二話 新海
「どうぞ、座って」
独特な香りが漂う店内── 淡青色のドクターコートを羽織った男は、見慣れない薬の並ぶ棚に興味を示す彼女に、足の長い簡易椅子を勧める。
「でも、もうこんな時間ですし。ご迷惑になってしまうのでは……」
男は、遠慮する彼女の腕を引くと意思など構わず椅子に座らせた。
驚く彼女の頭上から、わざとらしい笑みを浮かべた男の顔が喋りかける。
「ここ、僕の家。ね、何の問題もないでしょ?」
「ハイ……」
見上げた彼女は、息を呑んだ。
目に飛び込んできたのは、彫刻かと思うほどに端正な顔。
私を見つめる、その瞳はまるで調和と華やかさを添える宝石のように美しくて──。
彼の緩く結ばれた紺色の髪が、視界で揺れる。
そのとき、胸元についた小さな名札がチラリと見えた。
「待ってて。風邪薬と絆創膏持ってくるから」
そう嬉しそうに微笑むと、男はバタバタと店の裏へと消えていった。
天井では、古びたシーリングファンがゆったりと回り、レジの横に置かれた水槽の中ではフリルのような洒落た尾びれを持つ観賞魚が水藻をつつく。
「薬?なんだろう、どこかで嗅いだような。プールみたいな匂い」
不思議そうに店内を見回す彼女の元に、茶褐色の大瓶と救急箱を抱えた男が戻ってきた。
「お待たせ」
彼はレジ机に大瓶を降ろすと、救急箱から消毒液を取り出し、ピンセットで挟んだ脱脂綿に液を浸した。
「足、出して?」
「えっ?」
「え、って……傷、そのままにしてたら、せっかくの綺麗な足が泣くでしょ」
男は彼女の足元に跪くとスラックスの裾を持ち上げる。
「染みると思うけど、我慢だよ」
彼は、まるで小さな子供の面倒を見るかのように
優しく手当をした。
皮膚が彼の息遣いを感じるほどに、近い距離──
丁寧に絆創膏を貼る彼の手は、今の春には似合わない冷たさだった。
「よし、できた」
よっこらせと立ち上がった彼は、救急箱に使った消毒液やピンセットを片付ける。
「あ……ありがとうございます」
「どういたしまして」
微笑む彼に、彼女は話しかけてみる。
「──新海さん」
「あ、僕の名前」
「さっき、見えたんです。胸の名札」
"ああ、コレね"と名札に軽く触れた彼は、レジ机から彼女の方へと身を乗り出した。
「君は?なんて名前なの」
椅子から立ち上がった彼女は、レジ机の前まで歩み寄る。
「皆瀬 薆です。皆に、瀬戸内の瀬で"皆瀬"。薆は、草冠に愛好の、愛」
「うん……いいね。やっぱり名前って、素敵だよね。漢字も、素敵」
「え、ええ。そうですね」
どこか感性の深いような新海の言葉に、薆は返事に詰まりかける。
「ああ。僕は、新しい海で"新海"ね」
「はい、さっき名札を見ましたから」
「うん……そうなんだけど、そうじゃないっていうか……」
モゴモゴと言葉尻を濁す、新海。
彼が自分のように言いたかっただけだと分かった薆は、微妙な顔をした目の前の店主にクスリと笑った。




