたの?上手いなあ」
そういやさあ、と早希が環奈に向かって身を乗り出した。
「サキちゃんに聞いたけど、三輪さんてけっこダメダメ人間なんだって?しょっちゅう受験勉強抜け出してきたりしてさあ。いやあ、意外だわ。あの見た目に騙されたよ」
あのう、と少女が早希と七海の顔を見比べた。
「さっきから出てる、三輪、が三輪道子のことでしたら。その、姉なんですけど」
は?と言いながら二人が顔を見合わせた。
しばらく見つめ合った後、突然早希が手を打ちながら、いやあ、愉快愉快!と叫んだ。
「おい、それで胡麻化したつもりかよ!」
あ、いえ、とミワが慌てて手を振った。
「あの、いいんです。姉は、あんな見た目してるくせに本当に」
と俯く。
「ダメ人間なんで」
「いや、いくらなんでもそれはないでしょ。身内でリラックスしてる姿見てるからそう見えるだけでしょ?」
いえ、と俯いたままミワが続けた。
「姉の部屋って最近きれいなんですよね」
「まあ、几帳面で綺麗好きな感じだよね」
いいえ、とミワが首を振った。
「以前は散らかり放題の部屋で平気でゴロゴロしてたのに、受験勉強が本格化するころになってからやたらと部屋の掃除をするようになって。もう掃除するところがないのに、まだ本を並び替えたりとか・・」
やっぱダメ人間だった!
まあまあ、と割って入るようにして賢人がニコニコと手を振った。
「興味深い話題ではありますが、それは次の機会ということにして」
にっこりと、その顔がミワを見つめる。
「今日は、昨日ここを訪ねて来た少年、加藤くんのお話ではなかったですか」
そうだった、あいつのことなんか思い出したくはなかったが、何の用だ?
いや・・あのう・・そのう・・と真正もじもじちゃんが再び俯く。
「恋、ですか?」
はあ?
にこにことしながらもずばりと言い切った賢人に、かあっと、ミワの首から耳までが一気に赤くなる。
おいおいっ!と早希が叫んだ。
「いや、あんた変だよ・・・って、いえ変ではありません恋ですって、突っ込みが入りそうだけどやっぱり変だろ!」
「落ち着けチイちゃん。錯乱するな」
「だってあいつのこと好きって、変だろ?逆にサキちゃんこそなんでそんな落ち着いてるんだ?」
「いや、思いっ切り突っ込みたいんだが、頭ん中真っ白で何も思いつかん」
「私より重症だな」
まあまあ、と二人に向かって手を振った賢人がにっこりと俯いたミワの顔を覗き込む。
「彼、結構ハンサムですし、雰囲気もカッコいいですもんね」
恥ずかしそうに頷いたミワは、すぐに慌てて首を振った。
「そ、そういうとこじゃないんです。私、あの、彼とは中学校で同じクラスだったんですけど、その、内面的にもすごく素敵な人なんです」
「ほう、例えば?」
「ともかく自分に正直というか、嘘のできない人なんですよね」
「まあ、確かにそれが彼の持ち味というか、キャラそのものと言えるかもしれませんね」
「そして一本気で自分をしっかり持っていて」
「ふむふむ」
「だからと言って頑固一徹というのでもなく、人から過ちを指摘されれば素直に教えを乞うたり」
「ありましたね、わかります」
「先生や先輩にも礼儀正しく接して、かと言って変に媚びてるわけでもなく、おかしいと思うことには目上の人にでもハッキリという」
「言いそうですねえ、彼なら」
不思議だな~、と早希が遠くを見つめる目つきで言った。
「なんか私まで、あいつすげえいい奴に思えてきたよ」
「恋する乙女の色眼鏡に騙されるなよ、チイちゃん」
だから、と賢人がそれ以外の表情がないのかと思うような笑顔で頷いた。
「だから、そんな素敵な加藤くんがサキちゃんていう女の子を訪ねて来たので、気になってやってきた、とこういうことでいいんですかね」
「言っとくけど、私あいつと何にも関係ないからね」
七海はミワからそっぽを向くようにして素っ気なく言った。
「お願いだから、変な誤解して言いふらしたりしないでね」
えっ、と言いながらミワはうれしそうにわずかに身を乗り出した。
