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第40話 龍の隠れ里(3)古き墓標

 服がじっとりとへばりつく。

 天気はきっと晴れなのだろうが、空の色さえ見ることができないこの霧のなかでは意味がない。

 タカマガヒメに連れられて歩く道はひどく細く、今にも崩れそうなほどだ。

 ……ふと、左側を見る。

 そこには深い深い、真っ白な霧に包まれた谷がぽっかりと口を開けていた。

 きっと、ここに落ちてしまえばただでは済まないのだろう。

 神秘的な空間と恐ろしい道筋にめまいさえ覚えながら、俺は霧ヶ岳へと向かっていた。


                  ◇


「……着きました。ここが霞ヶ岳です」


 タカマガヒメは、緊張した顔つきでそう語る。

 俺は、深い谷の中に点々とそびえたつ山々を見つめていた。

 なるほど、確かに古い文献などがあれば風情のあるところではある。

 しかし……。


「……なあ、石碑はいったいどこにあるんだ?」


 そう、石碑が見当たらないのである。

 どこかに隠されているのではないかと【鑑定】を使って調べてみたが、小さなものがある様子もない。

 どこからどう見ても、不思議な姿をしただけの山脈だ。


(まあ、山のひとつひとつに魔力の痕跡が見えるのは気になるが……)


「……すでに見えていますよ」

「……え?」


 それを聞いて、じんわりと冷や汗が流れる。


「……まさか」

「ええ。この山のひとつひとつ、それ自体が石碑なのです」


 俺は改めて、細くそびえたつ山を見る。

 そこには確かに、緻密に彫られた魔法語が残されていた。


                  ◇


「……それにしても、こんな場所にも魔法語があるなんてな」


 俺は遠い山に彫られた文字を見てひとりごちる。

 魔法語は長い間使われてはいるものの、意外なことに起源は判明していない。

 かなり古くから利用されていることだけは確かではあるが、起源を示す文献が見つからないのだ。


「おや? セーレ様はご存じないのですか?」


 そんな俺の様子を見て、タカマガヒメが不思議そうに首をかしげる。


「魔法語とはかつてこの世界を創造した神が生み出した言葉。ゆえに万物にそれを扱う素質が残されているのです」

「いや、それは知っているが……もしかして、王国の出身なのか?」

「いいえ? 私は生まれも育ちも、龍の隠れ里ですよ」


 おかしなことを言いますね、とタカマガヒメがくすくす笑う。

 正直なことを言うと、俺は少々驚いていた。

 タカマガヒメが言うように、魔法語は創造神が生み出した、という伝説はある。

 しかしそれを証明することは難しいというのもあり、現在では無視されている説だったのだ。

 ……なるほど、確かにタカマガヒメが王国の出身であれば知っているのはおかしくない。

 たとえばミーア共和国の出身でも、ブルートファートストーヴ帝国でも同じだろう。

 だが彼女はこの不思議な森で生きている龍だ。

 龍の隠れ里というのは聞いたことがないが、彼女の様子を見るに、あのばば様とやらが居た場所がそうなのだろう。

 そんな俺たちとはまったく違う土地で生まれ育ってきた彼女が、俺でも知っているおとぎ話を語るというのが、なんとも奇妙に思えたのだった。


「……よし、ここからならちゃんと見れそうですね」


 山の中腹に辿り着くと、タカマガヒメが足を止める。

 彼女の言葉につられるように上を見てみると、そこから緻密に刻まれた石碑の全文が読み取れるようになっていた。


「改めて見ると、かなり大きいな……」

「龍が刻んだ、龍が見るための石碑ですからね。私たち幼龍や人間の方々からすれば恐ろしい大きさであることは間違いありません」


 タカマガヒメが俺の言葉にうなずく。

 龍の中に混じってきたのなら大きさの価値観が違うのではなかろうかと思っていたが、やはり彼女からしても大きいものらしい。


「……他のものと見比べてみると、ここだけ随分と古めかしいな」

「そうですね、この石碑が、一番最初に刻まれたものだそうですから。他の山々はすべて後から持ち込まれたものだそうですよ」


 そう答えながら、タカマガヒメは山の上に刻まれた文字を凝視する。


「……リ…………の……、……処に……る……だめですね、風化してしまっています。この状態では全文を読むことなど到底できません」


 いつの間にか全文を読んでいたらしいタカマガヒメがため息をつく。

 改めて山を見上げてみると、確かにところどころ、文字がかすれて読めない箇所がある。

 タカマガヒメの言う通り、この状態ではとてもじゃないが全文を読むことなどできない。


(まあ、普通なら、だけどな)


