第23話 大海魔クラーケン
多くの人々を混乱に陥れた会議から数日して、俺は教会を出て、新しく安宿の個室に泊まっていた。
エルンストの力で、この街限定で店や宿を使えるようになったのだ。
皆が高い宿に泊まるよう勧めてきたのが、俺は駆け出しの冒険者がよく使う、安い宿へと泊まるのだと、心に決めていた。
まだギルドに入ってすらいない俺が、そんな高い宿を使うのはおかしいと感じたからである。
「セーレ殿、失礼する」
コンコン、と扉を叩く音が部屋に響く。
俺が入るように促すと、ギィ、ときしんだ音を鳴らしながら、アルフレッドが部屋へ入ってきた。
「先日の推薦だが、貴殿の功績とそこから考えられる才能を鑑みて、勇者へ任命することに決定した」
「……本当か?」
「ああ。しかし1つ、条件がある」
やはりか。
俺は安堵のため息を吐く。
ここでそのまま勇者になれてしまっていたら、あまりに都合が良すぎて逆に不安だったところだ。
「それで、何をすればいいんだ?」
「ああ。ここから南東の『嘆きの海』に住み着いた、大海魔を退治してほしい」
「……何?」
クラーケン。
船を丸ごと飲み込んでしまうほどの巨体と、縄張りに迷い込んだ者をまとめて喰らいつくすその凶暴性から、SSSランク――単体で複数の国家を壊滅させた資料が残ってる魔物だけに与えられる危険度だ――に指定されている魔物である。
一度住み着けばそこからそう移動しないため被害自体は少ないものの、その巨体ゆえに縄張りも非常に大きく、危険であることには変わりない。
住み着いてしまえば最後、そこに行くというのが自殺行為と同等になり、その上周辺の魚を丸ごと食べてしまうため、周辺では事実上漁ができなくなってしまう。
そしてその移動しないという性質のせいで優先度を低く見積もられがちで、被害の数字は少ないものの、年数は長くなりがちという非常に厄介な魔物であった。
「貴殿の功績から、SSランクまでは単体で倒せる力を持っていると判断されたようだ」
「……もしかして……」
「ああ。1人で退治してもらう」
もちろん、万が一のために職員を派遣すると付け加えられる。
俺はその宣言の重さに身震いした。
確かに、クラーケンを単独で倒せれば勇者にふさわしいだろう。
ここまで過酷な試験を設けられること自体がそうそうないのだから。
基本的に、才能を見込んで勇者に選ばれる人間に対してここまでの試験が与えられることはないという。
そもそも試験自体がないことも珍しくないそうだ。
一方、実力を認められて勇者に任命される場合、SSランクの魔物を退治したという功績はそれなりに一般的ではある。
しかし後者のパターンで勇者になった者は歴代でも少なく、さらに単独討伐ともなればさらに少ない。
王国からの反対を押し切って勇者に任命するにはそこまでするしかないのかもしれないが、同時に俺が冒険者の中でもトップクラスの実力を持っていると判断されているのも確かだろう。
正直なところを言えば、退治できずに傷を負わせただけでも任命されてもおかしくないほどの相手だ。
そこまで実力を買われたという喜びと、それだけの期待に見合うような働きをしなければならないというプレッシャーに押しつぶされないよう、大きく深呼吸をする。
そして息をすべて吐き出した後、アルフレッドの目を真っすぐ見つめてこう宣言した。
「わかった。すぐに連れて行ってくれ」
◇
俺はギルド職員に連れられ、嘆きの海に辿り着いた。
荒々しい波の音と、草ひとつ生えない荒涼とした岩が転がる浜辺の姿は、確かに何かが嘆いているかのような印象を思わせる。
「船は沈没の可能性があるため出せない。すまないが、ここで戦ってくれ」
「了解した」
クラーケンと戦う時に船を使ってはいけないというのは、冒険者にとっては常識だ。
しかし俺は冒険者ではないため、配慮してくれたのだろう。
その配慮に内心で感謝しながら、俺は浜を歩いていく。
大小様々な岩を組み合わせたかのような形をしているため足場は不安定で、万が一のために周囲を記憶しながら恐る恐る足を差し出す。
やっとの思いで海辺まで辿り着くと、荒々しい波が異常な姿に変形し、大きく持ち上がるのが見えた。
白んだ海水がいびつな円形になだれ落ちると、ベールを脱いだように毒々しい赤色の身体が姿をあらわす。
吸盤に凶悪な牙がついた巨木のような触手の付け根には、6対の眼が身体を1周するようにあり、獲物を探してギョロギョロと周囲を睨みつけている。
クラーケンのお出ましだ。
◇
「『怒りの雷撃』」
クラーケンの全身を覆うように襲い掛かる雷撃が、その巨大な触手でかき消される。
(予想はしていたが、やはり厄介な相手だな……)
海に棲む魔物は基本的に電撃に弱い傾向があるのだが、クラーケンは違う。
屈強な筋肉を覆う分厚い皮膚が電撃を阻み、ダメージを負わないようにしているのだ。
とはいえ海の魔物であることには変わりなく、この皮膚さえ貫ければ雷は通るようになる。
それもあって、一か八か試してみたのだが、さすがにそううまくはいかないようだ。
(まあいい。他にも手はある――)
俺は自分に『ホバー』を掛け、大地を強く蹴った。
まるで鳥のように高くまで跳ぶ俺に目掛けて、クラーケンの触手が一斉に襲い掛かる。
「そうは行くか、『不可視の刃』!」
岩のようにゴツゴツした触手が、無数の風の刃によってあっけなく切り落とされていく。
山をも轟かせるような悲鳴を上げながら崩れ落ちていく切断面から吹き出る血が、海を赤く染めていった。
俺は落ちていく触手に飛び移り、少しでもクラーケンとの距離を詰める。
瞬間、血しぶきの中から触手が槍のように飛び出てくるのが見えた。
「……グッ! 『プロテクション』!」
とっさの判断で結界を張るが、それでも衝撃をかわし切れず浜辺の近くまで吹き飛ばされる。
俺はすぐに体制を立て直すと、すっかり元の姿に戻ったクラーケンを苛立ちながら睨みつけた。
(もう再生したのか、面倒な……!)
