第26話 ネフィリム
「な、何!?」
フランが驚きの声を上げている。
俺たちが、何が起きたのかと周囲を確認しているうちに、部屋を覆いつくしていた闇が、段々と玉座へと集まっていった。
そしてその裏、アウグストが隠れている場所へと移動していく。
しばらくして玉座の間が元の姿に戻ると、次に玉座の裏からアウグストが浮き上がった。
手足を縛られ、磔にされた格好だ。
何が起きているのか判別できていないらしく、混乱した状態で何やらわめいている。
「こ、これはどういうことなのだ!? グスタフ! 返事をしろ!!」
闇がアウグストの胸の前に集まったかと思うと、まるで槍のような鋭い姿に変形して、そのまま彼を貫いた。
「!!! ……ァガッ……グギッ……ィ……ァ……」
周囲が突然の出来事にどよめくのも意に介さず、闇はアウグストを覆って繭のような姿になる。
そのいびつな球形はどんどん膨らんでいき、4mほどの大きさに変化すると、パキリ、と卵のような音をたてた。
「……最悪だ」
「ねえセーレ! これはどうなってるの!?」
「……かつて、神を従えようとした男がいた」
フランの疑問に、いつの間にか横に立っていたエリザベスが答える。
いつもと違って険しい顔をしており、これが異常事態であることを雄弁に物語っていた。
「しかし彼に神は呼べなかった。それどころか、召喚された神の魔力、それもほんのひとかけらを浴びて、彼は化け物に変身してしまったんだ」
「ど、どういうこと……?」
「今とまるで同じ状況ってことさ」
完全に割れた卵の中から、人型のなにかが崩れ落ちるように姿をあらわす。
腰を起点として、上半身と下半身が180度ねじ曲がった身体に、皮一枚で首と繋がっている頭部。
肩から伸びた腕は腹の前で拘束されたように融合し、ひざから下を裂かれたかのような10本の足で、ゆらゆらと揺れながら立っている。
「極端に膨大な魔力を浴びた人間は、体内の魔力を暴走させて魔物に変質しちまうことがあるんだ。そうなったヤツらを、アタシたちはこう呼んでいる」
「……罪人、と」
――ァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァ――
まるで傷口のように見える、首筋の口が開く。
ネフィリムが、この世のものとは思えないような叫び声を上げた。
◇
「『堅牢なる城壁!』」
フランが部屋を遮断するような形で結界を張り、ネフィリムの攻撃を防ごうとする。
しかし、彼の腕が振り下ろされるだけで、あっけなくその結界が砕けてしまった。
「ちょっと……! 今までとケタ違いじゃない!」
「そりゃあそうさ。以前ネフィリムが産まれた時は、魔族の魂を10人くらい生贄にささげてやっと封印できたんだから」
「封印!? 倒せたんじゃないの!?」
「ありゃあもはや魔力そのものだ。倒せるだなんて思わないほうが良いね」
エリザベスの無情な答えに、フランが絶望した表情をする。
正直、俺も同じ気持ちだ。
魔法が効かないばかりか、吸収すらされてしまうという現実。
ならば物理攻撃を行えば良いのかというと、粉々になった床がその淡い期待をあっけなく砕く。
ネフィリムが腕を振り下ろしただけで、玉座の間の床が跡形もなく砕け散ったのだ。
(アルフレッドと一緒に避難してもらったのは正解だった。こんなのを大人数相手にされていたら、壊滅していたに違いない)
ネフィリムが身体をねじらせると同時に、羽虫の形に変化した魔力が弾丸のように襲い掛かってくる。
とっさの判断でそれを避けると、今度は氷の結晶へと変わり、ナイフのように四方八方へと飛び散った。
「まったく、詠唱なしで魔法を使えるのか……!」
俺は苦々しくネフィリムを睨む。
「セーレ、どうするつもりだい? このままじゃジリ貧になっちまうよ」
「……エリザベス。ネフィリムが魔力そのものだと言うなら、あいつの魔力を分解するか、別の形で消費してしまえば動かなくなるのか?」
「まぁ、そうだろうけど……相当な時間がかかるよ?」
エリザベスの言葉を聞きながら、俺は懐のナイフを触る。
クラーケンとの戦いで、このナイフのポテンシャルが相当高いのだとわかった。
少なくとも、魔力を貯めきれないということはないだろう。
エリザベスもそこはわかっているのか、あまり問題視していない。
(となると、問題は時間か……)
「……もし、だ。あいつの魔力を消費しきって倒すとすれば、どれくらい時間がかかる?」
「そうだね……短く見積もっても、1時間はかかるだろうね」
1時間。
言葉にすれば案外短く思えるが、この力の強さを考えると気が遠くなるような長さである。
だが……。
「それくらいなら楽勝だ」
「……まったく。威勢のいいこった。……それで、どれくらいやればいい?」
「そうだな、3割で良い。……フラン」