「……タカマガヒメ、俺に任せてくれないか」


 突然の提案に驚いたらしい、タカマガヒメは俺を不思議そうな目で見つめた。


「しかし、これほどまでに風化してしまっては……」

「大丈夫だ。俺はこういう時にうってつけのスキルを持っているからな。……【鑑定】」


 混乱するタカマガヒメを尻目に、俺は山の全文を【鑑定】する。

 ……予想通りのようだ。肉眼ではとぎれとぎれにしか読めない文字も、【鑑定】を通すことですんなりと読むことができるようになった。


「なになに……『ルリヒメの妹、此処に眠る』……?」


 予想を裏切る文章に、俺は混乱を免れなかった。

 古い文献が眠る場所だと聞いて、てっきり歴史的な文書が刻まれているものだと思い込んでいたのである。

 しかし、この文章はまるで……。


「嘘……それじゃあまるでお墓……」


 タカマガヒメも予想外だったようで、瞳を大きく見開いて呆然としている。

 彼女のこの様子を見るに、この事実について知っていたわけではないだろう。

 ……もしや他のものもそうではないかと【鑑定】してみたが、どれも歴史的な出来事について刻まれたものばかりだ。

 そのいくつかは興味深いものだったが、現状ではまるで役に立たない。


(そうだとすると奇妙にも思えるが……いや、もしかして……)


 あたかもこの墓を隠そうとするかのように乱立した石碑の数々。

 それだけを考えれば、あまりにも不気味な光景だ。

 しかし、これが意図されたものだとしたら?

 つまりは、この墓こそが霧ヶ岳でもっとも重要なものであり、他の石碑はこれを隠すためのおとりなのだとしたら?


(……いや、だとしても説明がつかない。そもそもなぜそのようなことをしたのか)


 しかし俺の予想は、「なぜ」という点で壁にぶつかってしまう。

 そう、あまりにも意図が見えない行為なのだ。

 やはり、偶然このような形になってしまっただけで、この墓は他の石碑とはなんの関係もない、ただの墓なのだろうか。

 俺がそう結論づけようとしていた瞬間――。


「……もしかして、だからみんな教えてくれなかったの……?」


 ――タカマガヒメのその一言が耳に入った。


「ここについて聞いたがことないのか……!?」


 あまりにも突然降ってわいた情報に、俺は思わず彼女の肩をつかんでしまう。


「は、はい。実はここも、遠くで他の龍がしゃべっているのを聞いただけで、直接教えてもらったことは……」


 他の幼龍も教えてもらっていたみたいなのに、とタカマガヒメがつぶやく。

 ……他の龍には教えず、タカマガヒメにだけ秘匿している情報。


(もしかしたらだが……)


「……なあ、この墓を見てもいいか?」

「え? な、なぜ……」

「他の龍には言ってるけど、お前にだけ隠しているんだろう? もしかしたら、お前のその身体の秘密と繋がっているのかもしれない」


 その言葉に、タカマガヒメはひどく心惹かれたようだ。

 ひどく悩んだ様子で瞳をゆらめかせていると、やがて諦めたように大きく息を吐き、「よろしくお願いします」と震える声で答えた。


「ああ、任せてくれ。墓荒らしにはならないようにするよ……【鑑定】」


 俺はいつものように【鑑定】を使い、墓の奥深く、亡骸が葬られているであろう場所を見る。

 白い谷よりも深く、冷たい土よりも深く……。

 昏い深淵の中、そこにこの墓の主が――。


「……!」

「ど、どうしました?」

「……ない」

「え?」


 タカマガヒメが意味を測りかねた様子で首をかしげる。


なにもないんだ(・・・・・・・)。亡骸も、灰も、魔力の残りも、全て」


 タカマガヒメの目が、大きく見開かれた。

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