第32話 水の都シエロ(2)ヘルメス・トトメス・トリスメギストス
ヘルメスの屋敷、その応接間に招待された俺は、その場にすでに立っていた4つの人影をじっと見た。
ひとつ、筋骨隆々な男。
ふたつ、片眼鏡を付け、シンプルなドレスに身を包んだ女。
みっつ、シルクハットをかぶった怪しげな青年。
そして最後。全身をローブで覆った、性別不詳の人影――ヘルメス。
「……皆様。揃ったようですね」
俺たちの到着を確認したヘルメスが、なんとも中性的な声でそう発する。
「はい。私の姿を見て、この者たちは答えてくれました。出自は不明ですが、信頼はできるかと」
先ほどまでとは打って変わって、自身に満ちた表情へと変わったマリアンヌが答える。
そしてふところから小さな真珠のような宝石を取り出したのを見て、俺は彼女に試されていたのだと気づいた。
(さすがはヘルメス。召使いたちもしっかりと鍛えられているというわけか)
先ほどマリアンヌが取り出したものは、『あわれみの石』と呼ばれる魔石の一種だ。
それを持ったものは、ありとあらゆる人間にとってみずぼらしい存在であると認識されてしまうという、なんとも使いづらいシロモノである。
ほとんどの人間にとってその所持者は目に入れたくもない存在となってしまい、その誘惑に打ち勝つものは、勇気か知恵か、どちらかが非常に優れた人間のなのだとか。
そのため、普通は拾われることなど滅多になく、万が一が拾われたとしても捨てるのが普通である。
しかし、マリアンヌは恐るべきことに、それを逆手に取って信頼できる人間探しをしていたらしい。
周りも、突然マリアンヌが素晴らしい存在に見えてきたようで、動揺を隠せないでいる。
「なるほど。私のためによく働いてくれました。感謝します」
「ありがたき幸せ」
ヘルメスにマリアンヌがひざまずく。
「……で、俺たちはどうして連れてこられたのか、教えてくれるんだろうなぁ?」
しばらくして落ち着きを取り戻したらしい。筋骨隆々な男がヘルメスに食ってかかる。
……といっていいのかは不明だが、どこか喧嘩腰なのは確かだ。
喧嘩っ早い性格らしい。
「そうです。わたくしとしても、何も説明も無ければ動くに動けないというもの」
ドレスを着た女性が、男に同調する。
言葉遣いこそ綺麗なものだが、その見下した声色と相まってまさしく慇懃無礼といった様子だ。
しかし反撃の隙は与えないあたり、中々の修羅場をくぐってきたとうかがえる。
「まったくだ。このボクが来たというのに、あんまりな扱いじゃないかい?」
最後にシルクハットの男が周囲をあざ笑う。
非常に腹の立つ物言いだが、どこか虚勢を張っているような、芝居がかった側面もある。
おおかた、自信のない本心を隠すための仮面、といったところだろう。
3人は一斉にヘルメスの方向を向き、俺もそれに続く。
俺自身、具体的にどういったことを行う予定なのか、本人の口から出してほしかったからである。
「こうではないか」と予想をつけることはいくらでもできるが、それと本人から発される言葉の間には、天と地ほどの差があるものだ。
「皆様の意見もごもっともです」
ヘルメスが静かに返事をする。
まったく動揺の色が見られないあたり、彼もまた、ずいぶんと色々な修羅場をくぐり抜けてきたらしい。
――おそらくは、ここにいる誰よりも多くの。
「それでは、なぜこの場所に招待したのか、理由をお教えしましょう。こちらへ」
するとヘルメスとマリアンヌの後ろに扉が出てきて、彼らはその中へと入っていく。
それに続いて、俺たちもこの屋敷の奥地へ足を踏み入れるのだった……。
◇
「……お待たせいたしました。こちらがその『理由』です」
応接間の奥には、なにもない広大な空間が広がっていた。
壁の見えない(一応、一定以上の距離から先はこの場所へと戻されるようになっているらしいが)地平線いっぱいに、美しい景色が広がっている。
室内だというのに屋外そのものな部屋からは、華やかな花の匂いが漂っていた。
いや、事実花が咲いているのだ。植木鉢などではなく、今、俺たちが立っているこの地面で。
「な、なんだこりゃあ……」
無骨な男が呆然とした様子でつぶやく。
男がそう思うのももっともだ。
魔法というのは、一部を除いて基本、修行さえすれば誰にでも扱えるものである。
しかし、空間を歪めるような魔法となるとそうはいかない。
それでありながら、屋内にこれだけの広大な空間を作り上げてしまうのだ。
ヘルメスが大魔術師と呼ばれる一端を垣間見られた気がした。
話題の彼はというと、そのまま部屋の真ん中へと向かう。
そして空中に手をかざすと、そこから半透明の結界が浮かび上がった……!