「そうなんですか?」
言いながらも、その目がわずかに不安そうに他の面々を見回す。
う~ん、と言いながら夏樹が首を捻った。
「まあ、そう言っても間違いないかなあ。少なくともサキちゃんは加藤くんのこと思い出したくないくらい嫌ってるし」
「そうですねえ、加藤くんもサキちゃんに対してはっきりと嫌いと言い切りましたしねえ」
そうなんだ、とほっとしたような嬉しそうな顔でミワが俯く。
そうそう、と早希が頷きながら言った。
「加藤の愛してるのはサキちゃんのごく一部だしねえ」
え、とミワの顔が引きつる。
「あ、あの、加藤くんが言ったんですか?あの、サキさんのこと愛してるって?」
「言った言った。愛しい存在とかナントカ。ねえ、サキちゃん?」
「チイっ、てめえわざと誤解するように言ってるだろ!」
「でも本当だよねえ、ねえ、賢人さん」
いや、と賢人が苦笑する。
「まあ、確かに言ったような、言わないような、ただね、ミワちゃん」
青ざめた表情で唇を噛み締めて俯いたミワに、賢人が憐れむような視線を向けた。
「サキちゃんのことはどうあれ、ぼくにはあなたには、その、可能性がないと思うんですよ」
「可能性?」
驚いたような声を上げながらミワが激しく瞬きしながら賢人を見つめた。
「あの、可能性って、なんの?」
「加藤くんとのことです。その、大変言いにくいことではあるのですが」
言いながら賢人はミワの“一点”を見つめた。
「あなたは、ない人、なんですよ、ミワちゃん」
ない?とミワが素っ頓狂な声を上げた。
「ないって・・・わたし、何か足りませんか?」
「いえ、足らないとかそういうのではなく、ない、んですよ」
そうねえ、と言いながら額を押さえた夏樹が沈痛そうに首を振る。
「残念ながらねえ」
はあ?とミワが甲高い声をあげた。
「あの、何のことですか?一体私に何がないとおっしゃるんですか?」
早希がため息をつきながらやれやれと首を振った。
「つまりね、ミワちゃん。あんたセーブツなわけ。わかる?セーブツ?」
「いや、それだけじゃなんのことかわからんだろ、絶対?」
生物?!とミワが再び頓狂な声を上げる。
「いや、確かに私、生き物ですけど?」
「いや、イキモノじゃないの、セーブツなの」
「同じでしょ?」
「いや、違うっしょ、全然違うっしょ。似てるけどモネとマネくらい違うっしょ」
「一般人にも分かる例えを使えよ!」
「環奈ちゃん、なんなのこの人達?」
ふう~~っとため息をつきながら環奈が大仰に肩をすくめてた。
「あのね、考えちゃだめ」
「は?」
「ここはね、何故?、とか、どうして?とか考えちゃいけない場所なの。こういう場所だって受け入れるか、去るしかない空間なの。今日はまだましよ、一番ややこしいのがいない分」
早希が腕を組んで瞑目するとうんうん頷いた。
「カンちゃんもついにその境地に達したか、いやあめでたい」
「んだんだ」
「どのドアから出れば元の空間に戻れます?」
「あんたも結構ノリいいね?」
まあまあ皆さん、と少し声を大きくして賢人が一同を見渡した。
「みんなが一度に喋ってもミワちゃんが混乱するだけでしょう。ここは一つぼくに任せてください」
おおっ、と七海が小さく拍手する。
「確かに、ここは賢人さんの出番ですな」
「お手並み拝見いたしましょう」
ミワを向き直った賢人は優しく彼女に頷きかけた。
「いいですか、ミワちゃん」
「は、はい?」
その指が真っ直ぐに夏樹を指差す。
「ある人、なんです」
「はあ?」
返す指が早希を指差す。
「ない人、なんです」
「わかっちゃいるけど改めて言われるとムカつくな」
さらにその指が巡って七海を指差す。
「ある人、なんです」
最後にミワを指差しながら、その口調が残念そうに俯く。
「そして、ない人、なんです、残念ながら。わかりましたか?」
「いえ、全然?」
ふうむ、と賢人が顎を撫でながら考え込む。
「しっかりしろ~~、賢人さん!」
はい、と言った賢人がタブレットパソコンに手を伸ばす。
