十五話 時は満ちた・前
「……でもさあ」
薆と架場を前に、鳩森は口を開く。
薆が一瞬覗いた舌ピアスに気を取られていると、彼は目の前のテーブルに手を伸ばした。
「流石に、フル装備は無理じゃない?特にコレ。唐辛子が入ってるとか、なんとかで。ぶちまけた時には、やばいんじゃないの〜?」
そう言うと、彼はどぎついパッケージの催涙スプレーを手にする。
「ああ。確かに誤噴射のリスクを考えればナシだが、それだけじゃない。そもそも、持ち出し自体が法に触れる可能性もある」
架場が警棒とスタンガンを端に避けると、鳩森は催涙スプレーを、その『お留守番組』に加えた。
そして何かを考えるようにテーブルに並べられた防犯グッズを眺めると、鳩森は口を開いた。
「……待てよ?そうすると、さすまたもグレーになるのか?」
鳩森の言葉に、薆はハッと顔を上げる。
「で、でも……そしたら、私達には何も無くなっちゃいますよね」
「あーあ。さすまた、結構イケると思ったんだけどなあ。この際、竹刀か木刀でも……」
「ハモさん、剣道の心得が?」
「俺?ないない。ナオヤンも、ない」
「……」
考えた架場は、黙り込む二人に言った。
「ならば──ここは強行で」
彼の判断に、薆と鳩森は隣同士で顔を見合わせた。
「……そんなに意外か?」
架場は、眉を上げる薆に悪い顔で笑う。
「思い切りも、時には必要なんですよ。規律を気にして手段を閉ざしたら、できることもできなくなってしまいますから」
そう言うと、架場は床に倒されたさすまたに視線を向けた。
「剥き出しでは誤解を生みかねないので、何かで包み隠して移動させることにしましょう。あとで、私が何とかします」
彼が視線を戻すと、薆が被ったミリタリーヘルメットの顎紐を、鳩森が調節している最中だった。
「よし……できた!いいねえ、似合う似合う」
顎紐から手を離すと、鳩森は薆のヘルメットの頭をぽんぽんと優しく叩いた。
鳩森の行動ひとつに微妙な顔をする架場へ、薆は尋ねる。
「それなら、架場さん。このヘルメットは──」
鳩森と薆を交互に見た架場は、無理やり口角を上げたような、わざとらしい笑みを浮かべた。
「被りましょう。頭部は大事ですから」
そして、彼は鳩森に当てつけるように薆の頭に手を置いた。
「それと、似合ってます」
「えっ?あ、ありがとうございます」
そんなにヘルメットが似合うものだろうかと、不思議がる薆の横では、鳩森が面白くなさそうな顔をする。
「何か、言いたげだな」
「……別に?」
二人の間に、微妙な空気が流れる。
(何なの、急に……。険悪になるようなことは、ひとつもなかったじゃない)
水槽の水を揺らしながら、落ち着きなく二人の様子を伺う、薆。
その彼女にはお構いなしに、鳩森は何事もなかったかのように話の軌道を元に戻した。
「……ナオヤン。じゃ、ベストは?」
彼の問いかけに、架場は平然と応える。
「ベストも絶対に必要だ。衣服で着用を誤魔化せるから、相手を視覚的にも欺ける。俺たちは、話し合いができればいいのであって。好戦的だと思われたところで、何もいいことは無いからな」
喋り終えた架場の目の前で、鳩森は指で頬を掻くと苦笑いを浮かべた。
「え、でもさ。ベスト以前に、メットにさすまたで登場したら……ねえ?あなたに喧嘩を売りにきましたって意思表示してるようなもんじゃん」
彼は試しに頭にはヘルメットを、服の下には防弾ベストを着用すると手にさすまたを持ち、二人の前に立つ。
彼の姿を見た薆は、苦笑いを浮かべる。
「身を守るためとはいえ、なんていうか。やたらと強そうに見えますね」
姿鏡に映るさすまた男に、鳩森もまた苦笑いした。
「な?自分でもそう思う」
鳩森が架場の方を向くと、彼は顎を抱える。
(言われてみれば、見た目に少し圧があるか?それなら、皆瀬さんのようにただの薬を求める客を装って……いや。それでは武器になるものを持ち込めない)
微動だにしない架場に、鳩森がソワソワと身体を揺らしながら様子を伺う。
考え事に耽る彼は、一向に口を開かない。
「……」
「……いや。なんでお前が黙るんだよ」
気怠そうに装備を外す鳩森の横で、薆は水槽の水を動かしながら架場の方を向いた。
「好戦的だと思われても、怪しまれても。別に、こちらの出方を隠す必要はないですよ。新海は、捕まえられて当然のことをしでかしたんですから。そんな人に怖がる権利も、恐れる権利もありません」
キリッとした顔を見せる薆に、架場は感心したように頷く。
「……なるほど。これが"ガッツリ、新海ルート"ってやつですね」
「はい。ガッツリですから、遠慮も何も要りません。全ては、目的と真相のためです」
薆が湿った細い手を差し出すと、架場はその手を力強くも優しく握った。
「ええ。新海に、一泡吹かせてやりましょう」
手を取って笑い合う二人──友情の芽生えを目の当たりにしたかのような、ここから物語が始まるかのような。
引きの強いシーンを目の前に鳩森は、首を傾げる。
「ガッツリ?なに?」
何も分からない彼に、架場は言う。
「真正面から、徹底的に新海と薬屋を暴くってことだ」
彼の一言に、鳩森の顔色が変わる。
「……え、なになに?勝手に決めたの?俺が居ないのを良いことに、二人で?」
