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第十四話 狼と羊


ボンクラが今までに聞いたことの無い低い声で問いかけると、ノラは膝から崩れ落ちた。

す狩人のベイグを筆頭に村人達が、すかさずノラの腕を固める。


「ワーガルフ用の縄を掛けておきなさい」


ボンクラが指示を出すと、アルフが慣れた手つきでノラを後ろ手に縛り上げた。

あれだけ騒いでいた村人達も、この時ばかりは声を失ったかのように静かだ。


「そ、そこまでする必要はないのでは無いか?それにそこなチビ助がムッシュイーサンを殺害するとは……」


私はマミタスの訴えに答えるように村人達に声をかけたが、彼らは止まらない。

じとりとこちらを見る目が湿り気を帯びていて、人狼に与するお前は何者だ、という批難が聞こえてきそうだ。


「アガサ殿、マミタス殿。お二人もご存じの通り人狼は狡猾で残忍でございます故、このような無垢なる姿をとっておるのでございますれば、ゆめゆめ騙されませんよう……」


ボンクラの後ろでは両手を拘束されたノラが床へ転がされている。

外は雪で覆われているというのに、私の首筋から汗が垂れている感触がする。

そのくらいの緊張感が、この場にはあった。

ノラは捕縛されてからというものの、すっかりと黙りこくってしまった。


違う


がくりと項垂れたノラの、その唇がそうなぞったように見えた、その時ーーー


『ーーーーーーッ!!!』


ノラが身体を大きく逸らし咆哮をあげた。

私の鼓膜がビリビリと波打ち、まともに立っていられない。

肚の底から心胆寒からしめる、本能が全身に警鐘を鳴らす、そんな声だ。


ーーーやはりノラが人狼だったのか?!


私は咄嗟にマミタスを引き寄せて、床にへたり込んだ。


「違う違う違う違う違う!俺は殺してない!!」


ノラは声をあげて、耳を抑えるために手を離した村人達を、身体で次々と押し退ける。

そして、集会所の扉を半ば強引に身体で突き空けて雪景色へと走り去った。


「追えぃ!!」


ボンクラは相当な年齢と思われるが、それに似合わない怒号を挙げて村人に指示を出す。

流石狩人、ベイグとアルフがすかさず飛び出して行った。


「あの縄にはワーガルフの力を抑えるまじないが施されておったのでございますが、あの様子を見れますれば、どれほどの効果があったものやら分かりませんな」


先ほど気迫が嘘であったかのように、ボンクラは柔和なボンクラの声で呟いて小さな肩をすくめた。


「見事ワーガルフを炙り出すなんて、探偵さん噂通りやるじゃあないか。エディの奴が街から連れ出して来ただけあるよ」


トビアスがぱちぱちと小さく手を打ち鳴らした。

突然名前を呼ばれたエディはびくりと肩を震わせて「いや……」と謙遜している。


「占いも霊能もいない、所謂役欠け状態でありましたからな。セオリーから大きく外れてはいたものの、次の被害者が出る前に、人狼が名乗りをあげてくれたのは幸いだった」


私は、次なる被害者が出る前に人狼を特定出来たことに安堵したものの、結局使えなかった人狼の定石集を思い浮かべて一寸だけ肩を落とした。


「ワーガルフが名乗りをあげただなんて、またお上手でございますなアガサ殿。天晴れ尋問によって追い詰めて見せたではございませんか。そのセオリーとやらが何かは存じ上げませんが、数多の事件を解決してきたその知性は本物でございましょう」