「こ、これは……!?」
ドレスの女が思わず声を出す。
いや、これがどのような物なのかなど、本当はだれしも理解しているのだ。
ただ、それが目の前にあるという現実を受け入れられないだけで。
「これが、私が作り上げた魔石……『ヘルメス・トトメス・トリスメギストス』です」
あまりの内容に、周囲が押し黙る。
俺もまた、目の前にあるものの、予想以上の神々しさに言葉が出なかった。
ヘルメス・トトメス・トリスメギストス。
世界ではじめて、そして唯一存在する人工的に作られた魔石である。
その力はおそろしいもので、国ひとつ簡単に滅ぼすことができるという。
「安心してください。万が一のことがあっても問題ないように結界を張っておりますので。それに、私と同じような魔力の持ち主しか取り扱えないものですから」
ヘルメスは平然とした様子で、その魔石を眺めている。
そこに表情はなく、どのような気持ちであるのかは推察するほかはない。
「それで、これがなぜ、ボクたちを呼ぶ理由に?」
シルクハットの青年がうろたえた様子でヘルメスに問いかける。
「……あれは、雨足の強い日のことでした」
ヘルメスが、ぽつりぽつりと語り始める。
「私たちは、いつものように孤児院の子どもたちを世話していたのです。しかし……」
「しかし?」
しまった、という時にはもう遅い。
俺は、ほとんど反射的にその言葉を出していた。
「……とある手紙が送られてきたのです。その内容は「近日、ヘルメス・トトメス・トリスメギストスをいただく」といったものでした」
「まさかそれを信じたとでも?」
青年が口をはさむ。
しかしそう返されるのは予想の内だったようで、
「それだけではありません。おそろしく思ってここまで来た時、結界がはがされていたのです」
周囲に動揺が走る。
いやに明るい室内の天井が、うとましいと思った。
「この結界は私が直々に張ったものです。たやすく破ることができるようなものではありません」
「つ、つまり……」
「ええ、これはただごとではありません。……最悪の場合、戦争が起きる可能性さえあります」
あまりにも衝撃的な発言だった。
しかし、だからこそ疑問に思う点がある。
「さっき、あなたは「自分と同じような魔力の持ち主にしか使えない」と言ったよな? ならなんでそんなことを心配するんだ?」
「それは……」
「優れた魔術師は、己の魔力を違う形へと変化させることができるからですよ」
俺の質問に、マリアンヌが代わりと答える。
「……そうです。相手は結界を悟られぬよう破壊できる実力の持ち主、油断はできません。だからこそ、あなた方にお願いしたのです」
周囲に重い沈黙が走る。
だれもが言葉に困るなか、俺は真っ先に、彼へ視線を合わせた。
「もし」
「はい」
俺は一歩前へと踏み出す。
「もし、この事件の犯人を捕まえられたとしたら、ひとつ約束してほしいことがあります」
「なんですか?」
「俺の質問に、なんでもひとつ答えてほしい」
俺の言葉に驚いたのだろう。彼は一瞬身体をこわばらせると、どこか嬉しそうな声色で、
「ええ。かまいません」
と、答えた。
◇
俺はフランとともに、先ほどの部屋に立っていた。
他の3人は結局辞退するとのことで、しかし家までも遠いので、とりあえず一拍はする予定なのだとか。
万が一のときは、彼らに強力をあおぐのも手だろう。
俺は、先ほどヘルメス・トトメス・トリスメギストスがあった場所へと手をかざす。
すると、その虹色の宝玉が、ぼうっと姿をあらわした。
「特定の人物にだけ反応する結界か……」
その技術の高さに思わず舌をまく。
この結界だけでなく、部屋そのものもヘルメスが許可した人物しか侵入できないようになっているらしい。
これだけ万全の体制だ。もし盗み出されたとしたら、そうとうな事だろう。
「どう? 大丈夫そう?」
フランが聞いてくる。
「ああ。大丈夫だ」
かれこれ3時間、このような事を続けていた。
部屋の様子はというと相変わらずのどかで、もう真夜中だというのに昼のごとく明るい空が降り注いでいる。
それからさらに30分後、事件は起きた。
フランと俺のまん中に、ひとつの影が通り過ぎていった。
「【鑑定】――!」
ほとんど反射的に相手を【鑑定】したが、あまりにも早い。
捕まえるどころか視線のすみに映すのがやっとで、その人影は消えていった。
「な、なんだったの!?」
フランがうろたえた様子で周囲を見る。
俺はというと、笑いを抑えきれなかった。
「……クッ、ククッ、ハッハッハッ!」
フランが不気味なものを見るように俺を見る。
しかし良いのだ。相手が何者なのか、そしてなぜこのようなことをしたのか。あらかた理解できたのだから。
「……ど、どうしたの?」
フランがおずおずと尋ねてくる。
「安心しろ。すぐに犯人と再開できるからな」
そう答え、俺は宝玉を保管している結界を起動させる。
その中は何も残っていない、からっぽの結界だけが残っていた。




