第28話 嵐が去って
ネフィリムの体が崩れていく。
その土気色の肌が、ボロボロと剥がれ、小さな紙片のようになって宙を舞う。
全身が崩れ落ち、どこか雪を思わせるような真っ白な姿で部屋の中を飛び交ったあと、塵になって消えた。
「勝った……のか……!?」
俺は呆然とつぶやく。
あの時、喉をしっかりと突き刺した時、なんの重みも感じなかった。
空気を切っているような、それでいて感触だけはある。不気味な感触だった。
だからだろうか、確かにとどめを刺したというのに、実感が湧かないのだ。
そのため、しばらくして、
「……まさかネフィリムを倒しちまうとは……アンタ、本当に勇者なのかもしれないね」
とつぶやいたのを聞いて、ようやく俺は、この戦いが終わったのだと理解した。
◇
時は経ち、エルンストの戴冠式がすぐそこまで迫っていた。
満身創痍の状態だった俺たちは、そのまま玉座の間で倒れ込んでしまっていた。
それを発見したのは、避難がひととおり終わって救援に向かおうとしていたアルフレッドだったという。
「意識がない3人を持ち運ぶのは苦労した」と後に部下へ愚痴っていたとか。
なお、それが露見してフランとエリザベスから制裁を喰らったのは言うまでもない。
俺としては、2人は軽そうな女性とはいえ、人を3人纏めて持ち運ぶ技術を教えてほしいところである。
それはそれとして。その時、アウグストも発見されたらしい。
息があったため、俺たち3人を運んだあと、残りの人員で牢獄近くの医療室まで運んだのだとか。
一命をとりとめた彼だが、今までの罪を償わないわけにはいかない。
エルンストが王位を継ぐのと同時に、処罰を下す予定なのだという。
直接顔を見たわけではないため、伝聞の域を出ないが。
さて、俺はといえば、すっかり回復して王城に泊まらせてもらっていた。
最初は病室に入れられていたが、早々に回復してしまったので宿の手配ができていなかったのだ。
そのままずるずると、城の客人として世話になっている。
続いて……というよりは、いつの間にかエリザベスも回復していて、今病室の世話になっているのはフランだけとなっていた。
今はそのフランの見舞いに行く最中である。
反乱が起きたにもかかわらず、奇跡的なほどに綺麗なままの城内を見る。
廊下には大きな窓が列をなして並んでいて、そこから取り込まれた光が白い壁や赤い絨毯、そして石膏や金属など、色々な材料でできた彫刻や、写実的に描かれた肖像画を美しく照らしていた。
コツコツとも、トントンとも聞こえる絨毯越しの鈍い靴音を鳴らしながら、さわやかな朝の日差しに彩られた廊下を歩いていく。
病室へと繋がる小さな木製の扉を、俺はいつものように開けた。
「おはよう。……めずらしいな、エリザベスがいるだなんて」
「ちょっとヒマができたからね。せっかくの機会だから来ようと思ったのさ」
病室では、フランとエリザベスが楽しそうに何やら雑談をしていた。
(本当に、めずらしい)
俺とエリザベスはともかく、フランとはさほど深くない仲のはずである。
もっとも、ちゃんと会ったのがつい最近なのだから、当然ではあるのだが。
しかし今の2人はすっかり長年の友人といった雰囲気をまとっていて、ここ数日でかなり近しくなったのがわかった。
「良い所に来たわね。ちょうどあの時の話をしていたのよ」
俺に気づいたフランが、普段は凛々しいその顔を無邪気に弾まるように笑う。
思えば、彼女ともずいぶんと近しくなったものである。
「あの時?」
「ええ。陛下を倒したときの話よ」
フランの言葉に反応したかのように、あの時の記憶が脳裏へと浮かび上がる。
なんとか反乱をするまでにこぎつけて、その後妙な玉を持ったアウグストがネフィリムに変化して……。
確か、あの玉の名前は……。
「強欲の宝玉、マイダス。……いったいなんだったんだ、アレは」
奇妙な名前をしているが、恐ろしい力を持っているのはわかる。
しかし、あれは結局……。
「教えてあげようか?」
「え?」
思ってもみなかったエリザベスの言葉に、俺は素っ頓狂な返事を返してしまう。
「アレ、強欲の宝玉、マイダスについてさ」
「……頼む」
あらぬ方向からやってきた援護に、俺はあっさりと白旗を上げたのだった。
「まず……そうだ、アレがどういう代物なのかについて話しておくべきだね」
エリザベスは病室の椅子に腰かけながら言う。
落ち着き払ったその姿は、椅子が美しい曲線を描いた上等なものであることも相まって、まるで探偵のようだ。
「アレは本来、遠く離れたブルートファートストーヴ帝国に伝わる伝説の7神器、そのひとつさ。帝国では、太古の昔に神が授けたものだと言われている」
「ブルートファートストーヴ帝国か。ずいぶんと遠いな」
「ああ。なんでこっちに持ってこられたのかはわからないが、何らかの理由で王国まで流れ着いてきたようだね」
(なるほど、あれがどこから来たものなのかわかった)
「さて、見ての通り、アレは非常に膨大な魔力を持つ。全部を見たわけじゃないが、他も同じようだね」
「え? あれが魔石だからってわけじゃなくて?」
「そう。アタシが見てきた中には剣もあったけど、それも同じようなものだったよ」
「なるほど。アウグストはその魔力をムリに使おうとして、自滅したと」
「そういうことになるね」
「……それで、それほどの魔力を貯める目的はなんだ?」
エリザベスが困ったように笑う。
「鋭い……と言えればいいんだけどね。正直に話すと、どういう目的なのか、よくわかっていないのさ」
「どういうこと? 神から与えられたものなら、なんで使い方がわからないの?」
フランが疑問をはさむ。
「文献にしか残っていないからさ。確かにアレには膨大な魔力が眠っていて、何かしらの目的のために使ったと思わしき記述もある。けれどね、それだけなのさ」
「それだけ?」
「そう、つまりは現代においてまったく使われていないってことだ。何かしらしていないとも限らないけど、閉鎖的な土地のせいでそこまで踏み込ませてくれないからね」
なるほど、それなら納得である、
帝国は巨大だが内乱の絶えない国だ。国の機密とまで言えるようなものを外に渡したくないのだろう。
「さて! ここでこの話は終いだ」
エリザベスがパン! と手を叩く。
それだけで実際に場の空気を変えてしまうのだから、商人ギルドの名誉顧問というのは伊達ではない。
「アタシもちょっと聞きたいことがあってね。セーレ、アンタのことだよ」
「俺か?」
「そう、アンタさ、あの時ネフィリムの手に触られていただろう? アタシも鑑定で見てみたが、あの力は生物だろうが問答無用で金にしてしまうような、恐ろしい力だったはずだ。それなのに、なんでアンタが平然と生きていたんだって、どうにも気になってね」
痛い所をつかれた。
なぜあれを食らって生きていたのか。俺だって聞きたいくらいである。
「正直に言うと、俺もわからないんだ。むしろこっちが知りたいくらいで……」
「……嘘をついている感じじゃないね。ま、アタシも情報収集の手伝いくらいならしてやるよ」
「……ああ、ありがとう」
こうしてしばらくの間雑談に興じていると、扉の向こうからコンコンと叩く音が聞こえる。
次に扉が開くと、アンが中へと入ってきた。
「あれ? 何かあったの?」
「え? 知らないのかい?」
「何って、今日はエルンストの戴冠式当日じゃないか」
困惑した様子のフランに、エリザベスが何でもないことのように答えた。




