第35話 水の都シエロ(5)悪巧みの時間
「……こちらです」
ヘルメスの言葉に反応して、俺はその建物を見上げる。
美しく磨き上げられた大理石の壁に、異様なまでにごてごてと飾り付けられた金の細工。
窓から謎の鎖が(もちろん金色だ)吊り下げられているのを見て、めまいさえ覚える。
扉も金色。もはや光らない場所を探すほうが早いのではなかろうか。
そう思わせるほどに過剰な姿をした豪邸。
これが、シエロの町長、アントニヌスの邸宅であった。
「……悪趣味ね」
フランが嫌悪感を丸出しにしてそうこぼす。
富裕層出身ではない俺でさえ若干引いてしまうほどの異様な姿なのだ、没落したとはいえ、上流階級の人間であったフランには耐えがたいものだろう。
ヘルメスとマリアンヌも同感だったようで、各々大きく首を振る。
「それで、大丈夫なの? なにも調べてないみたいだけど……」
フランが俺に話を振ってくる。
俺はここに来るまでに、とくに準備をしていなかったのだ。
厳密にはしてはいたものの、それも魔力を込めることで映像を撮ることができる魔石、『ダゲレオ』だけ。
アントニヌスが具体的になにをしていたのかなどといった、弱みのようなものは一切握っていない。
彼女が不安に思うのもムリのない話だった。
……だが、それでも俺は大丈夫だという確信があった。
これで問題なく要求を飲ませることができるだろうという確信が。
「……先んじてアントニヌスと会う約束を取り付けています。おふたりは今回の功労者として紹介しておりますので、問題はないかと」
「ああ、ありがとう」
ヘルメスに向かって、軽く頭を下げる。
彼女はすべてを理解しているような目で「あまり目立ちすぎないようにしてください」と忠告をしてきた。
どうやら俺の考えはすべて筒抜けらしい。
(……まあ、今回はむしろ好都合なわけだが)
「……それでは、準備はよろしいですか」
ヘルメスが俺たちに確認する。
まったく問題はない。
俺は自信満々で首を縦に振り、それを見たフランは心配そうながらも渋々俺に続いた。
あまり納得していないようだが、説得は後だ。
俺たちは、すでに待っていたアントニヌスの召使いに連れられて屋敷へと入っていった。
◇
「おおヘルメス殿! よくぞ来てくださった」
目が痛くなるほどのまぶしさを放つ金の邸宅内を抜けて主人の部屋に着くと、この屋敷の主はどこか横柄な態度で俺たちを出迎えた。
言葉遣いこそ丁寧なものの、隠しきれない傲慢さが漂っており、まさに慇懃無礼といった様子だ。
見た目はというと、やはりと言うべきかあまりにも派手な装飾品が目立つ。
痩せた長身に似合わない、ゴツゴツとした金の首輪、指輪、さらにベルトと、もはや金をまとっていない場所のほうが少ないのではないかと思えてしまうほどだ。
その細い身体を器用に動かしてもみ手をしているが、その目は侮りと嘲笑に満ちている。
アウグストもかなり思いあがった人間だったが、こちらも違った方向で嫌味な雰囲気をかもし出している。
(ここまでいかにもな人間だと、逆に関心するな)
俺は内心でそのようなことを考えながら、アントニヌスにひざまずいた。
どれほど下品な人間だったとしても、相手はこの街の長だ。
あまり失礼な行いをするべきではないだろう。
フランもまた、俺と同じように動いていた。
「もうよろしいですよ」
アントニヌスがそう答えるのに合わせて、俺たちは顔を上げる。
彼の目に、ギラギラとした欲望の火が灯っているのがわかった。
「それでは本題に入りましょう。ヘルメスさん」
アントニヌスはパンパンと手を大きく叩くと、「シャーリー!」と大きな声を上げる。
ここの召使いかなにかだろうか。
その言葉に反応するように、横に立っていたメイドの女性がお辞儀をすると、ヘルメスの前で巨大な書類を広げた。
細かい文字がびっしりと書き込まれていて非常に見づらいが、ヘルメス・トトメス・トリスメギストスの譲渡についての話題であることはすぐにわかった。
「…………」
ヘルメスは一言も発さず、感情の見えない目でその書類を読んでいる。
俺がまばたきをした瞬間にはもう次の行に移っており、驚異的な速度だ。
それがしばらく続き、やがてヘルメスは息を吐く。
どうやらすべて読み終わったようだ。
「……あなたの希望はわかりました。少し、時間を頂けないでしょうか」
ヘルメスの言葉を聞いて、アントニヌスの顔に喜びの表情が浮かぶ。
どうやらこれを了承の意だと捉えたらしい。
「良いでしょう、部屋はこちらで用意いたします。……シャーリー、お客様を客室へ案内しろ。後ろのお三方は別のところでな」
シャーリーと呼ばれた女性は丁寧にお辞儀をし、そのまま俺たちを客室へと連れて行った。
◇
「なによ! どう考えたって無理やりにでもなんとかする気じゃない!」
客室に入り、シャーリーの靴音が遠くなったのを見計らってか、フランが怒りだした。
さすがに自重しているが、周囲のものに当たり散らしかねないほどの剣幕だ。
「まあ落ち着け、あちらにも考えがあるんだろう」
口ではそう言ったが、実際のところを言ってしまえば、俺もフランと同意見だ。
万が一のことがあったときに、暴力か、あるいは権力で脅しをかけるために、俺たちを離したのだろう。
マリアンヌも同意見のようで、しきりに頷いているのが見える。
「セーレ! あんたもなにかいいなさいよ! いつもなら――」
「……『幻影生成』」
まだ怒りのおさまらないフランを尻目に、俺は魔法を唱える。
魔力によって見える風景を変えてしまう魔法だ。
その込める量によっては、無機物さえもだますことができるという。
「……驚きました。まさかここまでの実力の持ち主とは」
才能だけならヘルメス様と同等……いやそれ以上……。
ぶつぶつと、マリアンヌがつぶやく。
「……なにをしたの?」
フランが俺にたずねる。
「幻影で部屋に隠されていたダゲレオをだましたのさ。……さて、これで本題に入れるな」
俺がそういうと、フランは納得した様子で俺を見た。
だいぶ順応してくれたようでうれしいが、あの初々しい反応が見られないと考えると少しさびしくもある。
いつの間にかマリアンヌも正気に戻っていたようで、俺の目を見てこうたずねた。
「セーレ様」
「セーレでいい。それに敬語もいらない。そんな風に呼ばれるとちょっとむずがゆいんだ」
「……セーレ、次はどうするんだ?」
フランとマリアンヌが俺を見つめる。
どうやらフランもある程度事態を察したらしい。
俺は息を吸うと、心の中にある自信を吐き出すようににやりと笑った。
「ヤツの弱みを握りに行くぞ」




