9-6 再びゴラムの地へ(3)
岩肌族の女司令官らしき人物が問う。
「ルイ殿。どこで、この状況をお知りになられたのですか? もしや――」
既に彼女は沈着冷静になっていた。おそらく彼女はどんな状況でも沈着冷静なのだろう。そう思わせる迫力が彼女にはある。それでも、彼女の瞳の奥には、隠しきれぬ焦りがあった。あるいは恐怖か。
「あ、いや、大丈夫です。他のところでも大変になっているとか、そういう事ではありません」
「そうですか。ですが、どうやってここまで早く――」
ルイが反応するよりも早く、すぐ横のサクヤがと割り込む。
「ご容赦を」
アマテラスの外交を司る彼女がそう言えば「知ろうとすれば外交問題になる」という意味になる。
「……承知した。実に素晴らしい情報網をお持ちのようだ。さて、どこからお伝えすれば宜しいか?」
「最初から」サクヤが答える。「出来るだけ詳しくお願い致します。私達が知っているのは、虫が来たということだけなのです」
サクヤの言葉を聞いた巨躯の女は溜息をついた。続けて。
「事ここに至っては仕方あるまい。アマテラスならば、神聖法廷の認定悪魔殿ならば、と女王もお許し下さるだろう」
認定悪魔とは随分と久々に聞いたが、ルイは思い出す。初めての謁見の時、サメルサダ女王は確か言っていた。祝福騎士を一人斬り殺したことで悪魔の手先と呼ばれている、奴らに悪魔呼ばわりされるのは栄誉だ、と。ルイとサメルサダは悪魔仲間のようなものなのかもしれない。
「虫、をどこまでご存じか」
「いいえ、まったく。虫についてはヤグラも軽々に答えません」とサクヤ。
「……虫とは」
岩肌の女が途中で言葉を止めてヤグラを見て、静かに頷くのを確認して続ける。
「岩肌族の仇敵である。前の王、その前の女王、それよりずっと前から続く災厄だ。奴らは、ゴラムの地の南、赤い雨の降る地からやってくる。姿は蜘蛛に似る。四本の脚と二本の手を持ち、肌は長身族や耳長族に似て白く柔らかく、体毛はほとんどない。変化した人にも見えるが、虫だ。奴らは……なんでも喰らう。初めて遭遇したのは、五代前の御代だ。始め、辺境を警備していた兵が居なくなった。捜索に送り込んだ戦士たちもすべて居なくなった。その後、王が自ら出向かれた。王と軍勢は奴らを発見し、その大半を屠った。だが、その先、赤い雨が降る不気味な地へと踏み込んだ時、ひとりの男が現れた。そいつは二本の足で立ち、手には一本の槍を持っていた。捜索隊の隊長の得物だった。王は激情に駆られ、勇敢にも斬りかかった。だが、その男は王の前に立つと瞬く間に心臓を貫いた。そして王は――」
武骨な女の手が強く握られ、震える。
「裸の蜘蛛どもに喰われた。近衛兵のほとんども死んだ。それ以来、奴らと我らは奇妙な膠着状態を続けている」
「奇妙……とは?」
サクヤが慎重に尋ねる。王の惨敗という、おそらく岩肌族が最も触れられたくない恥辱の歴史に足を踏み入れている。
「奴らは、赤い雨の地の周辺を縄張りにするも、積極的に攻め込んでくることは無かった。だから、次代の女王は念入りに準備して戦いに臨んだ。まず我らの地に踏み込んだ奴らを一匹残らず根絶やしにした。それから注意深く雨の地に足を踏み入れた。すると、我らとほぼ同数の奴らの群れが現れた。賢明な女王は一度退いて、今度は複数の小隊に分けて攻め込んだ。すると、どの小隊も同じ規模の群れに遭遇した。女王の隊の前には必ず男が居た。何度繰り返しても同じだった。隊の数に応じた大きさの群れが現れる。女王が居たら男も現れる。いくつかの隊は、勇敢に戦った。そして何匹も斬り伏せた。そのうち、気が付いた。戦士の誰かが敗れ、群れに連れ去られると、翌日の敵は一層強くなっている。我らのような硬い皮膚を持つ個体が増えるのだ。そして、奪われたうち最も優れた槍が、男の手に握られる。……奴らは我らの力を奪っている。激怒した女王は、真に強き戦士だけを率いて攻め込んだ。そして……男に敗れた。女王こそ奪われなかったが、代わりに何人もの戦士を失った。奴らはさらに活力を増した。ともかく簡単に攻め込むことは出来なくなった。以来、我らは仲間を奪われないようにしながら、彼の地を探索し続けている。何たる屈辱か! 戦場において死を恐れなければならぬとは!」
「虫は我らの恥そのもの。軽率に口にはできない」
激した司令官に変わってヤグラが静かに告げる。誰もが静かに頷いた。
