第34話 水の都シエロ(4)事件の裏側
ヘルメスの顔を覆っていたフードがはらりと落ちる。
――そこには、短く切られた白い髪と、海のように澄んだ青い眼をした、美しい女性がいた。
「……え」
フランが呆然とした様子で彼女を見る。
俺がフランに声をかけようとした瞬間――。
「ヘルメス様!」
――マリアンヌが走ってきた。
彼女はヘルメスの様子を確認すると、敵意を隠さない様子で俺たちをにらむ。
「お前たち、まさか……!」
「……やめなさい、マリアンヌ」
懐からナイフを取り出したマリアンヌにヘルメスが声をかける。
「し、しかし……」
「マリアンヌ」
ヘルメスがもう一度マリアンヌの名を呼ぶと、彼女はしぶしぶといった様子でナイフを床に置いた。
「……やっぱり、マリアンヌも共犯だったわけか」
ヘルメスがゆっくりと首を振る。肯定の意だ。
そのまま要求を飲ませようとして――。
――フランが待ったをかけた。
「なんだフラン」
「ねえ、この人はほんとうにヘルメスなの?」
なるほど、これは間違いなく俺の失態である。
俺はこの【鑑定】スキルがあるから嘘ではないと知っているが、フランは違う。
彼女にとって現状は、ただ目の前のヘルメスを名乗る女性を捕まえただけなのだ。
となれば他に本物のヘルメスがいる可能性を考えるというのは非常に妥当な判断である。
……つまり、まず俺がしなければならないのは、彼女に目の前の人間が本物のヘルメスであると説明することだ。
(……これまた面倒な)
「俺のこの【鑑定】スキルで確認した……だけだと信ぴょう性がないな」
「そりゃあそうに決まってるじゃない。貴方のことは信頼しているけど、それとこれとは話が別よ」
中々客観的な証拠を出せずにいる俺と、不審げな眼をよこすフラン。
奇妙なこう着状態に向かうのか。
……そう思っていたとき、思わぬ方向から助け舟がやって来た。
「……フラン、と言いましたか」
ヘルメスが、フランに話しかける。
「フランベルク・フォン・フラゲデスシーデス・ガルダと申します」
「そうですか……」
するとヘルメスは宝玉を――ヘルメス・トトメス・トリスメギトスを手に取り、なにやらぶつぶつと唱え始めた。
警戒を強めるフランをよそに、魔法の詠唱は続く。
そしてしばらくして――。
――宝玉から、赤い炎が立ち上がった。
「信用できないのなら、あなたもご利用なさい」
ヘルメスが七色に光る宝玉をフランへと投げよこす。
驚いて落としかけてしまったが、なんとか手の中に入れたフランは、言われた通りに魔力を込め始めた。
フランの手元に魔力が集まっていくのがわかる。
そして魔法を詠唱しようとして、なにも起きずに終わった。
いや、正しく言い換えると、魔法は発動したのだ。
ただ、その魔力のすべてが宝玉に吸い取られてしまっただけで。
「……本物の、ヘルメス様なのですね」
「ええ」
ヘルメス・トトメス・トリスメギトスは制作者にしか利用できない。
言葉では聞いていたが、実際にその意味を目の前にしては、彼女の言葉を信じるほかなかった。
フランの心中は、おおよそそのようなものだろう。
これでヘルメス・トトメス・トリスメギストスの問題は一件落着である。
そもそも自作自演なのだから、犯人を捜す必要さえない。
結局のところ、事件でさえなかったのだ。
だからこそ、気になることがある。
「………………」
「……セーレ?」
フランが心配そうにこちらを見ている。
俺は息を吸って、ヘルメスの眼をじっと見た。
彼女も覚悟はしていたのだろう、唇をきゅっと引き締め、背筋を伸ばしている。
「……なんでこんなことをしたのか、教えてくれないか?」
そもそもおかしな話なのだ。
ヘルメス・トトメス・トリスメギトスはとてつもなく価値のあるものだ。
しかし、その所持者は変わらずヘルメスであり、そして残すも壊すも彼女の勝手である。
確かにその行為によって非難を受けることもあるかもしれない。
だが、彼女はその程度ならどうにでもできるような人物のはずだ。
(……まあ、だからこそある程度検討もつくんだが)
ヘルメスは言いづらそうに頭を下げている。
それをかばうように、マリアンヌが俺たちの前に出ていた。
その目にある殺意はまだ現役で、少しでも隙を見せたら殺されてしまいそうなほどだ。
(どこかの暗殺者だったんだろうか)
部屋を飛び交う小鳥のさえずりが神経を逆なでする。
それほどこの部屋には緊迫感が漂っていた。
「……この国の、貧富の格差についてはご存じでしょうか」
ヘルメスがようやく口を開く。
「いや、この街にも来たばかりだからな」
「そうですか……この国は非常に貧富の差が激しいのです。富める者はあたかも夕食を選ぶように別荘を買い、一方で貧しい者は明日の寝床にさえ窮している。そのような国なのです」
ヘルメスの言葉を聞いて、俺は内心で驚いていた。
確かに王国でも貧富の差はあった。
彼女が語るような光景も、見たことがないとは決して言えない。