ボンクラは揉み手しだり手で私を喝采する。

しかしなんだ。

事件は解決したというのに、どこか気が晴れない。

マミタスも俯いたまま、一人でぶつぶつと呟いていて落ち込んでいるようだ。


「まぁそうですな……。私の故郷くにで実際にあった話ですと、”村人だと思っていた住人が全員人狼だった”なんてケースもありましたな」


「…………」


なんだ。

突然空気が重くなったぞ。

笑いを取るつもりで披露した知識では無いが、空気を凍らせた事は確かだ。


「しかしながら私の知る人狼というのは、ワーガルフとは違って複数人で村に潜伏するのが基本だったもので、気がついたら村人の数よりも人狼に与する者の数が多かった、なぞいうとんでも無い展開が起こり得た訳です。ま、これは実にレアなケースであり、ワーガルフに人狼の定石は全く通じないだなんてことが今回の事件で分かったわけですな!はははは!」


私は焦って矢継ぎ早に軽口を叩いてみせる。

決してすべった事を誤魔化すためではない。


「複数人、全員……。アガサさん!まさしくそれですよ!」

「へ?」


部屋の隅でくさくさしていた筈のマミタスが突然立ち上がり、私に駆け寄って来た。

絹糸のような白髪がさらりと耳から落ちる。


ち、近い!


「何だか、ずっと喉の奥に小骨が引っかかっているみたいに違和感があったんです。複数人ですよ複数人!これで小骨が取れるじゃないですか!」


小骨?複数人?

一体彼女は何の話をしているのだ。

ここに来て昨日の夕餉に出た魚料理の話という事はあるまい。


「もう!まだ寝ぼけてるんですか?!村人一人では難しい犯行も、複数人なら簡単に再現できるじゃないですか!」

「……!」



なるほど!

私はこれまで犯人はワーガルフであり、ワーガルフは群れないから誰か一人の犯行だと思っていた。

しかし、犯人が複数人いると考えれば、これまで意識の外へと追い出した選択肢も候補の中に入ってくる訳だ。


例えばーーー


「闇夜に包まれた森の中へ死体を担いで捨てに行くことは?」

「複数人なら可能です!」


複数人ならば死体を運ぶ者、道を照らす者、魔物を祓う者、役割分担が出来る。


「山道ではなく獣道を通って近道をして、我々が遺体の前に辿り着く前に偽装工作をするのも……」

「複数人なら可能です!」


我々が早朝に叩き起こされ、すぐに現場へ向かった。

複数人でアリバイ工作をすれば、あっという間に人狼の痕跡を残すことが出来てしまう。


「そう考えてみると、夜にあれだけ雪が降りしきっていたにも関わらず、ワーガルフの足跡が残っていたのも、ちゃんちゃら可笑しな話だな!ははは!」

「ふふっ……そうですね!ずっと違和感を感じていたのですが、今思い返してみると雪面に残った足跡は肉球が五つあったんです。ワーガルフなら四つの筈なんです!」


我々は手を取り合って跳ねた。

何だかテストの後の答え合わせをしているみたいで楽しくなって来たぞ!


「村人全員が口裏を合わせればアリバイも作り放題ではないか!む、待てよ……。ではワーガルフの固有魔法とやらはどう説明したものか?」


私は有りもしない顎髭を撫でて考え込む。

イーサンの遺体には無数の鎌鼬があった。

あのような特茶的な傷跡は人狼の固有魔法ウィンド・クロウであるという話であったが……。


「死因が別にあれば、或いは……」


マミタスはその手段に心当たりがあるらしい。

死因が、別にある……。

全員……全員……。

ん?


ーーー複数人の犯行!


私はマミタスから手帳を奪い取ってページを捲る。

この状況、アガサ・クリスティのあの事件が参考になるでは無いか!!

私は指をぺろりと舐めて足早に(実際動かしているのは手だが)ページを繰った。

あった!