「ここは一つ、絵画鑑賞部らしく絵で説明をさせていただきましょうか」
なるほど、と言いながら、夏樹がいつもの巨大スクリーンの電源を入れ、皆がそれを振り返る。
すぐに目的の絵を見つけたのだろう、画面に一人の女性の立ち姿の肖像画が映し出される。
「ミワちゃん、見てください」
言いながらにっこりと画面を指し示す。
「これはフランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルターの『フランス皇后ウジェニー』(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d7/Empress_Eug%C3%A9nie_in_Court_Dress_%28after_Winterhalter%2C_Compi%C3%A8gne_IMP25%29.jpg)です」
ミワは黙ってその絵を見つめた。
「彼女はその美貌を見初められフランス皇帝ナポレオン三世の妃となります。同時に、クリノリンの女王とも称えられた当時のファッションリーダーでもありました」
「クリノリンて?」
聞いた早希に、なんといいますか、と賢人は少し考えた。
「骨組みで無理やり広げたスカートのお化けのような」
「なんでお化けまとってる奴がファッションリーダーなんだ。ハロウィンの仮装か?」
「また脱線しますんで、ちょっと黙ってていただけませんか」
そう言った後、賢人はミワを振り返り大仰に目を剥いてみせた。
「しかし、そんな彼女ですら、ない人、なんです。いえ、本当は、ある人、かもしれないんですけど、少なくともこの絵では、ない人、なんです」
「はあ?」
「そしてこれが」
画面が切り替わる。
「クエンティン・マサイス『醜い侯爵夫人』(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/36/Quentin_Matsys_-_A_Grotesque_old_woman.jpg)です」
おおっ、と早希が叫んだ。
「なんて凄まじい破壊力のビジュアルだ!」
「ほんと!賢人さんこんな絵があるんならなんで早く教えてくれないんですか!」
「なんでこの絵についてだけ報告を求められなきゃならないんですか?」
ため息をついた賢人はミワを向き直った。
「これ凄い絵でしょ?でもこんな彼女でも、ある人、なんですよ。もうわかりましたよね?」
眉根をよせてしばらくその絵を見つめたミワは、はっと息を飲んだ。
「もしかして、この人は外見は醜くとも公共のために尽くした善意の人では?つまり、ある人、とはその外見が醜悪でも内面に輝くものを持っているという意味で、私にはそれがないと?」
おい、と七海が半眼になった。
「さっき賢人さんが実際にここにいる人間を引き合いに出してたのを忘れたのか。今のは多方面に問題発言だぞ」
はあ、とため息をついた賢人が首を捻った。
「困りましたね。どうすれば伝わりますかね」
「もういいじゃん、はっきり言っちゃえよ賢人さん」
え、と早希の声にさすがの賢人も顔をしかめた。
「男のぼくからそれはさすがに・・ミワちゃんも傷つくでしょうから」
もういい、と七海が立ち上がった。
「思い出したくもない“あいつ”関連で、もう時間取られたくない!私が言っちゃる!」
「おおっ、ついにサキちゃんが立ったか!」
いいっ?と叫びながら早希がミワの顔をびしっと指差した。
「ないの、あんたはないの?わかる?」
言いながらミワの胸の前辺りの空間を掌で撫でた七海はその手で自分の胸を押さえた。
「あるの?いい?わかった?」
しばらく不思議そうに七海の顔を見つめたミワは、自分の胸を見下ろし、七海の胸を見た後、両手で自分の頬を押さえて眼を見開きながら、ええええええっ!と絶叫して立ち上がった。
「もしかして、加藤くんて巨乳好きっ?!」
「こいつ言いやがった」
「ああ、ここまでみんな遠慮して言わなかった“専門用語”あっさりと口走りやがった」