しかし、この国には期待とも言えるような幻想を抱いていたのかもしれない。
記憶の中にある美しい街並みが、途端に剣呑なものへと変化したような気がした。
「私はそれが我慢ならなかった。ゆえに、魔術師としての名声を利用して孤児院を開設したのです。ですが……」
「経済状態がよくない、そんなところか」
「はい。その通りです」
聞いたところによると、孤児院と屋敷は別々にあるのだという。
そしてこの屋敷は非常に大きく、豪華なものだ。
一聴しただけでは、彼女の発言は矛盾したもののように思える。しかし……。
「……そうか、貴族の付き合いか」
「ええ。私もそれなりの資金を持っていましたが、継続的な運営をするには心もとないものでした。そのためにも、貴族の方々の支援が必要だったのです」
「その口ぶりだと、あまりうまくいっていないように思えるが」
「恥ずかしながら。……今までは寄付である程度回っていたのですが、少々厄介なことが起きたのです」
途端に、俺の中で嫌な予感が湧き上がる。
こういった時の勘というものは大体当たるものだ。
(俺としては放っておきたいところなんだが……)
ちらとフランを見てみる。
彼女の瞳は、正義の光で輝いていた。
困った人間を見捨ててはおけないと、言葉はないながらも雄弁に物語っている。
この様子では、引き留めても意味はないだろう。
(仕方ないか……)
「どんなことが起きたのか教えてくれ」
「……聞いてくださるのですか?」
「ああ。……横のこいつがうるさそうだからな」
変わらずヘルメスの前に立っていたマリアンヌが、驚いた顔で俺たちを見る。
まさかこのような状況になるとは思ってもみなかったのだろう。
「……ありがとうございます」
「礼はいい。なにがあったのかを詳しく教えてくれ」
俺がせっつくと、ヘルメスはゆっくりと言葉をつづけた。
「……シエロの町長、アントニヌスが『ヘルメス・トトメス・トリスメギトスを持って自分に仕えろ』と、そう言ってきたのです。……そうすれば、孤児院の維持費を出すと」
衝撃だった。
いくら今は孤児院の院長をしているとはいえ、彼女はとてつもない有名人だ。
超国家的な権力を持っているといっても過言ではない人物を目の当たりにして、そのようなことを言う人間がいたのか。
「アントニヌスは評判のよくない男です。彼はいつか来る戦争のためと言っていましたが、十中八九私欲のためでしょう。……あるいは、なにかしら企んでいるのかもしれません」
「なんでだ?」
「あの宝玉があまりにも強すぎるからです。そもそも私が持っていられるのも、制作者であること以上に、今までの功績を認められてのこと。もし一国のために利用するとなれば、世界的な非難は避けられないでしょう」
なるほど、ヘルメスの言い分はもっともだ。
あの宝玉があれば、確かに戦争には勝てるだろう。
しかし、その後どうなるのかと言われると、順風満帆にいくとは限らない。
とくに、このミーア共和国のような貿易によって成り立っている国にとって、印象の悪化は致命的だ。
彼女はそれを危惧しているのだろう。
「それで、どうするつもりだったんだ?」
「壊すつもりでした」
「……壊す?」
「ええ。誰にも見られないように破壊し、使い物にならなくする。最大限の警戒をした上でなお破壊されたとなれば、アントニヌスも強くは出られないでしょう。……最悪の場合も、逃げるつもりでしたし」
ヘルメスの声が沈む。
それだけで、逃げるという選択が最後の手段であることが容易に想像できた。
「ねえ、セーレ」
「なんだ? フラン」
「その町長をどうにかすればいいんじゃないかしら?」
あまりの話に怒りが爆発してしまったのだろう。
一見冷静に意見を出すフランだったが、内容が滅茶苦茶だ。
「フラン、落ち着け」
「……ごめんなさい、頭に血が上っていたわ」
軽くなだめると、すぐにフランは落ち着きを取り戻した。
「……ただ、何もしないつもりというわけじゃない」
「……え?」
「できるかどうかは保証できないが、町長の説得くらいなら付き合ってやるよ」
3人の視線が一斉に俺を向く。
まさか俺がそのようなことを言い出すとは思っていなかったようだ。
……ヘルメスとマリアンヌはともかく、フランにまでその目をされるのは心外だが。
「ただし! 手伝えるのはそこまでだ。貧困問題とかには手を出すつもりはないぞ」
わかってはいるだろうが、念のためにきっちりと釘を刺しておく。
そういった問題は国の人間がやるべきことであって、部外者である俺たちに出る幕はないのだ。
3人はそれぞれ首を縦に振る。
……どうやら杞憂だったらしい。
「セーレ様、誠にありがとうございます。この恩はどう返せばいいものか……」
「そうだな、それなら後で話を聞いてくれ。もちろん、この件が終わったあとでな」
俺たちはきびすを返し、一斉に部屋の外に出る。
さて、ここからが本番だ。




