9-6 再びゴラムの地へ(2)
ルイがそんな考え事のようなことをしていると、後ろから声が聞こえてくる。
「レネーさん、何か思い出しました?」
「……いやー、わっかんねーなー」
後部座席から背後を臨むサクヤの明るい声に、前を向いたままのレネー少し不機嫌そうに返す。
疾走するバギーは優しい風に包まれていて、サクヤの髪は柔らかく揺れる。
「なかなか都合よくいきませんね」
「っつーか、本当に効いてのかよ」
死の砂漠の地下でルイたちが手に入れた物。それは4つあった、どれも興味深いものだった。
まず、第三の王の正体を知ったこと。といっても、明確ではない。この星に住まう少なくない非人間型の生物は、人の遺伝子を持っている。組み込まれている。魚や植物、菌類さえも。
そんな存在達の代表が《弱い者たちの王》だという。だが、正体は分からない。唯一分かっているのは、代表と言っても数多の生命の見解を束ねる役目など負ってはいない。最も生き延びやすいと人類保護局が認めた種族、その長にエーテルリングの権限を渡したに過ぎない。その種族は、当然ながら利己的に考えて動く。
そう、最古のカストディアンの指導者、人格が同化した双子の執政官は言った。
次に、《機械の王》の正体が御堂マリウス京であること。これは、概ね予想がついていたことであったが裏付ける情報が得られたのは初めてであった。問われたルイは、双子に御堂の経歴を軽く伝えた。葦原文明を代表する財閥、草薙グループの研究機関である草薙総研に籍を置く指導的な研究者。そして、ルイとリンが移送するはずだった人物。
双子は少し考えてから言った。最近、これまで見たことのない型のカストディアンが活動するようになった。それらは南からやってくる。南には灰色の、放射線で覆われた死の大地がある。そこは、人類保護局の残党が逃げ込んだ地である。今は人類統合局と名を変えている。南のカストディアンは、短距離通信用に声を使う。時々「御堂局長」と発する。
双子は結論づける。御堂は機械の王である。ここ大陸北東に位置する死の砂漠に住まう我らは《鍵》を持たない。大陸中央の暗黒と雷の地に隠遁するカストディアンの集団も同様。古い記録によれば、人類統合局が《鍵》を持っていたはず。他にカストディアンの集団はなく、何より人間の御堂が人類統合局の局長であるという事実。権限を持たぬ人間に、あれらが従うはずない。だから御堂は王。
そのうえで、と双子は言った。
他の星系からやってきた新参者が、どうして速やかに人類統合局の局長、すなわち高天原の未来を左右できる王としての地位を獲得できたのか。御堂は、意図的にここへやってきた。君たちは巻き込まれた。そう思うのが自然だ、と。
これを聞いたルイとタマは、少し困った表情で顔を見合わせた。
そうなのだ。ルイたちは御堂によってここに連れてこられたのだ。状況的に間違いない。ただ、そうすると重大な疑念が浮かび上がる。
御堂は、葦原人類史から抹消された高天原のことを知っていた。
御堂は、不可思議な空間を通って星系間を飛び越える航路のことも知っていた。
そういうことになる。
一部の者だけには高天原のことが伝わっていたのだろうか。もしそうなら、葦原社会がずっと異星系文明に怯え続けてきたことを説明できるだろうか? ルイとタマの結論は「できない」であった。航路が分かっていればなおさら、さっさと高天原を滅ぼしてしまえば安心できるはずだ。
以前、葦原が高天原を知ったらどういう反応をするか考えたことがあったが、そこでも滅ぼすという選択肢は出てきた。ずっと長いこと過去の罪、復讐に怯えていたのならなおさらだ。さっさと艦隊を送り込んで、大規模な軌道爆撃をやってしまえばいい。ルイがやったような工業用の黄色レーザーを使ったちっぽけな雷による牽制ではなく、軍事用の青色レーザーを使って大陸全体を焼却してしまえばいい。
だが、そうなってはいない。何か理由があるはずなのだ。攻撃を決意できなかった何らかの理由が。その疑念は結局、解けなかった。
第三がレネーのこと。
双子はレネーに親しく接した。他のカストディアンたちも、短距離無線で歓迎の意を示したらしい。
「「レネーは、遠い昔に生き別れた同胞である」」
そう双子は説明した。
記憶装置の時間計測が擦り切れるほど遥かな過去、レネーは激しい混乱の中で使命を果たすために、ある場に残った。