「マミタス君。つまりはこうだな?村人はイーサンを魔法とは別の手段で殺害し、その死因をワーガルフの固有魔法に見えるように偽装した……。そうだな例えば、メイドが芝刈りに使っていた生活魔法なんかでも良いだろう。たった一回だけ使用したとしても、身体中に無数の裂傷を可能であろう。そう、村人全員で使用したならば、ね」


マミタスは大きく頷いた。

どうやら彼女も同じ結論に至ったらしい。

マギアガードが事件後にすぐさま駆け付けなかった理由は、大雪と倒木で道が閉ざされたからだと思い込んでいたが、この推理ならばその理由も説明できる。

この村では、攻撃魔法など使われていなかったのだ。


「となると、ノラはイーサンを……」


私はもう答えを確信した目をしたマミタスと声を揃えてーーー


『殺していない!』


そう結論付けた。

我々は答えがピッタリと一致したのを祝してハイファイブ、そのままシェイクハンドの体勢に移行する。


「エクセレンツッ!!」


考え方を変えるだけで、次々とパズルのピースが埋まっていく。

まるで探偵のようだ!

そうしてしみじみと自分の功績を噛み締めていると、妙に周りが静かなことに気がついた。


「……。いやはや、チッコロで有名人となった腕は本物でございましたね。これでは隠し立て一つ出来ませんね。大人しく壇上で踊っていれば、穏便に済みましたものを」


村長のボンクラがゆるりと手を挙げると、両脇に控えていたトビアスとエディがチャラリとどこから農具を取り出して構える。


「な、何なのだねこの剣呑な雰囲気は?ボンクラ村長、こんな所に耕す畑は無いのだが……」

「またまたご冗談を。知られてしまっては、生かして帰しておけないではございませんか」


ボンクラが挙げた手をゆっくり振り下ろす。

私たちに向かって。


「まずいぞ、マミタス君!!」

「きゃっ?!」


私は、走れと言うよりも早く彼女の手を掴んで集会場を飛び出した。

置き土産に、ゴロツキーより護身用に持たされていた燻玉いぶしだまをくれてやった。

集会場が瞬く間に煙と粉塵で覆われる。


ーーーこのまま、ぼうっと立っていれば口封じに命を奪われてしまう!


犯人が人狼ならば偽装工作をする必要はないのだから、犯人は村人複数人。

いや、先の推理通りならば、村人全員が犯人の可能性があるのだ。

仮にそれがこの事件の真相であるならば、我々は殺人犯の前で、嬉々としてその方法をひけらかした間抜けである。


私はしゃかりき運動不足の足に鞭打って雪を踏みしめる。

雪に足が取られて走りづらい。

靴も靴の中も溶けた雪でぐしゃぐしゃだ。


「逃げるぞ!」

「でも何処に!?」


狩人二人は飛び出したノラを追っているから、幸い小屋には老耄おいぼれが一人と戦闘力の低そうな村人二人のみ。

しかし、このまま走っても雪に慣れている地元民を撒けるとは思われない。

マミタスの疑問は、実に冷静に状況を俯瞰していた。


「村長の言う事が本当であれば、来た道は倒木で通れない。雪は既に止んでいる。山道を通れば足跡が残ってしまう!かくなる上は……」


私は、なるべく村人達の足跡の上を歩いて家畜小屋へと飛び込んだ。

イーサンの遺体を発見した時点で、ゴロツキーには魔羊皮紙で連絡してある。

きっとマギアガードを引き連れてやって近くまではやって来ている筈だ。

何も逃げるだけがこの艱難を凌ぐ手段ではない。

要は、彼らがこの村に辿り着くまで、潜伏する事が出来れば良いのだ!


小屋に押し入ると、羊のような毛皮を被りダチョウのようなスラリとした長い足の珍妙な生き物が大勢で我々を出迎えた。

こんなに差し迫った状況だと言うのに、彼奴らは間のぬけた声で鳴きながら、その細長い足先を寒そうに擦り合わせている。


「何だコイツは!」

「メリケンです!家畜用の魔物で、毛皮を採取したり、ミルクをいただいたりするんです。お肉も香草で包み焼きにすると美味しいです!」


羊だ!足の長い羊だ!