クラーケンには再生能力がある。
中枢たる心臓か脳を破壊しない限り、傷ひとつなかったかのように再生してしまうのだ。
それについて知っていたので、俺は短期決戦に望むつもりだった。
しかしここまで再生が早いとは……。
(早く対応しなければ、こちらがやられるな……)
とはいうものの、こちらに取れる手はあまりない。
大規模な魔法を使えばどうにでもできるのだが、詠唱の隙を狙われて良いように扱われるのが関の山だ。
しかし中途半端な火力ではすぐに再生されて対応されてしまう。
どうしたものか……。
(……ん?)
足元に、カツリと堅い物が当たる。
先ほどまではなかったものだ。地下にあったがれきか、はたまたクラーケンが吐き出したものだろうか。
俺はそれの正体を見て――勝利を確信した。
「……いけるぞ」
◇
俺は先ほどと同じコースを辿って、クラーケンに接近する。
先ほどと同じだからだろう、妨害するように複数の触手を振り下ろしてきた。
それを切り落とすのではなく、避けながら接近を続ける。
このままではらちが明かないと判断したのだろう、クラーケンは俺を囲うように触手を絡めた。
逃げ場がなくなったところを一気に潰してしまおうという腹らしい。
(だが、悪手だったな)
「『ウィンド』!」
俺はそれの一本に狙いを定め、簡単な魔法を放つ。
簡単とはいっても俺は【魔力ブースト】で威力が底上げされているため、切り落とすまではいかなくとも切り傷を付けるくらいなら十分だ。
クラーケンが痛みにひるんだ隙を狙い、俺は先ほど見つけた物――魔石を相手の傷口に突き刺す。
予想外の方向から来た攻撃だったからだろう、クラーケンが痛みのあまり絶叫する。
耳が破れてしまいそうなほどの大音響の中で、俺は叫ぶように唱えた。
「『絶対零度』!」
瞬間、音が鳴りやんだ。
内部へと放たれた冷気によって凍り付いてしまったのだ。
とはいえ、クラーケンほどの魔物となると一時的な気休めにしかならない。
だからこそ、早急にとどめを刺す必要があった。
俺は『不可視の刃』を唱えて触手を切り刻み、クラーケンの頭部へと近づいた。
凍り付いた12個の瞳、その中心に届くように意識しながら、手元にある黒曜石のナイフを突き刺す。
これはライヒュース領での騒ぎのとき、元凶であったオブシディアン・スライムの遺品を加工して作ったものだ。
魔石として扱うことができるだけでなく、切れ味も一級品。
あまりにも強力な武器だったため、逆に今までは使う機会に恵まれなかったが、今回は別だ。
手の中にある冷たい感触を意識しながら、俺は呪文を唱える。
さあ、このナイフのお手並み拝見といこうじゃないか。
『我、汝に宣言する』
ナイフに電流が走るのを感じる。
『矮小なる我が敵よ』
バチバチとはじけるような感触に興奮を抑えきれない。
『懇願せよ、屈服せよ
我が怒り、汝の すべてを破壊せん――』
クラーケンが凍結から覚めたようで、反撃を加えようと暴れまわっている。
だが、これで終いだ。
『憤怒の奔流!』
黒曜石のナイフが、白く光り輝くのを見た。
次の瞬間、赤や白、あるいは紫とも形容できそうな、はげしい光がほとばしる。
まぶしさのあまり眼をつぶってしまい、次に開けたときには、真っ黒に焦げ付いたクラーケンだったものが浮かぶだけであった。
あまりの光に異常を感じたらしく、ギルドの職員がこちらへと向かってくる。
……彼の驚く顔が目に浮かぶようだ。




