三話 咳止めシロップ
「ゴホッ……ゴホンッ、ゴホンッ……はぁ」
薬屋Oceanの店内に、客の苦しそうな咳が響き渡る。
すみません、と喉を押さえる薆に新海は心配そうに眉尻を下げる。
「辛そうだね、可哀想に。早く、楽にしてあげないと」
そう言うと、新海はレジ机の上に置かれた大瓶の栓をキュポンと抜いた。
どこからか用具を取り出すと、大瓶から液体を少しだけ吸い取る。
新海が目の前に掲げたピペットには、まるで血のような色をした毒々しい液体が残っていた。
「あの、これ本当に薬なんですか?その……凄い色をしてますけど」
「薬だもの、見た目は置いといて。これはね、驚くほど効くんだよ。僕が保証する」
新海は茶褐色のビンを抱えると、ピペットを使って中身の液体を透明な容器へと移す。
メモリを不規則に昇っていく謎の赤い液体に、薆は上手く笑えない。
「私──こんな風邪薬は見たことがないです。それに、勧められるのはてっきり錠剤かと」
「ああ。これは風邪薬とは、また違うからね」
「風邪薬じゃない?そしたら、これは……」
赤い液体を疑う彼女に、新海はピペットに含んだ分を自ら口に注ぎ、飲み込んだ。
「……美味しくはないけどね」
口の端を親指で拭った彼は、薆に微笑む。
「咳止めシロップだよ。見た感じ熱はなさそうだし、咳が緩和すれば直に良くなるはずと思ってね」
──チャポン、チャポン
新海の横に置かれた水槽で、三尾の観賞魚が水音を立てる。
「綺麗ですね、この子たち」
赤、青、黒──三者三様な尾びれを目で追う薆に、シロップを詰め替えながら新海は言う。
「構ってほしい時に、こうして水を鳴らして合図するんだよ。ちなみに、この子たちには名前がある。当ててみて」
「名前って……ヒントは?」
「全員、"シャ"がつく」
「シャ?うーん……黒の子がシャーク、青の子がシャボン。赤の子がシャクネツ……だったり?」
薆の回答に、新海の瞬きだけが返ってくる。
「……良い線、行ってません?」
薆が水槽を見ると、三尾はクルリと背を向けてしまった。
作業を終えた新海は、ピペットを手拭いの上に横たえると小さくため息をついた。
「君、本当センスがないんだね」
「新海さんが、当ててみてって言ったんじゃないですか」
不服な様子で水槽の魚を覗く薆に、新海は嬉しそうに口を開く。
「その赤い子はね、シャンティー。青の子はシャンティナ、黒の子はシャノワール」
顔を上げた薆と目が合うと、新海はニヤリと片方の口角を上げた。
「……センスいいですね」
「でしょ」
新海は詰め替えた咳止めシロップを紙袋に入れると、薆に言った。
「朝晩、キャップ一杯分を目安に飲んで。今夜だと、寝る前に一杯だね」
薆は、新海の大きな手から紙袋を受け取る。
「ありがとうございます。あの、いくらですか?」
「800円──ああ、いや。820円?」
「……本当はいくらなんですか」
「820円」
財布を手にした薆は、小銭を取り出そうして100円玉を床に落としてしまった。
「あっ……」
慌ててしゃがみ込み、100円玉を拾い上げると近くには虹色に輝くチップのようなものが何枚か散らばっていた。
(なんだろう、鱗?綺麗……)
そのうちの一枚を掴んだところで、頭上から新海の声がかかった。
「大丈夫?見つかった?」
「あっ、はい。取れました」
薆は咄嗟に、虹色のチップを財布にしまう。
立ち上がった彼女がカルトンに820円を置くと、新海はそのうち20円を手に取り、10円でレジの前に設置されたガムボールマシンを回した。
「はい、どうぞ。ガムの来店サービス」
「えっ。あ、ありがとうございます」
薆がオレンジ色のまんまるいガムをつまむと、そこには可愛い魚のマークが焼き入れられていた。
「小さな幸せ、童心、愛すべき無駄──そういうのって、見逃しがちだよね」
「そうですね、この機械も久しぶりに見ました。懐かしい」
薆がガムを口に入れると、新海は10円でもう一度マシンを回し、取り出し口に出てきた赤いガムを口に含んだ。
口をモグモグと動かす薆の前では、新海も同じようにガムを噛む。
「甘くて美味しいでしょ、気に入ってるんだ。これをねだる人間は、幼い歳の子ばかり。大人が食べちゃいけない決まりなんて、どこにもないのに」
紙袋を片手に頷く薆へ、微笑みかけた新海はシャ頭三兄弟の泳ぐ水槽のガラス面に指先でコツンと触れる。
些細な振動に応えるように、三尾はプクプクと水面に泡を吐いた。
「人は──いつだって自由なのに」