私はメリケンを掻き分けて彼奴らの中央へと転がり込んだ。


「ッ!?」


すると、そこに一人先客がいた。

ノラだ。

ノラは目を見開いてすぐさま踵を返そうとする。

彼は私とマミタスが真実に辿り着く前に飛び出してしまったから、私たちを追手だと思ったようだ。


「待て、我々は全てを知っている!もはや君の敵ではない」

「でも、俺は人狼で……」

「そんな事はどうだって良い!!君は誰も殺していないし、家畜も盗んでいない。そうだろう?」


私は逃げようとするノラを手で制して問うと、ノラはその目にいっぱい涙を溜めて頷いた、その刹那ーーー


ガタリ。

建て付けの悪い家畜小屋の扉が、苦戦しながらも誰かによって開かれる音がする。

私はノラとマミタスを引寄せ、床に散らかったメリケンの抜け毛と共に二人を隠すように抱き込んだ。



「も、もし見つからなかったら、俺たちは捕まんのか?」

「そりゃあ人殺してるからな」

「じゃあこんな所、探している場合じゃないじゃないか!王都方面に、に、逃げたかも」

「俺ぁ村の何処かに隠れてると思うがね。だってそうだろ?王都までの道は木々を倒して道を塞いであるし、森の方は魔物も出る」



この声、農夫のトビアスと小屋番のエディだ。

トビアスは探偵並みの冴え渡る推理で、探偵のこの私を追い詰めようとしている……。

マヒマヒとメリケンが鳴く音、そして自分の心の臓が脈打つ音。

家畜小屋の土を踏み締める音が、少しずつ近づいてくる。


このままでは、万事休すか……!?


「マミタス君、ノラ少年を連れて逃げられるか?」

「!?アガサさんはどうするんですか……?」


私は二人だけに聞こえるほど小さな声でマミタスに声をかけると、マミタスは私の袖を小さく引いた。


「奴らは私が引き受ける。作戦はこうだ。物物しく農具を構えている彼らの前へ私が飛び出して、注意を引く。その間にマミタスとノラ少年は隠れて小屋を抜け出し、ゴロツキーを探して保護してもらう。簡単だろう?」

「飛び出して、魔力も無いアガサさんに何が出来るんですか!」


珍しくマミタスの語気が荒い。

顔を見る事が出来ないから確認は出来ないが、もしかすると怒っているのかもしれない。


「なぁに、私にはニッポン仕込みのとっておきがある。案ずる事はない」


嘘だ。

ニッポンで習得した秘技は、土下座くらいのもだ。

あの状況を見て察するに、謝っても生きて返してくれそうもない。


「アガサさん、囮ならーーー」


私が、とマミタスが言い切るのを冴え渡るようにノラが声を上げる。


「俺を、俺を引き渡せばいいだろ!」

「たわけ!お前たちはまだ子どもだ。子どもは大人しく大人に甘えていればいいのだ。合図をしたら走って逃げろ。いいな?」


私はノラの顔を掴んで額を擦り合わせるほど近くで念押しをした。

そして彼らを奥へ押しやり、ムクリと立ち上がった。

農具を構えた二人の視線がギョロリと一挙にこちらへ向く。


「ほうら俺の言った通りだったろ?女は何処へ行った?」


トビアスがエディを肘で小突いてから、マミタスの居場所を探る。この男は抜け目ない所があるから恐ろしい。


「知らん!二手に別れたからな。それよりも何故だ!何故イーサンを殺害したのだ!」


私はジリジリと隠れているマミタスとノラの逆方向に足を進めた。

思惑通り、追手の二人はこちらににじり寄ってくる。


「旅の人は運が悪かったんだよ」

「は?」


あれだけの蛮行を働いておいて、運が悪かったとは一体どういう事なのか。


「フゥン。あそこまで紐解いたというのに、王都の有名人でもそれは分からないのか?なら冥土の土産に教えてやろうか?」

「是非お願いしたいね」


マミタス達はもう小屋を出ただろうか?