使命とは、人のオリジナルの遺伝子情報を守ること。遺伝子は変異する。実際、その後の高天原の人類は魔法遺伝子を得て、さらに一部は機械化するため自らを変異させた。(第二惑星の者たちのことのようだ)いつの日か、なかなか考えにくい例外事象ではあるが、高天原に住まう者たちが地球で誕生した人類の系譜であることを示す必要に迫られた時のために。
激しい混乱、それが何だったのかはもう分からないという。
ある場、それもまた分からないという。それは双子の塔――レネーが時代を超えて寝ていた場所、何か大事なものがあったはずと言っていた場所――ではないかと確認したが、分からないと双子は言った。
要するにレネーの過去はほとんど分からないままであったのだが、双子と眷属たちはレネーにある治療を施した。それはレネーの記憶構造の混乱に関するものであった。
レネーは過去の記憶を無くしており、しかも過去の記憶を問うことがさらなる記憶の喪失に繋がりかねないことを聞いた双子はレネーを検査した。それは頭蓋にあたる場所に白い網のような帽子を被せるという、脳波確認のような方法であった。
検査後、双子が言うには、レネーの記憶処理プロセスには多重的な問題がある。第一は、メモリ・リークとバッファ・オーバーフローが同時に発生していること。原因は、本来は一時的な記憶を行う狭い場所に、大量の記憶が積み重なっていること。第二は、主記憶領域と忘却領域の両方に複雑な処理の競合状態が発生していること。データ書き込みによって既存データ構造が破壊されかねない。原因は同じ。
つまり、ソフトウェアの問題であり、ハードウェアには何ら異常は見られない。だから、解消は容易だとも言った。
双子はそのまま簡易的にレネーに承諾を得ると――レネーはあっさりと受け入れた――修復作業を行った。といっても目に見えるものではなく、そして1分も掛からなかった。
「「壊れた記憶は直せない。ただ、今後の記憶へのアクセスは安全になった」」
そう双子は言った。それからレネーを見て薄く笑い、付け加えた。
「「こんな長い時間、よく寝られたものだな。スリープモードでもなく、ハイバネーションでもなく、本当にただ寝ていたなんてな。睡眠中の寝返りの記録で、一時記憶が溢れるなんて聞いたことがないぞ」」
双子の仕草には、なんら嫌味さはなかったが、レネーは不機嫌であった。まるで、寝坊を母親にからかわれて不機嫌になった子供のようだった。
ともあれ、レネーの記憶処理は改善した。少なくとも、過去の記憶を質問することは可能になったのだ。
バギーの上、背後でサクヤが明るく言う。「もう一度、双子の塔を見ましょうよ。なにか思い出すかも。まだ微かには見えますよ」
しかし、レネーは「いーよ、もう。さっき沢山みただろ」と言うと足を組み、腕を組んで目を閉じてしまった。死の砂漠を出てから、レネーは目を閉じることが多くなった。移動中、バギーのなかでレネーはほとんど瞑想しているような状態だった。
ルイは、そんなレネーの横画を見る。信じられないほど長く生きてきた存在だが、こうしてみると少し気難しい子供となんら変わらない。表情にはあどけなさがある、閉じた瞳の先にある長い睫毛が小さく風で揺れている。
思春期の子供を持った親がするように、ルイはレネーをなるべく放っておくことにした。世話を焼くのはサクヤで十分だと思った。きっとレネーの中で、なにか新しい処理が行われているから、それが終わるまで待とう。そう思った。根拠は無かったが、信じることにした。
それから、もう夕日となった太陽を背景に影のようになったゴラム領の城塞を見て、顔を引き締めた。
今考えるのは双子が言った第4のこと。
「「ゴラムに虫が迫っている。タイミングが良すぎる、《弱き者たちの王》が関係している可能性がある」」
城には多くの松明が灯されていて、この距離でも煙が見える。もう事態は動いているのだ、急がねばならない。
*
「やあっ、ルイ君! 久しいね」
殺気を隠さず、重武装をした岩肌族の戦士が多数往来するドヤマング砦の門前に明るい声が響く。
「ジャミール」
「まったく、とんでもなく早いね。どこで聞きつけたんだか。とにかく、会えて嬉しいよ」
「どうなっている?」
「ああ、説明する。来てくれ。といっても、俺もまだあんまり分かっていないんだが」