戦場での勇敢さを尊ぶ岩肌族が、全力で戦えず、被害の最小化を前提とした作戦行動を強いられているのだ。二人も王を倒された後、何代にも渡って。誰にも知られたくないのは分かる。特に、北方の神聖法廷に知られる訳にはいかない。二正面作戦に陥っているとが分かれば不利になる。
さらに考えてみれば、虫の災厄が岩肌族社会に深刻な影響を与え続けてきたことも分かる。何しろ、異性への好みにも影響を与えているのだ。攻め込めば同数の敵が現れる。ならば、対策は戦士の質を高めることに尽きる。弱兵は敵を利するのみ――言葉には誰もしないが良質な食料として。だから、強い子だけが欲しい。
虫は《戦士の文化》の根底にもなっている。戦うことを尊ぶ、弱い者は戦士としての誇りと地位を失って農地で生涯を終える。食事は味より栄養が最優先――動物の血と肉を酢と塩で味付けしたゴラム名物の茶色いスープは思い出すだけで吐き気を覚えるほど。唯一優れたる味覚は飲料、蒸留酒と茶のみ。その他、武術以外の娯楽なし。
それに、ヤグラを含む多くのゴラムが使う板剣にも影響している。巨大な平たい板のような剣で、とんでもなく重い。ルイは以前、軽々と持ち上げて岩肌族の女たちの熱い視線を浴びたが、機動戦闘服の出力を上げなければ無理だった。
しかも、普通の剣は先が細くなっているものだが板剣が逆に切先のほうが幅広い。さらには手首を守る鍔すら無い。つまり、手元が軽く、剣の先端側に重心がある。こんな剣を不用意に振ったら、すぐ体ごと持っていかれる。実戦で扱うには、腕力だけでは到底足りない。振り切るには下半身の支え、腰のひねりが万全でなければならず、強力な遠心力で流れる剣体を引き寄せるには強固な背筋が必要だ。
何故、岩肌族はこんな扱いにくい剣を好むのか、長く疑問に思ってきた。人を斬るには大きすぎる、重すぎる。大きく重いのは戦士の誇りだからとしても、相手の剣から手首を守る鍔がないのは非合理だ。だが、目の前の指揮官が語る、裸の蜘蛛の生態を細かく聞けば分かってくる。
「背は腹のあたり(岩肌族の基準だからルイの胸あたり)、体躯そのものは一般的な岩肌族の男より少し大きく、力も強い。二本の前脚は強力で、薄い鉄鎧など安々と貫く。その脚の前部についた細い腕が厄介で、矢から頭部を守り、槍の穂先を払う。生命力は高く、腕や脚を斬り落としたぐらいでは攻撃を辞めない。相打ち上等とばかりに突撃してくる」
虫を倒すには、小さな武器でチマチマ攻撃しても駄目なのだ。重い何かで、叩き潰さねばならない。となれば板剣は最適だ。その重い振り下ろしは、払うことも、防御も不可能。射程に捉えれば、即座に頭と背を粉砕できる。幅広だから何度斬っても壊れない。そして槌より軽い。
この武器は剣に見えて、斧に近い。そして虫を殺すために最適化されている。
板剣を多くの戦士が使う。つまり、岩肌族の武芸も虫を殺すことが大前提にある。
食事、繁殖、戦い方。岩肌族社会のすべてが、虫に対処するよう構成されている。葦原社会が、異星系文明の脅威に怯えているのと少し似ている。
「それぐらいでいいだろう、何が起きた?」
虫のことは当然知っているヤグラが先を促す。
「虫の大群が現れた」と、司令官。「最近、我々は攻め込んでいないのに、だ」
「原因は?」とヤグラ。
司令官は視線を下げ、頭を振る。
「兆候は何もなかった。定期報告はすべていつもと同じ。気温、雨の濃さ、風。間引きも、今まで通りだ。30日ほど前にも大規模な狩りをやった。少し多く仕留め、何人か死んだ。その前も、その前も、今まで通りやってきている。連れ去られた者も、最近はかなり少ない」
「……難しいな」
「そうだ、ヤグラ。調査しようにも糸口が無い。数が増えたのなら、まず疑うべきは奴らの食料事情だが、豊かになっているはずがない。近づくあらゆる野生動物を狩り続けている。陸の孤島のようなこの場所では魚は無理。普通の虫でも大量発生したのか? そんな報告はない。水が足りるようになった? 奴らの地にはあの赤い雨がある、ずっと足りている」
「ならば、何を指揮している?」
「防衛だよ」
ヤグラは小さく溜息を吐く。
横で聞いていたルイも、すぐに察しがついた。暴走だ。つい少し前に、大量の死虫人を見てきたのだ。
