十四話 三人寄れば
「ハモくん、たでぃーま帰りました〜」
──206号室。
薆が浸かる水槽の横には、架場の研究部屋から運び入れたホワイトボードが立つ。
荷物を抱え帰ってきた鳩森に、ボード前の架場は片手に持った黒いマーカーペンを振る。
「おかえり、マヌケくん。随分と遅かったな」
「うるせえよ、頭でっかち。これでも急いだ方だっての。あっ、薆ちゃん。ただいま」
「おかえりなさい」
上着を脱いだ鳩森はソファに腰を落とすと、ふうっと息を吐く。
そんな彼を、マーカーペンを顎に当てた架場はじっと見つめる。
「……え、何?」
「お前、どこかで犬を触ってきたな?」
ビシッとペンで差された鳩森は、締まりのない顔で架場を見上げた。
「えっ、どうして分かるの。エスパーかよ」
鳩森の発想に、架場は深いため息を吐く。
「──馬鹿か。服に、毛がついている」
「……Oh」
あちゃ、と毛のついたトレーナーを伸ばす鳩森は、薆の視線に気がついた。
「……誤解しないで。コレを取りに行った実家にね、ジャックっていうコリーが居て。そいつに飛びつかれたから、こうなったの」
コリーと聞いた薆の表情が、パアッと明るくなる。
「実家に、ワンちゃん!?いいなあ、羨ましい!」
「おっ、それなら。今度、ウチ観にくる?」
「本当!?わあっ、行きたいです!」
水槽からはみ出た薆の尾鰭が、嬉しそうに揺れている。
「──ゴホン」
盛り上がる二人に、架場の咳払いが止めに入った。
「ハモ。お前は早く、持ってきたものを見せろ」
ここぞとばかりに急かす彼に、鳩森の口元が徐々にニヤける。
「んもう、ナオヤンったら。素直じゃないんだから」
鳩森の横で、きょとんとする薆をチラリと見ると、架場は少し恥ずかしそうに顔を背けた。
「……いいから。はやくしろよ」
「へいへい」
鳩森は、実家から持ってきた荷物の中身をテーブルに開けた。
「はい、これで全部。ウチの備品は、パパと仁科さんが徹底管理してるから。どれも、すぐに使える状態だよ」
伸縮式の警棒に、フェイスシールドのついたミリタリーヘルメット。
催涙スプレー、スタンガン、防弾ベストに、防刃ベスト。
手入れの行き届いた、人数分の防具がずらりと並ぶ。
水槽から身を乗り出した薆は、テーブルの防犯グッズに端から目を留める。
「……すごい。私、ここまで揃った実物を見るのは、初めてかもしれません」
「ああ、すごいな。俺も、使ったことのないものばかりだ」
物珍しそうに催涙スプレーの成分表示を眺める架場に、ヘルメットを被ってみる薆。
護身用具の初心者らしい二人を見て、鳩森はぽそりと呟く。
「これの出番が無かっただけ、平和に生きてこれたってことなんだろうけど。その平和が崩される時ってのも、これまた突然なんだな」
薆は、ヘルメットを頭からそっと外す。
何気ない鳩森の小言に、架場はすかさず反応する。
「今回ばかりは、イレギュラーだからな。それに、もし使わずに済んだとしても。今回は良い学習の機会だと思えばいい」
そう言って再び、スプレーの説明書きにある小さな文字を読む彼の頼もしい横顔に、鳩森はどこか安心したように唇を緩めた。
「……薆ちゃん」
「はい」
「俺と、愛ちゃん。ふたりだけだったら、ここまで落ち着いて話はできなかっただろうね」
そう言う彼の、架場に向けられた顔はどこか嬉しそうで、どこか寂しそうに見える。
薆は、静かに口を開いた。
「……誰が欠けても、落ち着くことはできないと思います」
振り向いた鳩森と、薆の視線が交わる。
「どうして?」
「架場さんのような、この状況で冷静に分析できるほどの頭は持ち合わせていませんし。それに……私には、ハモさんのように正しい危機感や、場を和ますためのユーモアが足りないので」
彼女の言葉に、鳩森の表情はたちまち和らいだ。
「そ、そっかあ。へへ、それなら良かった」
照れ臭そうに笑う鳩森に、今度は薆が尋ねる。
「それで……ハモさん。もしかして、アレもそうですか?」
薆が指を差す壁の隅には、さすまたが立てかけられている。
「あ、そうそう。俺としては、こっちが狙いだったの」
鳩森は、さすまたを手に取ると架場に手渡した。
「さすまたか……そうだな。この中ならこれが一番、現実的だろう。上手くいけば、リーチを取りつつ胴体から捕らえられる」
架場はさすまたを軽く手の平に打ち付けると、不敵な笑みを浮かべた。
「これで──いよいよ、計画が図として見えてきたな」




