十二話 シロップの謎
──201号室、架場の研究部屋。
「エイミー、リビングの照明をつけろ」
「おかえりなさい、ミスター・カジョウ。メイン照明をオンにします」
人工知能の音声と共に、部屋の明かりがパッと灯る。
「架場さん、これって……」
架場に抱えられた薆は、その光景に目を見開く。
「見苦しくて、すみません。普段は私か、大学研究室の人間、あとはハモくらいしか来ない場所なので」
二人の前に広がるのは書物の山と、一面が大量の本で埋まった壁付けの棚。
締め切られたブラインドの隙間からは、日差しが壁にほんのりと模様をつくる。
カシャン、カシャ、カシャン──
物音のする方を見ると、そこには小さなハツカネズミの入ったケージが一つ。
真っ白な毛玉が、ハムスター用の回し車を忙しなく走っている。
「ネズミだ……ちっちゃくて可愛い。あ、もしかして研究用の子ですか?」
「いえ、こいつは違います。研究用のネズミを個人的に飼うことはできないので。ファンシーマウス、所謂ペットですね」
元気に動き回るハツカネズミの反対側には、綺麗な色の小石が敷き詰められた水槽が置かれている。
よく見るとトンネルの隙間から、とぼけた顔をしたピンク色の生物が顔を見せていた。
「この子は……ウーパールーパーですね?」
「正解です。シャイな性格をした生き物なので、日中は隠れていることが多いのですが。皆瀬さんへの挨拶に出てきたみたいですね」
「そっか、頑張ってくれたの?ありがとね」
水槽に話しかける横顔に微笑むと、架場は彼女を抱えたまま、更に奥へと進む。
大きなデスクの上には高そうな顕微鏡、ディスプレイの側には蝉の抜け殻や、ミニチュアサイズの骨格模型が飾られていた。
架場の腕の中で、薆は落ち着きなく部屋を見回す。
(すごい、私の部屋とは全然違う。知的な感じ)
架場は、丁寧に薆をソファへ降ろすと走り書きのメモに塗れた冷蔵庫の扉を開ける。
「無糖のコーヒーは、飲めますか?苦手なようでしたら、ハモが買い置きしてあるレモンティーもありますよ」
「あ、コーヒー好きです。いただきます」
ソファに座る薆の元に、架場がストローを刺したコーヒーのグラスを運んでくる。
「どうぞ。人魚なのでアイスにしてみました」
「アハハ。ありがとうございます」
ストローを咥える薆の前で、アルミジョッキからクイッとアイスコーヒーを一気に飲むと、架場は手の甲で口元を拭った。
「今から私は、この咳止めシロップを調べるので皆瀬さんは適当に暇をつぶしていてください」
そう言うと、架場はテーブルの上に二冊の分厚い本と小さな箱を置く。
「動物図鑑に植物図鑑、飽きたら猛獣のジグソーパズルでも、どうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
薆は、1000ピース表示のパズルを前に苦笑いを浮かべた。
──カチャ、カチャカチャ。
架場が道具を扱う音だけが聞こえる、静かな空間。
顕微鏡に向き合うと、架場は薆から預かった咳止めシロップの容器から少量を取り、ガラスに乗せる。
そこにピンセットでカバーガラスをそっと被せると、液体は薄く膜を作った。
標本をステージに置き、いよいよフォーカスノブでピントを調整していく。
無言で作業に当たる、架場──
一方、薆はというと、丸まった架場の背中を気にしながらジグソーパズルのピースを指で弄んでいる。
ピロロン、ピロロン──テーブルの上に転がった架場のガラケーが鳴る。
「すみません、皆瀬さん。出てくれませんか、多分ハモだと思うので」
「あっ、はい」
薆が急いで出ると、電話越しに鳩森の大きな声が聞こえた。
「皆瀬です──あっ、はい。分かりました。ありがとうございます。そう、架場さんにも伝えますね。はい、お気をつけて」
薆が鳩森からの電話を切ると、架場は顕微鏡に向かったまま、尋ねる。
「彼は、なんて?」
「目当てのものが自宅に無かったから、実家に取りに行ってくるって言ってました」
「そうですか。それだと、少し時間かかりそうですね……」
そう言って顕微鏡を覗いた架場だったが、次の瞬間。
ガタンと勢い良く席を立ったかと思えば、部屋の入り口近くまでスススと静かに遠のいた。
「あの、架場さん?どうしました?」
彼のおかしな行動に、薆はジグソーパズルの手を止める。
「……液面に、妙な細工がしてあったんです。これを見てください」
顕微鏡を指差す架場に、薆は両腕を広げる。
まるでハグを待つような彼女の姿勢に、架場は動揺する。
「……ななっ、なんです?」
「抱えてもらわないと。見れません」
「あ、ああ。そうでしたね」
少し恥ずかしそうに視線を逸らすと、架場は薆を慎重に抱え、顕微鏡の前の椅子に座らせた。
「そんなに驚くほどの細工って、いったい……」
おっかなびっくり、薆がレンズを覗くとそこには文字の羅列が、まるで生き物のように蠢いていた。
"覗いたな?でも残念、ハズレ。ここに、真実は眠らない"
「うっ。文字がイトミミズみたいにグネグネ……気持ち悪い!」
「問題はそこじゃない。まるで俺が、シロップの中身を調べると分かっていたかのような仕掛け──これは、間違いない」
振り向いた薆に、架場は頷く。
「皆瀬さんの言う、新海という人物によるメッセージでしょう」
顕微鏡を覗く、薆の唇が引き攣るように歪む。
「覗いたな、ですって?新海、ホントに人を煽るのが上手いのね!」
「まあ、いいじゃないですか。これも、立派な証拠になります。写真を撮っておきましょう」
架場はマウスを動かし、パソコンを素早く立ち上げると、顕微鏡に連動させたシャッターマークをクリックした。
データを確認しようとフォルダを開いた架場は、ディスプレイに映し出された写真に、目を疑った。
「文字が……消えた?」