飛び出しそうな心の臓が時間感覚を狂わせる。


トビアスが薄ら笑いを浮かべて、事件の説明を始めた。


「アレがワーガルフであると言う正体を隠して、季節労働者として村に入り込んできたろ?俺が季節労働者の契約更新の手続きをしていた時、偶然にもアレの素性を記した書類を目にしたんだ。種族ワーガルフと書かれた書類を……。ラッキーだったよ。知らなければ、いつ理性を失ったアレが、無辜な俺たちを一人ずつ喰い殺したかもしれない。そうならないために、穏便に奴を追い出そうとしたって訳だ」

「貴様らは、ノラに家畜泥棒と人殺しの罪を着せて、ワーガルフである事実と共に私たちに暴かせようとした。そうだな?」


思えば初めから村人達によって、誰が犯人かではなく、人狼は誰かという思考に誘導されていたような気がする。

村全体でノラを追い出すための筋書きが用意されていたのだ。


「初めはワーガルフが家畜を盗んだ事を理由に、季節労働者の交換を国へ陳情しようとしただけなんだ。本当さ。村の自己都合で季節労働者を追い出したんじゃあ、代わりが来ないからな」

「ならばイーサンを殺める必要はなかった筈だ」


彼らは人狼が恐ろしいというだけで、あろうことか何の罪も犯していないノラに泥棒の濡れ衣を着せて追い出そうとしていた。

なれば、殺人の罪まで着せる必要はなかった筈なのだ。


「そうだ。探偵のお二人さんが宿へ戻った後、我々は全員宴会場に残っていた。するとどうだ。旅の人が酔い潰れたと見て、この馬鹿が作戦を話してしまった……」


トビアスがエディを強引に引寄せた。

終始エディがオドオドしていた事を思い出す。


「口封じか……。私たちにも同じ運命を辿らせようというのだな」

「はは。好きな言い回しだ。そうだ。集会場を飛び出した旅の人を咄嗟にベイグが抑えて、焦ったアルフが持っていた狩猟用の大刀で一太刀さ。こちとら自衛してただけだ。旅の人は運がなかったとは思うが、全ての罪はワーガルフにある」


