9-7 赤き雨の地の偵察(1)
『なーんで、いっつも蜘蛛型なんでしょうね。もっとカワイイのが出てきても良いでしょうに』
ルイの耳にタマの声が響く。
『血蜘蛛はまあいいとして~。遺跡の警備ロボットって、いっつも蜘蛛型ですよねえ。んで、《弱き者の王》は蜘蛛の親玉ですかあ。まだ確定じゃないですけど』
この状況において、どうでも良い雑談にリンが反応する。
「あれ、誰か言ってなかったっけ? 蜘蛛ってどこでも生き延びるって。そういうところ、カストディアンは好きなんじゃない?」
『それ言ったの、ルイです。農場の地下で』
「そう、そうだった。きっと、そうだよ。カストディアンは蜘蛛好きなんだ、うん」
『私とは古い親戚のようなものみたいですけど……あんまり仲良くなれそうにないですねえ』
「親戚なんて、そんなもんだよ。あっ、そうだ」
リンが何か気がついた仕草で背後を覗き見る。ルイもつられて後ろを見た。そこでは、青空の下、岩の上でレネーが寝転がっていた。相変わらず、最近は特によく練る。
「レネーって、もしかして蜘蛛が好きだったりする?」とリン。
「そんなわけねえだろ」レネーは目を閉じたまま、ぶっきらぼうに答える。
「あ、やっぱり嫌いなんだ」
「好きも、嫌いもあるか」
「なーんだ」
実に、物凄くどうでも良い会話だ。ただ、咎める気にはならない。緊張する場では冗談も必要だ。そう思い視線を前に戻すと、そこにはサクヤとヤグラがいた。二人は真面目に前方を見つめている。
ヤグラはともかく、サクヤが話に乗ってこないのは真面目な性格だから、というわけでもない。もう長く共に暮らしているから、サクヤもよく雑談に入ってくる。特に彼女は好奇心がとても強いので、こういう話は大好きだろう。
ただ、いま会話に乗ってこないのは、無線通信で話しているからに過ぎない。ルイとリンは機動戦闘服の機器で、レネーは体内の機能で通信をしている。
ルイは少しだけ、匍匐前進で前にでる。すると目前が大きく開けた。
ルイたちは少し小高い崖の上にいた。周囲はゴラムの地だから、岩ぐらいしかない。
「これで三体目か」
ルイがライフルの照準を覗き込む。今のライフルは長距離狙撃形態、視認できる距離は2キロメートルほど。そこには白っぽい肉の塊のようなものがあった。
虫というより、人皮蜘蛛とでも呼ぶべきか。聞いていたとおり、いかにも硬そうな少し黄ばんだ脚が4本。前方には、だらんと垂れ下がった細い腕が2本、手の先は蹄よりもっと大きく二股に分かれているから物を掴むことができるだろう。
気味が悪いのは胴と頭部だ。普通の蜘蛛の体は、前部と後部に大きく分かれているのだが、この蜘蛛にはそれが無い。しかも、体表に毛が無く滑らかだ。普通、虫というのは骨が無い代わりに硬めの外骨格を持っている。だが、あの体はどうだ。まさに人間の皮膚や腱に近しいようにしか見えない。人の背の中央にあたるところが太く盛り上がっていて、背骨があるようにしか見えない。
さらには頭部も人に似ている。首こそないが、丸く皮膚で覆われている。だから、この蜘蛛を表面から見ると、猫背のスキンヘッドの大男が大きい四脚を装着したような存在に見えてしまうのだ。
「気持ち悪いな……」
ルイの口から思わず声が漏れる。見ればみるほど、蜘蛛らしさが無く、人由来の要素が大きいことに気づかされる。
この蜘蛛は群れる、数十体の大群で襲い掛かるという。実際、先ほどは二体が寄り添うように歩行していた。多くの蜘蛛は群れない、縄張りの概念があり巣を持って単独で暮らす。数で攻めるなんてことはしない。
照準を最も近い個体へと切り替えて、人皮蜘蛛の頭部を観察する。人間の眼と似たところに主眼があり、耳があるあたりに三対の合計6個の単眼が付いているのが、さらに気持ち悪い。瞳からは知性を感じることはできない。
知性が無いというのは印象に過ぎないが、長年対峙してきた岩肌族としてもアレに知性があるとの認識は持っていないとヤグラは言った。だとすれば、本能だけで動いている。視覚や他の感覚で人型生物を見かけると襲い掛かる。しかも、群体としての強い感覚を持つから、自己の損傷は無視する。群れに利益があるなら、躊躇なく自分を捧げる。……いや、そんな高度な思考などなく、ただ見境なく襲い殺し喰うだけなのかもしれない。
あれから詳しくヤグラに話を聞いたが、どうやっても人皮蜘蛛と会話できる余地など見出せなかった。脚が速いから、会ったが最後、どちらかが死ぬしかない。今回は、バギーで逃げるという手もあるかもしれないが、仕切り直しになるだけだろう。