そう言うと、赤みを帯びた髪の男は優雅に城塞の奥へルイたちを招き入れた。優雅なのだが、彼は特別優雅な仕草をしたわけではない。この男の所作はそのすべてがどこか優雅なのだ。優雅なのは所作だけではない。その整った横顔も、背中にある髪と同じ色の翼もまた優雅であった。最初に会った時と同じように、大きな鷲のような翼は、篝火を受けて紅く揺らめき輝いていた。
彼の名はジャミール。
有翼族バルタンの王族のひとり。柔軟な考え方を持つ、明るく気さくな美形の人たらし。型に嵌められることを嫌う誇り高き自由人。
初めてルイと出会った場所は、いまと同じゴラムの地、同じ夜。その後、ジャミールはルイを言葉巧みに誘って、双子の塔を共に攻略した。
その時は、《歩く厄介者》とバルタンの官僚から敬遠されていたが、今そのような陰口を叩く者は誰もいないらしい。なにしろ、双子の塔を解放しただけでなく、連合帝国の大物貴族であるカデノ女史と結託して新街道の拠点に改装してしまったのだから。それからというもの、帝国だけでなく櫛稲田やアマテラスの物資が数多くバルタンとゴラムの地へ流通するようになった。双子の塔は税関の拠点として、多くの収益をバルタンにもたらしている。
彼の国益への貢献は、他のどんな王子とも比べ物にならない。影響はバルタン国内に留まらず、大陸全土の経済に大きな変化をもたらしている。だから、望めば次代バルタン王の座は確実だと見られている。少なくともアマテラスの官僚たちはそう分析している。だが、彼は厄介者の自由人。王位に対してはっきりした態度を示しておらず、その曖昧さが有翼族の官僚たちの頭痛の種になっているらしい。
ルイは、何故かこの軽薄な男が好きだった。性格はまったく合わないし、笑顔の裏に常に策略があるから油断ならない。だが、心の芯の部分まで優雅で、邪悪なところがない。最後はどこかで頼りにできる男。そう見えるのだ。
ジャミールは、ルイの心中などお構いなしに城内へと引き入れ、言った。
「やあっ、司令官どの。アマテラスのルイ領主をお連れしたよ。《アマテラス開闢の五人》、その全員がお揃いだ」
「は? ……はぁっ!?」
城塞に入ってすぐ、中庭の中央には即席の指令所があった。質素な机がいくつか、それと布張りのテント。そこに一般兵より明らかに輝きの異なる金属鎧を身に着けた岩肌族が多数立っていて、精力的に次々と指示を出している。
きっと、城塞の奥に居座ったのでは伝令に時間が掛かるので、少しでも前へ出たということだろう。岩肌族らしい考え方だった。
ただ、最も優れた岩肌族たちの中で中央に座っている女は呆気に取られていた。無理もないことだった。
「ア、アマテラス領主だと!? どうして!?」
「さあ? もしかしたら付き添うサクヤ殿の耳が良いからとか?」
ジャミールの冗談に、サクヤは半目の厳しい視線で返すが、ジャミールは薄い笑みを浮かべるだけだ。
「ともあれ、状況を御一行に説明して頂けないでしょうかね? きっと頼りになりますよ」
「あ、ああ、いや、勿論だ。――ルイ殿、よく来ていただいた」
動揺を抑えきれぬまま、岩肌族の女は僅かに頭を下げた。
見た目で岩肌族の年齢を推し量るのは難しいが、壮年ぐらいにだろうか。少なくともヤグラよりは年上に見える。
強さはどうだろうか。きつく鎧に締め付けられていてなお、胸の豊満さが分かる。乳房が大きいというだけではない。間違いなく、強固な大胸筋を持っている。胴体全体が岩のように分厚いのが証左だ。肩の筋肉もまた厚く逞しい。籠手を外した手首は、ルイの太腿ほど太い。そして彼女の太腿はと言えば、もはや硬く引き締まった丸太であった。
彼女の顔と腕、見える肌のすべてには傷跡がある。岩肌を超えて肉まで届いた傷は、癒えても生まれながらの肌と同じ色合いにならないという。大理石に浮かぶ模様のようなるという。彼女の硬い肌は大理石のような色合いだ。もちろん岩肌族はこれを尊ぶ。
彼女は全身を鍛え抜いた、まさに岩肌族の女の鏡であった。きっと、極めて魅力的なのだろう。間違いなく歴戦の勇士。
そんな彼女が驚いたのも無理はない。アマテラスには、ゴラムからの要請はおろか、緊急を告げる知らせは何も届いていない。もちろん、既にゴラムは各国に情報を送っているかもしれない。それでも、徒歩や船を中心とする伝令だから時間が掛かる。彼女の反応から察するに、アマテラスが今の状況を知っているはずはないということなのだろう。
なのに、ルイはここに居る。しかも、次々と新しいモノや技術を生み出す新興都市アマテラスの幹部全員を引き連れて。





