対決と炎
二つの光はぶれずにゆっくりと近付いてくる。やがてたいまつに照らされた空間に手が伸びてきた。
はいつくばるように、ぺたりと地面に付けられた手は人間のそれである。肌色で、節と爪がある五本の指。わずかに体毛がある。皮膚の表面に青い血管が透けて浮かび上がっていた。
次に現れたのは女の顔だ。長く黒い髪の隙間から見える口元は、何かをぶつぶつと呟いている。
次第に上半身が見えてきた。はいつくばったままの異常に細長い二本の腕と、やはり異常に細長い胴体である。下半身は闇の中だが、想像するに結構な長さがありそうだ。
敵は棒のような胴体をくねらせると、柔らかい笑みを浮かべた。
「どう見ても人ではありません」
「ナナフシに似ているな。でかい虫は勘弁してほしいんだが」
心が恐怖に支配されないよう軽口を叩いた。冷たい空気が充満する洞窟の中だというのに汗が背中を伝う。
冷静になれ。相手をよく見極めろ。
敵の武器は指、爪、歯、呪詛。
体躯を見る限り筋力はなさそうだし、呪詛はおそらく遅効性だ。他に武器があるとするなら人の手がもつ特徴そのもの。器用さである。
もしも俺があの体躯なら、石を掴み長い腕をしならせて殴る、あるいは石を投げるだろう。同程度の体重を持つ相手なら一発で昏倒させられる武器だ。
つまり、殴るにしても投げるにしても腕を利用する。
「ユーカは左手首を狙え。いくぞ!」
ユーカと二人、奴の目の前へ飛び出した。
ほぼ同時に、俺が右手首を、ユーカが左手首を斬りつける。
剣は奴の皮膚を切り裂き、赤い血がどろりと流れた。
力任せに断ち切る。
骨に当たって刃が止まった。硬い!
「ォォオオオオアアアアああああああ!!!!」
奴の叫びが頭蓋を揺らす。
気を失いそうになり、歯を食いしばった。
剣を振り上げ、奴の脳天へ目掛けて振り下ろす。
突如迫ってきた奴の口が大きく開き、剣を持つ俺の右腕に食い付いた。
手甲に仕込んだ鉄板がぐにゃりと歪む。
ユーカが奴の脇腹に狙いを定めて剣を突き出す。
剣はわずかに皮膚を裂いたが、何かにぶつかりすぐに止まった。
たいまつで奴の顔面を炙る。
奴はのけぞるようにして俺達から離れた。
視界がぐらぐらと揺れて、視点が定まらない。
心の臓が早鐘を打ち、胸に鋭い痛みが走った。
奴の叫びがまだ耳に残っている。
「なんちゅうアゴの力だ。この手甲、合金製だぞ。……ユーカ、大丈夫か」
「はい。でも私の剣では刃が立たないかもしれません」
ユーカの剣はたった二撃でひどく刃こぼれを起こしていた。俺の剣はともかく、ユーカの剣は支給された上等品だ。硬い石にでも当てなければ刃こぼれすることはない。
今の一瞬でわかったことがいくつかある。
皮膚は人間と同じ。おそらく血液も同じだ。しかし骨が硬い上に、人間とは位置が違う。力が強い。叫びには呪い以外に何らかの力がある。
武器が通らない相手にどう戦うべきか。
……硬い石?
奴はターコイズの原石から生まれた。身体を構成する材料に原石が含まれているなら、弱点がある。
「俺が足止めをする。ユーカ、暖炉に燃料をくべてきてくれ」
「えっ!? 今ですか!?」
「今だ。薪も、石炭も、油も、全部暖炉に放り込め。そうしたら窓を開けろ」
俺の意図を察したユーカが地下室を駆け抜けていった。
追い縋ろうとする奴を、たいまつの炎で足止めする。
「よう、これで二人きりだな。俺の話がわかるか?」
奴は身体を揺らしながら、ぶつぶつと何かを呟いている。
奴の呟きが音量を上げる。
心の臓が締め付けられる。
心の臓だけではない。まるで、臓腑をまるごと握られているような感覚。
「ぐっ……、何なんだお前は。どこから来た? 何故こんな所にいる?」
問いかけた言葉が空しく洞窟に反響する。答えは返ってこない。
ふらついた足で後ずさりすると、奴は俺との距離を保ったまま前進した。
たいまつの明かりに照らされ、次第に奴の全貌があらわになる。
細長い胴体の側面から手が二本ずつ、計四本生えている。細長い肢の先にあるのは全て手のひらだ。脚がない。人ならば脚が存在するであろう部分まで胴体が伸びている。
胴体の後方がサソリの尾のように持ち上がった。
首の反対側に細かな凹凸、逆さになったもう一つの顔面だ。男の老人と思われる顔面は目を開き、こちらを見て何かを言おうとするが音になっていない。ただ、口が開閉しているだけだ。
「……リートさん! 準備できました!」
地下室の先、階段の上から響いたユーカの言葉を聴いて、たいまつを投げ捨てた。
左手で背中に仕込んだ縄を取り出す。
「ケリをつけようぜ。怪物よ」
正対に剣を構えた。
先ほどと同じ角度、同じ速度で奴の脳天へ振り下ろす。
奴は身体を伸ばし、再び俺の右手に食い付いた。
歪んだ手甲が腕に食い込む。
奴の首に縄をかけ、首を締め上げると奴の口が離れた。
「ォ、オオ、カッ、アア、アアあ、あああ、ああ!!」
「おらぁ!!」
しっかりと地面を踏みしめ、全力で後方へ引っ張りあげる。身体中の筋肉が悲鳴を上げた。予想以上に奴の力が俺の体を蝕んでいる。
またしても奴が右腕に食い付く。歯が手甲を貫通し、腕の肉がぶちぶちと音を立てて裂けた。
「食い付いて、くれた方が、まだ楽だな。ユーカ! 縄を引っ張れ!」
「はい!」
右腕を使って奴の身体を持ち上げながら、地下室を抜け、階段を上がり、廊下を抜けるまで引きずり続けた。
広間へたどり着くと、暖炉が轟音をたて燃え盛っていた。暖炉から飛び出した火の粉が再び暖炉の中へと吸い込まれていく。石炭と油をくべて吸気したことで、高温になったタールと煤に火が付いたのだ。
そばへ行くだけで服が燃え上がりそうなほど熱い。
暖炉を背にして縄を解いた。
「いけます!」
剣を構えたユーカが声を上げる。
とっさに手甲を固定する革紐を外した。
奴の歯が腕の表面を食い千切りながら離れ、倒れこむ。
俺が横へ飛びのくと、ユーカは剣先で奴の眼を斬りつけた。叫ぶ。
「ああああああああああああああああああ!!!!」
体内をかき回されたような激痛に、一瞬意識が飛んだ。
初撃の勢いのまま回転したユーカが、剣で奴の腹を打ち上げる。
奴の身体が暖炉へ入ると同時に、鉄柵に縄を掛け、全力で引いた。