二人を前に、鳩森は取り乱す。
「徹底的って、薆ちゃん元に戻すだけじゃないってこと?」
「ああ。それは新海と薬屋を知った先にあるんじゃないかと踏んでいる」
「もし、早い段階で薆ちゃん戻せたら?流石に打ち切りでしょ?」
「……どうだろうな」
架場の曖昧な返事に、鳩森は眉を歪める。
「ちょっと待って。どうだろうなって何?薆ちゃんはどうなの?どこまでやる気?」
「うーん……」
彼の質問に小首を傾げた薆は、少し考えた後、ゆっくりと口を開いた。
「全てが明らかになるまで?」
「全てが明らかになるまで、だな」
薆の声に、架場の声が重なる。
答えが一致した二人は驚き、顔を見合わせると嬉しそうに笑った。
「はあ。二人が好奇心に負けるタイプなのはよく分かった」
鳩森は首に両手を当てると、天井を仰いだ。
「居るよなあ、こういう人種。真面目で以って、厄介な探究型。そうじゃない俺という人間はいつだって、そいつらの後ろをなんとなく付いて回ってきたさ。そんな先陣切って、お化け屋敷攻略みたいなことしなくたっていいのにとか思いながら」
綺麗なフェイスラインと細い鼻の穴を披露する鳩森に、架場は言う。
「いいか、ハモ。よく考えてみろ。皆瀬さんが人魚であること、それだけで既に現実とは説明がつかない」
架場は、ホワイトボードに拳をつきつける。
「そして!俺たちの行動を知り尽くしているかのようなタイミングで、この現象が起きた!」
架場の手が離れると、そこには彼によって記された咳止めシロップの調査環境についての詳細と、標本の再現図があった。
再現図に刻まれた新海からのメッセージに、鳩森の目が留まる。
「覗いたな?でも残念、ハズレ。ここに、真実は眠らない──」
読み上げた彼は、バッと架場の顔を見た。
「えっ、マジ……?冗談キツいって」
上手く笑えてない彼に、架場は静かに話す。
「俺と皆瀬さん、証人は二人。残念だな、冗談じゃなく正真正銘のマジだ」
架場は、ホワイトボードをコンコンと叩く。
「こんなトリッキーな真似を、生身の人間にできると思うか?ましてや、接触したこともない他人を相手にだ」
「そりゃ……無理だろうな。普通」
「そうだ。そこでひとつ、俺の中にある仮定ができた」
「仮定?」
どんな言葉が来るのかと構える鳩森に、架場はサラッと応えた。
「今、俺たちが置かれている──この、実際に見ている世界は完全さを失った。その不完全な世界の正体は、俺たち以外の人間が見ているいつもの現実と、虚構の入る隙間が用意された架空・非現実の共存。そして、その虚構は新海または薬屋側に付く誰かが動かしているものと思う」
しばらく睫毛を伏せた後、鳩森はこちらの反応を待つ架場を見た。
「だとしても。仁科さんは、俺の知る通りの仁科さんだったし、ジャックの胸毛の感触も、すぐ背中に乗りたがる癖も。どれを取ってもホンモノだった。これについては、どう説明がつく?」
「言っただろう、現実と非現実の同居だと。ということは、俺たち一人一人の前に非現実が平等に在るとは限らないということだ。そして仮に、元が現実の上に要所で非現実が敷かれていると考えれば、その筋は一際濃くなる」
「あ!確か、数学の教科書にあった気がします。Aを包むB……集合?でしたっけ。非現実を包む、現実。現実の丸の中に、非現実が収まって──みたいな」
手で丸を作る薆に、架場は頷く。
「認識はあっています。もっと噛み砕くのであれば、現実の"部分集合"として、非現実が点在しているというイメージでしょうか。あくまで、僕の考える現況ですが」
「……すごい。すごいです、架場さん。説明を聞けば聞くほど、その考察はあり得る気がしてきました」
薆の肯定に、架場の口元が少しだけ綻ぶ。
隣から感じるジトリとした視線に彼は緩んだ口を結ぶと、その視線の主に話を続けた。
「……ハモ。これも、確証のない私見にすぎないが──お前が一人で車を走らせ、実家に滞在した行動自体に、新海は特に意味を見出さなかった可能性がある。
ああ、そうだな……言うとすれば、ハモが置かれたのは"新海の目から逃れた、通常通りの現実"。俺と皆瀬さんが顕微鏡に動く文字を見た時が"非現実に差し込まれた虚構"」
「……」
鳩森は、難しい顔をしながらも黙って架場の推理に耳を傾けている。
「今、この瞬間もだ。何か、新海にしか分からないような。都合よくこの世界に干渉するための"からくり"が存在しているんじゃないかと、俺は踏んでいる」
「……とんだ哲学だな。何が何だか、さっぱりだわ」
捨てゼリフをした鳩森は、力が抜けたようにソファに座ると空いた指でネックレスの飾りを弄る。
チャリ、チャリという手いたずらの音が止むと、彼は口を開いた。
「ま、つまりは。俺らの行動を、新海は面白がって監視しているのかもしれないってことでしょ?」
「そういうことだ。そして、わざわざメッセージを残した理由。"ここに、真実は眠らない"──この言葉通り、真実は新海の居ない場所には存在しないってことだ。となると……」
鳩森が、架場の言葉の続きを答える。
「薆ちゃんを元に戻すためには、薬屋と新海を徹底的に探るしか方法がない、と」
「そういうことだ」