「何?」
「お前は2割を担当してくれ。俺が残りの分を受け取る」
フランとエリザベスが息を呑むのが聞こえる。
俺としては負担をかけすぎているのではないかと思っていたが、彼女らからすればむしろ少なすぎるようだ。
「……これくらいにさせてくれ。俺は自分の介入できる割合が少ないとむしろ不安になるんだ」
そう断ると、苦々しい顔をしながらもフランとエリザベスが武器を構える。
あまり納得していない様子だが、ここは引くことにしてくれたのだろう。
「……さて、おしゃべりはここまでのようだ」
ネフィリムがその口から大量の液体を吐き出す。
腐食性なのだろうか、それが床に落ちると同時に、シュウシュウと嫌な音を立てて、大理石で作られた床が飴細工のように溶けていった。
「『浄化』!」
フランが半ば反射的に魔法を唱える。
俺たちにかかるはずだった毒液は、魔法の効果で現れた薄い膜に触れ、ただの水へとなり果てた。
それを確認するのとほぼ同時に、ネフィリムの口が再び開かれる。
その中からまるで銛のような3本の舌が現れると、俺たちへと発射された。
エリザベスは獲物であるハンマーを盾のように使いながら、フランは剣ですべらせながらそれを避ける。
そして俺は、その槍のような舌を――
――左腕で受け止めた。
「セーレ!」
フランの叫び声と、エリザベスの信じられないといった顔が見える。
……左腕が熱い。先ほどのものと似たような、あるいは同じ毒が入っているのかもしれない。
(あまり悠長にはしていられないようだな……)
俺は左腕の激痛を耐えながら、右手に持っていたナイフでその舌を刺す。
ネフィリムのおぞましい悲鳴に気が遠くなりそうになりながらも、俺は駆け寄ろうとするフランを静止した。
「止まれ!」
「セーレ! でも!」
「大丈夫だ。策はある」
「……信じてもいいのね?」
「ああ」
……フランは涙を溜めながら、どこかへと走っていった。
おそらく俺にとどめを刺そうとする他の舌を止めに行ったのだろう。
(そうだ、それでいい)
息をするたびに痙攣を繰り返そうとする喉を気力で抑え込み、俺は必死に叫んだ。
「『クリア』!!」
俺を覆うように先ほどのものと同じ膜が現れ、俺の体内を廻る毒を無害なものへと変貌させていく。
それと同時に、ナイフが焼けるように熱くなったのを感じた。
痛みのあまり手を離しそうになるのを、俺は必死になりながら抑える。
これこそが、俺の考えた勝利への道なのだから。
――ァァァァァアアアアアアアァァァ――
ネフィリムが舌を引き抜こうと必死に暴れはじめる。
俺が何をしたいのか理解したのだろう。
(あんまりにも利口で厄介な相手だ)
舌を抜かれないよう『自己硬化』の魔法を唱えながら、俺は内心でため息をついた。
種明かしをしてしまえば至極簡単な話で、要は黒曜石のナイフでネフィリムの魔力を吸い取ったのだ。
しかし、俺の中に魔力をただ溜めるだけでは、もう一体のネフィリムを生む結果に終わってしまうだろう。
だからといって攻撃を行ってしまえば、今まで吸い取った分の魔力をそのまま返してしまう結果になる。
ならば、どうすればいいのか。
……答えは、自分に魔法をかけ続ければいいのだ。
幸いというべきか、悲しいことにというべきか、『クリア』には対象の強さによって消費する魔力が増えるという性質がある。
そしてネフィリムが持つ毒は、俺が知る限り最高レベルのものだ。
さらに言ってしまえば、【鑑定】の効果のおかげで、俺は毒がどこから生成されているのかを知っていた。
体内にある唾液腺のような器官から、舌を通して吐き出していたのだ。
その毒をあえて喰らい、そして『クリア』でその毒を半永久的に解毒する。
結局、この毒も根源的には魔力から生成されたものだ。
毒の生成と解毒、この2つを同時に行っていれば、消費は相当なものになるだろう。
これが、俺が考えた策であった。
(……正直、策というのもはばかられるくらいにお粗末な代物だけどな)
ネフィリムが『ウィンド』を唱え、俺に刺さっている舌を切り落とす。
そして他の舌も口の中へと戻り、俺たちから距離をとる。
今の手を続けても、自分の首を絞めるだけだと判断したのだろう。
「……フラン。こっちに来て、回復魔法をかけてくれないか」
「どうしてこんなに危険なことをしたのよ……『キュア』」
「仕方ないだろ、これくらいしか手が思いつかなかったんだから」
「そういう問題じゃ……! ……ハァ、わかったわ。今回は許してあげる……はい、おしまい」
「ああ、ありがとう」
フランに礼を言いつつ、俺はネフィリムへと視線を戻す。
先ほどの反撃が手痛かったのか、こちらのことを随分と警戒しているようだ。
俺は手を前にかざし、指をクイと動かして挑発した。
「さて、ここからは後半戦だ。勝てると思うならかかってきな」