未知の生物に対して先入観で判断するのは危険だが、それでも長年の岩肌族の知恵を使って確率の高い策を見出さねばならない。攻め込まれてからだと交渉はより困難になるだろう、そしてあれらに攻め込む意図などないと断じることは出来ない。
それにしても、人の遺伝子と肌を持ち人を喰らう蜘蛛型生物とは。これを好む者など居ないだろう。仮に、仮にだが人の遺伝子を野生の中に残すという発想に全面的に賛成したとしても、目の前の生物を肯定する気には到底なれない。それほどにまでに強い嫌悪感を覚える。
これに比べたら、食人を文化とした次世代計画の第一世代など可愛い……わけはない。あれもあれで同じぐらい酷い。むしろ人型でないから殺すのに躊躇するこがないから――。
ルイは考えを止めて頭を振った。殺すことを前提に思考を進めてしまっている。それではいけない、砂漠のカストディアンの言葉を信じるならば、あれは交渉相手の一派なのだ。だが、どうにも気が進まない。どうしてあんな形と生態なのか。
葦原社会は異星系文明を極度に警戒しているだけあって、異星人が出てくるホラーSFは割と人気がある。あれは確か地球時代のものだったと思うが、人が嫌悪してやまない昆虫が他の惑星で人型に進化して人を襲うという作品があった。細かな内容までは覚えていないが、その昆虫は視界に入るだけでなく名前を聞くだけでも不愉快になる存在であり、だからこそ人間は反射的に殺そうとする。そして、実はその昆虫人間も同じぐらいに人の姿を嫌悪していて、激しい殺意が覚える。そんな設定であった。
もしかしたら、あの人皮蜘蛛も人間が大嫌いかもしれない。少なくとも岩肌族は駄目だ。何世代にも渡って殺しあっているから、きっとどうしようもない。でも、長身族や耳長族なら嫌いにならないでくれるだろうか。ほとんど似ていても蝶は美しく、蛾は不気味と感じられるように――。
そんなことを思っていると、突然周囲だけが暗くなった。遠くは明るいままだ。 咄嗟に空を見上げると、そこには大きな翼があった。
「やあ、失礼するよ」
そう言って降りてきたのは、ジャミールであった。続けて、もうひとりの有翼族も降り立つ。その者は目立つ風貌をしていた。ジャミールのように顔貌が美しいのではない。むしろどんな顔か分からない、鷲のような鳥を象った仮面を被っているからだ。
「何か見つかったかな?」とジャミール。
「虫を何匹か見た」ルイは答える。だが、空を舞う者に伝えられることなどほとんどない。「それぐらいだ」
ジャミールは昨夜、昼頃までに人皮蜘蛛がやってくる赤い雨の血を調査すると言った。結果を聞いてからどう動くか決めたら良いのでは、とルイに提案した。ただ、ルイは待たないことに決めた。同じく早朝に出発する。地上から出来るだけ見てみる。昼になったら合流しよう。そう提案し、ジャミールは了承したのだった。
「まずはご無事で何よりです。殿下のほうはいかかでしたか?」とサクヤ。相手は友好国の王族、外交官として非礼はできない。
「赤い雨は大丈夫だったのか?」とルイ。本当は領主こそ丁寧な物腰が必要なのだが、戦友ならばそう接してくれ給え、とジャミールから言われている。
「ああ、問題ないよ。あれが酸性雨でないことは、ずっと昔に岩肌族の勇敢な戦士たちが確認済みさ。それに、俺は偵察させてもらえなかった。まったく退屈なことだ」
そう言うとジャミールの隣に降り立った、鷲仮面の有翼族が口を開く。
「殿下には、万が一の事があってはなりません」
「ケチくさいな」ジャミールが突っかかる。「奴らは飛び道具を持たない。なら安全じゃないか」
「お父上のご命令にございます。それに、もし何かあれば我らが死をもってしても償いきれません。殿下はバルタンの至宝にございます」
「ったく、心配性だな」
部下の男の言うことが完全に正しい。(男であることは声と体つきから分かる)ルイはそう思った。最有力の後継者候補が偵察に出るなど正気の沙汰ではない。ジャミールは実物を見ないと気が済まない性格であるとはいえ。きっとこの先ずっと、バルタンの官僚に平和な日々が訪れることはないのであろう。
「実は、俺もさっきコイツと合流したばっかりなんだ。みんなと一緒に報告を聞きたくてな。じゃ、頼んだぞ」
「……はっ」
鷲仮面の男は背筋を伸ばし、優雅に手ごろな岩のひとつに腰を下ろした王子を見下ろしながら言った。僅かに反応が遅れたのは溜息だろう。本当はこんな前線にすら来て欲しくなかったはずだ。
「ご報告いたします。赤き雨の地を僅かな時間ではありますが、上空から観察いたしました。結果、中心地と思わしき場所を発見いたしました」





