呼び声
「二十年前の事件、地下室奥の何者か、そして起きた現象、これらに関連があると考えた方がいいな」
「玄関脇の動いた棚もですか?」
「そうだ。今から地下室奥にいるであろう何者かを“敵”としよう」
声を除いて、起きた神秘現象は三つ。屋敷の主人ヨドスを含む過去の住人の死亡。業者が経験した棚の出現。俺達が経験した棚の移動。この内、棚の出現と移動は物理的な手段だから対応できる。
問題は過去の住人の死亡だ。死因は全員心不全である。神秘の力によって急に心の臓を止められたら、俺とユーカには防ぎようがない。
俺が知っている神秘で、心不全を起こすもの。呪詛、または瘴気だ。
呪詛を用いるならば、対象に“自分は呪われている”と思い込ませる必要がある。思い込みによって精神を蝕むのだ。一種の催眠である。
瘴気を用いるならば、魔法で境界をこじ開ける必要がある。自然発生した瘴気なら別だが、人が住んでいる地域に瘴気が発生することなどまずありえない。普通、瘴気は人跡未踏の洞窟や深い森で発生するものだ。
そして、いまだ地下室奥から出てこられない敵が魔法を使えるとは思えない。
恐れるな。敵をよく見極めろ。
人の命を自由に操れるなら、万能の神か強大な悪魔ということになってしまう。しかし過去の住人はたった四人で閉じ込めに成功している。けっして強い存在ではない。
敵がこの世界にいる以上、どんなに神秘的な存在であっても世界の法則に縛られている。閉じ込められていながら、対象に影響を及ぼす方法が必ずある。
「……そうか。声だ」
過去の住人であるヨドス達は叫び声を聴いた。解体業者も声を聴いている。
声を発して相手に届くなら、対象に呪詛をかけることは可能である。ヨドス達の場合、ただでさえ異常な状況に追い込まれたのだ。長時間、呪いの言葉をかけられて死亡してもおかしくない。
「リートさん、敵には呪いを操るほどの知性がある、ということですか?」
「どうだろうな……。日記には人の指が生えたと書いてあるから、おそらく人間型だ。知性があってもおかしくないだろう」
応援を呼ぶか? 錠前が一つ残っているから、まだ時間の余裕はあるはず。
外はもう真っ暗だ。今から衛兵の所へ行って連絡をすると、調査隊の到着は明日の昼以降になる。
……ダメだ。暖炉に火を入れてから玄関脇の棚が動いた。つまり敵は俺達の存在に気が付いている。すぐに錠前を壊して地下室の奥から出てきてもおかしくない。
万が一、俺達がいない間に敵が屋敷の外へ出てしまったら、地区の住民に被害がでる可能性だってある。
「……ォオゥ」
突然聴こえた何者かの声に思わず固まった。
ユーカと顔を見合わせると、真剣な眼差しで首を横に振っている。
「ユーカ、耳を塞げ。まともに聴くな」
広間を見渡して確認する。
暖炉の揺らめく明かりが、ただ闇の中に広がっていた。
「ォオオゥ……」
声が聴こえる方向、地下室へ向かう廊下から目が離せない。
「……ォオ、オオオッ……ォォオオオアアアアああああああああああ!!!!」
震えながら少しずつ音程が上がっていく強烈な叫び。屋敷全体に反響する、低い音とも高い音とも言えない声に眉をひそめた。窓がびりびりと振動している。怨嗟の意思を絞り出しているかのような叫びが、耳を塞いだ両手に突き刺さる。
俺達が動けないでいると、やがて叫び声はぴたりと止んだ。
「獣の遠吠えという感じではなかったな」
「あれはおそらく人の声です」
「……俺達を威嚇しているのか、それとも呼んでいるのか」
ランタンを置き、細い薪でたいまつを作って暖炉の火を移す。
左手にたいまつを持ち、右手で剣を抜いた。
「ユーカ、平気か?」
「はい。いつでもいけます」
敵の正体はまだわからないが、早めに片をつけるべきだろう。こんなやかましい状況で休めと言われても俺には無理だ。
「今から地下室の奥へ向かう。その先に何かいれば倒す。敵を絶対に屋敷から出すな。敵の声に耳を貸すな。見た目が普通の人間でもためらうなよ」
「了解」
戦いの前の緊張か、それとも突然の叫び声によるものか、動悸が治まらない。
地下室へ向かう廊下を歩きながら、耳が俺とユーカの呼吸音を拾った。小さな家鳴りの音にすら反応する。感覚が鋭敏になっているのだ。
叫び声のおかげで身体が戦闘状態になっている。敵に感謝しなきゃな。
地下室に入り、まっすぐ奥の扉へ向かう。
扉を近くで見ればなるほど、鋼鉄の扉に鉄の錠前だ。剣の柄で錠前を二、三度叩くとあっけなく壊れた。
ゆっくり扉を開く。目の前には深い闇。腐った水の匂いが鼻をつく。冷たい空気が、どろっとした感触を伴って足にまとわりついた。
一歩進むとその中は洞窟となっており、さらに奥へと続いていた。二人並んで剣を振るうのにちょうどいい広さだ。ごつごつとした岩肌に歩きにくい段差。天井からは小さなつらら石まで垂れ下がっている。
「そういうことか。天然洞窟だから屋敷の見取り図に描かれなかったんだ」
「あまり深いと迷ってしまいますね」
「……迷うことはなさそうだぞ」
洞窟の奥に瞬く二つの小さな光が見えた。あれは眼だ。予想していたよりも眼の位置が低い。おそらくひざの高さほど。
手に力が入る。剣の柄がぎりぎりと鳴った。