「奴ら、まだまだ数を増やしている。雨の地の周辺だけじゃない。紅い雨の地にも、多くの虫がうろついている。決死隊がそう報告してきた。今までに無かったことだ。首都の中央軍を南方軍へ移している。ここで止めなければならない」
司令官の表情は暗い。当然だ。軍で攻め入ると同数の虫が出てくるということは、もともと虫の数はかなり多い。それが溢れているともなれば、現時点におけるゴラム南方軍(おそらくは虫対策の軍)を上回る可能性がある。もし南方軍が敗れれば、大量の食料を与えることになる。岩肌族の食料、家畜、そして軍民問わず岩肌族自身がそうなる。
満腹になって力を増した彼らが北部へ押し寄せてきたら? 首都の中央軍と神聖法廷に睨みを利かせている北方面軍で勝てると言えるか? 答えは「分からない」であり、「少なくとも神聖法廷はゴラム国内の混乱を確実に知る」だ。
虫と神聖法廷の騎士、両者に挟撃されたとしたら。今、ゴラムの滅亡が現実味を帯びてきているのだ。
*
一通り話を聞いて、用意された客間に腰を落ち着けたルイに向かってジャミールは言った。
「ルイ君はこれからどうするんだい?」
薄暗い部屋の中、椅子に座ったルイの目の前のテーブルには黒いコップが置かれていて茶で満たされている。湯気は出ていない。
同じコップをジャミールも持っているが、空だ。とうに飲み干した後のようだ。
「南へ、行ってみるかい? 今なら許可が下りるかもしれないよ。現に、バルタンにも協力が要請されているんだから、アマテラスの力だって借りたいはずだ」
「……行ってみる」
別室の仲間とは相談していない。だが、きっとみんな同じ判断をするだろうと思った。危なくなったらバギーがある、バイクもある。それで逃げることができる。ならば、より情報を得ることを優先すべきだ。
「分かった、話は通しておくよ。急ぎの旅だったのだろう? 今日は休むと良い。明日、早朝バルタンの兵が、南に飛ぶ。昼前には状況がもう少し分かるはずだ。じゃあ」
そう言ってジャミールは部屋を出ていった。
――どうしたらいい? 会ってどうする? きっと不用意に会ってはいけない。
ルイは自問自答する。先程ジャミールは「これからどうする?」と聞いた。特段の意図はないだろう。
だが、それは重大な意味となってルイには響いた。今回の虫は今までの相手と違う。今までのは敵だった。煙の谷の血蜘蛛、決闘仕様カストディアンであるメタトロン、終末兵器カルンウェナン群体、それに第二惑星の生き残り。
どれも、勝利条件は単純だった。逃げるか、倒して危険を無くす。だが、今回は違う。
「「人類の未来がどうあるべきなのか、《弱き者たちの王》と理解しあって欲しい」」
双子は別れ際、ルイにだけこう言ったのだ。
……虫たちは、明らかに人の特徴を受けついている。そして、その指導者――そう呼んでいいのかまだ分からないが――は少なくとも姿形だけは人そのものだ。
もし、あの虫は弱き者たちの代表として選ばれた種族であったら。その可能性は十分に高い。話を聞く限り、もっとも人の遺伝子を強く受け継いだ人以外の生物だ。
ならば、どんなに凶悪でも敵ではない。
この惑星の通信と技術進化を止めている全球魔法。それを制御しているのは中央集権型ネットワークのエーテルリング・システム。設定を変えるには、三人の王の同意が必要。
殺してしまえば権限も奪えるのか? そう考えたこともあったが、それだと同意プロセスを設けた意味がないようにも考えられる。だから、油断はしないが敵とは見做さない。あくまで交渉相手だ。
交渉の初手は友好から、基本的には。少なくとも、お仲間の虫たちを殺戮しまくってから「仲良くしましょう、|お互いに利益がある話《Win - Win ゲーム》をしましょうは駄目だ。
だからこそ、見境なく襲ってくる状態であれば会ってはいけない。損害が出てはいけない、どちらにとっても。話が複雑になる。もっとも、話ができるのかすら分からないが。
だから、会わずに知る。そのためにはどうすべきか。
ルイは悩み、それから茶を一気に飲み干した。
[ヤグラのメモリーノート(代筆:レネー)] 岩肌族が最も使う武器は板剣。片刃にした鉈型も最近は人気がある。
最も伝統的な武器は槍であるが、あまり使われない。虫害が発生した時代より、岩肌族の体格は良くなった。古い武器は総じて小さく華奢だ。
世代を超え、岩肌族は強くなった。そうして板剣をより自由にどこでも扱えるようになった。