ええっ、ええっ、と狼狽したようにミワは両頬を押さえたまま首を振った。
「加藤くんが巨乳の女の子好きだったなんて、ショック・・・」
いや、と半眼になった七海が手を振った。
「そこは声を大にして訂正させて欲しい。あいつは別に胸の大きな女好きじゃないから」
ええっ、とほっとしたようにミワが七海を向いた。
「嘘だったんですか?」
「いや、嘘じゃないんだよ。あいつ、大きな胸大好きだよ。はっきり言ったよ」
「だったら、やっぱり巨乳の女の子が好きなですね?」
「いや違うんだよ。あいつは単に大きな胸が好きなだけなんだよ!」
「だったらやっぱり巨乳好きなんじゃないですか!」
「いや、そうなんだけど、あんたが思ってるのとは違うって言ってるんだよ!」
「何が言いたいんですか!はっきり言ってください!」
「だっ・かっ・らっ!あいつは大きな胸“だけ”が好きなんだよ!」
「だから!つまりそれは巨乳じゃない子は好きじゃないってことですよね?」
「そーじゃねえんだよっ!ああっもうっ、なんて言えばいいんだよっ!」
確かに、と賢人が腕を組んでうんうん頷いた。
「彼の嗜好は常人の理解の範疇外ですからねえ」
「口挟むんなら賢人さん説明してやって」
「ぼくの日本語の語彙力では無理だと思います」
なんかさあ、と環奈が皆を見回しながらぽつりと言った。
「なんか私、わかったような気がする。チイちゃん」
言いながら手招きした環奈が、立ち上がって机の上に身を乗り出した早希の耳に首を伸ばして数言囁く。
おおっ、と手を叩きながら早希が環奈の顔を指差す。
「それ!正解!ねえ、理解できたんならカンちゃんから説明してあげてよ」
無理、と環奈が両手を上げた。
「常識人のミワちゃんの理解の範疇を超えてるわ」
「ついに自分で非常識人と認めたか」
えええっ、と再び両手で頬を押さえたミワがおろおろと一同を見回す。
「なんなの?どういう意味?一体私に何が起こっているというの?」
「教えてやる。別にあんたにゃ何も起こっとらん」
「ミワちゃん」
呼びかけながら環奈が立ち上がった。
「もう帰ろうか」
え、とミワが環奈を振り返った。
にっこりと笑いながら、ね?と環奈が頷きかける。
「急にやってきたのにみんなでこれだけ時間とってくれたんだよ。これ以上は迷惑でしょ?説明しきれるかわかんないけど、帰り道で私が話してあげるから」
あ、と俯いたミワは寂しそうに微笑みながら絵画鑑賞部の面々を見渡した。
「そうですね。すみませんでした。なんか、いきなりやってきて、私、自分の言いたいことばっかり勝手言って」
「いえいえ」
と賢人がうれしそうに首を振った。
「結構楽しい時間でしたよ。これに懲りなければ、また遊びにきてください、あ、三田さんもね。ねえ、チイちゃん、サキちゃん?」
早希がオッケーとニコニコと手を振り、七海もわざとらしく渋面を作りながらも親指を立てる。
ありがとうございます、とミワは深く頭を下げると環奈に促され美術準備室を出て行った。
扉が閉まるのを待ってから、四つの口から同時にため息が漏れる。
「見た目もかわいいし、素直だし、いい子なんですけどねえ。まあ加藤くんもあの性癖以外はいい人ではありますが、彼のあの性格からしてミワちゃんはやっぱり望み薄でしょうねえ」
「惚れた相手が悪かった、てか?」
「まあ、アル中やギャンブル狂でないだけマシかもしれませんね」
アル中やギャンブル狂の高校生てどんなだよ?
「よっ、おはよ」
翌朝、校門のところで環奈を見つけた七海は早速駆け寄って声をかけた。
「結局あの後どうなった。ミワちゃん理解できた?」
「無理」
と環奈ははっきりと言い切った。
「概念としては理解できても、心情的には理解不能らしい」
まあ、そうだろうな。
「けど、とりあえず帰りに本屋寄って、バストアップエクソサイズ、みたいな本買って帰ったよ。まあ、なんだかんだ言って強いよ、あの子も」
「へえ~」
「驚いた?」
「うん、そんな本売ってるんだ?」
「そこかよ」