トビアスは悪びれもしないで、肩を農具で数回叩く。まるでウォーミングアップでもしているみたいに。


「この村ではワーガルフは人を殺す存在だと定義しているのであれば、人を殺していないノラと貴様らのどちらが真にワーガルフであろうな?」


私は挑発的に彼を責め立てた。

これほどまで時間を稼げば、もう十分に役目は果たしただろう。


「知った事かよ」


トビアスがメリケンを押し退けながら走ってくる。

燻玉はもうない。

秘策も、打つ手も。

振り上げられた鍬が下ろされるのを私はキツくキツく目を閉じて待っていた、その時ーーー


『ーーーッ!!!』


獣のような咆哮が耳朶を乱打する。

驚きで目を開いた私の眼前に、全身を猛き毛皮で覆った狼、否人狼が現れていた。

私の身体は軽々とその人狼の鼻先で掬い上げられ、浮遊感で肝っ玉が縮み上がる。


「アガサさん!しっかり捕まっていてください」


人狼の背の上でマミタスが私を抱き止める。

あ、この毛皮ふかふかだ。


「マミタス君!この人狼は、ノラ少年か!」


能天気な家畜のメリケンは、人狼が現れた事に今更気がついたのか怯えて暴れ出した。

パニックになって誰彼構わずぶつかり合っている。

トビアスやエディも御多分に洩れずメリケンの体当たりを横っ腹に受けて突き飛ばされた。


『毛を掴んでもいいから、振り落とされないようにしとけよおっさん!』


そう言って人狼の姿をしたノラは私とマミタスを乗せたまま走り出した。

慣性の法則でぐいと空中に取り残されそうになるのを、私は力いっぱいしがみついて堪えた。


「二人で逃げろと言ったろ!それに私は君たちよりも大人だがまだ20代であり、おっさんではない!」

『秘策が有るとか言ってたけど、嘘だったじゃないか!大人は嘘つきだ!』


このノラの言葉には大人に対する猜疑心ではなく、私に対する戯れのようなものだと理解する。

ノラは雪の上をぐんぐんと走り抜ける。


「おああああ。ノラ少年よ、少し目を離した隙随分とふさふさと成長したもんだ!種族の登録とやらは良かったのか!?」


事マミタスによると人狼は数年間人の姿を保ち続ければ、種族を人として国に登録出来るらしいではないか。

人狼に対する根強い差別意識があるこの世界に於いて、それがどれだけ実生活に影響するかは想像に難くない。

村人達が多少強行にノラを追い詰めたのも、そうそう変身まではしないだろうとタカを括っていた部分もあるのかもしれない。


『もういいよ。だってそんな事はどうだって良い、だろ?』


ノラは少し喜色めいた声色で立派な犬歯を剥き出しにする。


「ゴロツキーさんならきっと塞がった王都方面道を迂回して村に向かっていると思います!ノラ、逃げるなら西の迂回路へ向かいましょう!」


マミタスが風切る音に負けないように声を張り上げた。

なるほど確かにゴロツキーは信頼の厚い男であるから、彼ならばなるべく早く村へ着くように行動している筈で有る。

ノラは進路を西に変更する事で承諾を示した。



走り始めて幾許経っただろうか。

村からはもう随分と離れたような気がする。

ノラへ組み付いているマミタスも私も、今にも力尽きそうなくらいにへろへろだ。

雪の中二人を負って走っているノラの疲労は尚のことである。

その足取りは重く、もはや足を進めるので精一杯のようだった。


まだ合流できないのか……?


すると遠くの木立の切間に動く影が見える。

それは、どうやらこちらへ向かって来ているようだ。


「人だ!ノラ、人影だ!後もう少し、踏ん張れるか?」

『ーーーーッ!』


ノラは猛々しく咆哮を上げ、最後の力を振り絞って人影に向かって走った。

小さな胡麻粒のようだった影がみるみる大きくなってゆく。


やはりマギアガードだ!


見覚えのある西洋風の甲冑を身につけた集団が、サラブレスだか何だかと云う馬のような魔物で荷馬車を駆っているのが確認出来る。


「例の人狼だ!総員構え!!」


聞き慣れた抑えのある低い声が号令を飛ばすと、その声の主人を中心にマギアガードが臨戦態勢に入る。

火の玉のような妖術がノラの脇を掠めて、ノラ呻き声をあげて膝をつく。


しまった!


ゴロツキーに文を遣わせた時は、人狼による殺人事件という話で捜査を進めていたのであった事を思い出す。

そうでなくてもいきなり人狼が目の前に立ち塞がれば、『殺られる前に殺れ』と攻撃を仕掛けてくるのは当然だった。

このままではノラがマギアガードによって狩られてしまう!


「待て待て待て!!ゴロツキー警部、私だ!アガサだ!」


私はむんずと毛を掴んでノラの背中より顔を出した。

ゴロツキーの困惑した表情が目に入る。


「ロウエン村の村人により、私たちは騙されていたんです!彼は、ノラは私たちを窮地から救ってくれた恩人です!」


マミタスがなりふり構わず叫ぶと、ゴロツキーは部隊の攻撃をすぐさま辞めさせた。


「のわっ」


ここまで休む暇もなく追い立てられ、体力の限界であったノラが、人狼の姿を保つ事も出来ずにその場へ倒れ込んだ。

我々は雪の上に勢いよく投げ出された。


「どういう事だ全く。初めから全部説明しろ」


ゴロツキーは腕組み呆れた顔をして我々を荷馬車の中へと案内したのだった。


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