第31話 水の都シエロ(1)奇妙な老婆
俺とフランは、ミーア共和国の首都、シエロにたどりついていた。
王国の隣にあるミーア共和国は、貿易で非常に有名な国だ。
国土の多くが島であることも特徴で、とくに小さな島々でできた首都シエロは、大陸随一の美しさを持つ街として有名である。
同時に芸術の街でもあり、そういった装飾品に興味を持っていたフランに連れられて、ここまで来た、というわけだ。
しかし……。
「本当にきれいな街だな……」
石で整備された道と透明な海のコントラストは見事なもので、まるでおとぎ話の世界に連れてこられたような感覚を俺に抱かせる。
交通の便のためだろう、あちらこちらに船着き場が置かれており、そこへ小さな舟が次々と入っては出ていく。
そもそも海というものを見たことがなかった俺には、あまりにも新鮮な光景だった。
海辺に移る自分の姿に子どものように感動しながら、俺はうわついた足取りで宿を探していた。
当初の目的を忘れてしまいそうになるほどに。
フランに連れられてここに来たというのは、事実ではあるのだがすべてを語っているわけではない。
もうひとつの目的は、ここにいるという大魔術師「ヘルメス」を訪ねることだ。
大魔術師ヘルメス。
今から約20年前、彗星のごとく魔術界にあらわれた彼は、その天才的な頭脳を使って次々と大発見を行った。
その中には魔法の詠唱と魔法の威力における相関関係、呪具にこめる適切な魔力量など、今となっては常識となっているものさえある。
もちろん、昔から経験則として語られてはいたのだが、理論化するにはあまりにも複雑なものだというので、賞金さえ出されていた問題だったのだとか。
それを彼は、あっさりと証明してしまったのだ。
天才児としてもてはやされ、ついには若干30歳で「賢者」の称号さえ得たヘルメス。
しかし彼は、その数年後にあっさりと引退を表明し、故郷のミーア共和国で新たな生活を始めたのだ。
ミーア共和国一大きな孤児院の園長。
それが今の彼の肩書である。
……もっとも、彼は常にローブで全身を隠していたというから、本当にヘルメスが孤児院をやっているかどうかも確かではないのだが。
「とりあえず、宿をとりましょ?」
興奮して子どものようにあちらこちらにフラフラする俺を見かねたのか、フランが呼びかけてくる。
一応自制していたつもりだったのだが、傍から見るとまったくそうではなかったようだ。
ふと空を見上げると、先ほどまで真昼だったというのにすっかり日が降りてしまってる。
恥ずかしさのあまり顔を赤くしながら、俺はフランの下へ戻ってった……。
◇
はじめてやって来た外国の宿は、街並みと負けず劣らず素晴らしいものだった。
よく磨かれた石で作られた室内は、窓の外から降り注ぐ夕陽によってオレンジ色に染まっている。
やはり観光都市というべきか、ロビーの中は多くの人々によってごった返しになっていた。
記憶に新しい、地元の宿との違いに、声も出せないほどに驚く。
村にいたころは、宿と言ってもほとんど他の家と変わらないものだった。
人数が多いときなどは、実際に他の家を使っていたほどだ。
そのような場所で育ってきたからだろうか、俺の足は、滑稽なほどに震えていた。
「すごい人数だな……」
「なにを今更言っているのよ」
フランがそっけなく返す。
「王国にいたときはあんなにも堂々としていたのに」と、呆れているのがありありと見て取れた。
とは言っても、緊急事態だったあの時と今は違うのだ。
あまりの人数に俺が思わず気後れしてしまったとしてもおかしくはない……はずだ。
「そうねー」
フランの目が冷たい。
「……ええい、取ればいいんだろ、取れば」
半ばやけになりながらも、なんとか店員のもとまで辿り着く。
2つベッドがある部屋を借り、そのまま待っているフランの下へと戻っていった。
「早かったじゃない。結局怖くなんてなかったみたいね」
「お前……絶対に楽しんでるだろ」
「わかった?」
悪気を感じていないフランに、思わずため息がこぼれる。
どうもエリザベスに影響されたのか、最近俺をからかうようになってきた。
明るくこと自体は良いことなのであるが、こういった方向に向かうのは勘弁してほしい。
そのようなことを思いながら、部屋へと続く階段の様子を見る。
そこには無数の人々が詰めかけていて、店員が苦労しながらも、その中から部屋に案内する客を探し出していた。
あまりにも宿泊客が多いため、この宿は店員が案内するようになっている。
そう言った趣旨のことを宿の前にいた観光客が言っていたが、この様子を見れば納得だ。
彼らの部屋に入っていく様子をただ眺めながら、自分の番を待つ――はずだった。
しかし、物事はなんとも妙な方向に行くようできているらしい。
扉の向こうから、大きな声が聞こえてきたのだ。
「誰……ヘル……玉……盗……」
「何かしら? ……ってセーレ!?」
「グズグズするな、行くぞ!」
俺は困惑するフランを引っ張りながら、宿の外へ出た。
目の前では少し痩せた見た目の初老の女性が困った様子で周囲の人にすがりついており、何やらただ事ではない雰囲気を漂わせる。
周りの人間はというと、彼女の話を聞いてもなんともないような目で――時折うっとおしそうに見る者もいるものの――素通りしている。
それだけ見れば、ただの可哀そうな女性の光景にしか見えない。
しかし、俺はこれがそれだけではないと、確信を持っていた。
(とはいえ、間違いだといけないからな……【鑑定】!)
俺はこっそりと【鑑定】を行って、目の前の彼女がどのような人物なのか確認する。
彼女のステータスを見て、俺はにやりとほくそ笑んだ。
対象:マリアンヌ・フォン・ナイチンゲール
職業:家政婦
スキル:なし
マリアンヌ・フォン・ナイチンゲールという名はそこまで有名ではないものだ。
名字はともかくとして、名前のほうは貴族のなかでもありふれた名前であり、王国内を含めても何人いるかわかったものではない。
それほどまでにありふれた名だ。
しかし、シエロ近郊に住む人々にとっては、その名は違う意味を持つ。
その名の意味は、ヘルメスの助手兼家政婦。
「あの、なにかお困りでしょうか?」
できるだけ印象が良くなるようにと、穏やかな声で彼女に話しかける。
どこの馬の骨とも知らない旅人にすがるほど追い詰められているのはわかるが、だからこそ印象を良くしておかなければ後に響くかもしれないからだ。
たとえば、用件の途中で追い出されるとか。
「ああ旅の人! どうか、どうかお話だけでも聞いてくだされ!」
その対応にずいぶんと感動したらしい。マリアンヌが感極まった表情で俺の肩を掴んだ。
見た感じ筋肉はそれほどついていなさそうだが、その力は驚くほどに強い。
一体どこからその力を得ているのやら。
「ええ。この私に、是非ともお話をお聞かせください」
若干爪が食い込んで痛い肩を無視して、柔らかい声で返す。
フランが呆れた様子でこちらを見ているのがわかるが、気高くあればうまく行くわけではないのだ。
こうやって相手にごまをするのも立派な対応である。
一方マリアンヌはといえば、今まで我慢していたものが吐き出されたのか、目から絶えず涙を流していた。
喜んでもらえるのは嬉しいが、ここまで喜ばれると逆に不気味ささえ感じる。
腰が引けそうになる気持ちを抑え込み、じっとマリアンヌのなすがままにされていると、ようやく涙が落ち着いた彼女はこう言った。
「このままでは、このままでは、ヘルメス様の大事な宝玉が、宝玉が盗まれてしまうのです!」




