閑話 男達の休息
「隊長引いてますよ」
「おお、そうか」
この寒い中、魚釣りである。
初雪は融けて流れ、ただ寒いだけの休日にランジャック隊長から釣りに誘われた。
ランジャック隊長に「いつでも誘ってください」とは言ったが、ここまで時期がずれ込むとは思っていなかった。
「快適だな」
「そうですね」
川の本流まで足を伸ばすつもりだったのだが、底冷えする状況で釣りをするのはどうか、ということで南区温泉そばの水掘へやってきた。体が冷えたらいつでも温泉へ入れるようにと配慮をしたのだ。
ところがどうだ、温泉の排水が掘りへ流れ込んでいるではないか。一日中、流される温泉のおかげで一帯がとても暖かいのである。
そんなわけで俺とランジャック隊長は温泉横の通り沿い、水掘の石垣に腰を下ろし、水中へ糸をたらしている。
「そのマフラー暖かそうだな」
「アトリが作ってくれました。アンルカさんとウィネットさんから毛糸編みを習ったそうで、隊のみんなに配ってるみたいです」
「そうか。お」
お?
「……いや、なんでもない」
「心配しなくても、一番出来の良いやつを隊長へ贈ると言ってましたよ」
ランジャック隊長は無言で顔をそむけてしまった。素直に喜べばいいのに。
堀の向こう側にハシブトガラがやってきた。たまに森で見かけるが、王都の中にいるのは珍しい。橋の下にはキツネもいるようだ。
動物達はここが暖かい場所だと知っているんだな。
「リート、お前結婚しないのか?」
「良き出会いがあれば。……隊長はどうなんですか?」
「良き出会いがあれば」
出会いがないわけではない。見合いの話もちょくちょくある。
しかし、荒事をこなす職業だから相手が難色を示すこともあるし、そもそも忙しくて相手に会えない。
ふと、近衛隊長とはどうなったのか、と聞こうとして思いとどまった。
秋の間、騎士団にはほとんど休日がなかった。中でも特に忙しい隊長同士だ、会えるわけがない。
進展はなさそうだな。
「……この間の報告書、アンルカが褒めていたぞ」
「ありがとうございます」
言いたいことはわかる。ランジャック隊長は俺の事を労いたいのだ。だけど直接褒めるのは恥ずかしいから、アンルカさんをダシに使う。
もう、いっそアンルカさんと結婚してはどうか。どうせ毎日会うんだし。
「あー、次の仕事なんだが」
「せっかくの休日です。先の話はやめましょう」
「そうだな」
いかんな。隊長の心がまだ仕事から離れていない。こういう時は仕事と趣味を絡めた話題がいい。隊長の趣味は酒と歴史書だ。
「そういえばニラックさんの報告書を読みました。古代の人形のやつ」
「あれか。呪われていたそうだな」
「ええ。後から聞いたんですけど、三百二十年前の人形だそうですよ。三百二十年前といえば……」
「ふむ、大戦乱時代だな。ヒュダー王が国を治めていた頃だ。乱世のさなか、ヒュダー王が――」
ニラックさんは呪われた人形を国境沿いの村から持ち帰り、地下倉庫へ登録した。サーラ先輩が『持っていて本当になんともなかったのかい?』と慌てていたのをよく覚えている。
強力な呪術をものともしないとは、さすが一家を支えるお父さんである。
「――そして両国は改めて平和条約を結んだわけだ」
「へえ~」
話を聞いていなくても相槌を打つのがマナーだ。上司と部下の関係でなくとも、たとえば、家族間でも通用するマナーである。
大事なのは『へえ』に抑揚をつけることだ。抑揚をつけないと「ちょっとアンタ聞いてんの?」とつっこまれるからな。
「……ヘクスの相槌はもっと上手いぞ」
「あいつは俺よりも優しいですから。この前の非番も、キアフットに付き合って東区の鍛冶屋へ行ったそうです。匠に話を聞いてきたと言っていました」
「あいつら、男二人で何してんだ」
「さあ?」
それを言うなら俺達も男二人である。おっさんとおっさんになりかけの二人だ。人のことは言えない。
昔のキアフットは非番になるたび違う女と会っていたが、ある時こっぴどく振られて女が苦手になったのだという。火遊びの報いである。
一方ヘクスは非番になるとよく革製品を作っている。でかい身体に似合わず手先が器用なのだ。俺の装備にも一部ヘクスの作った革が使われている。
「ここだけの話だが、ギランを覚えているか」
「はい。独楽盗難事件の」
「行方不明だそうだ。本国で処刑される寸前に逃げたらしい」
「奴がうちへ来たらどうします?」
「悩ましいな」
信用できない人物を騎士団へ入れるわけにはいかない。ましてや罪人である。
しかし我が調査隊にとって、遺物の専門家はのどから手が出るほど欲しい人材だ。奴の方も、身柄保護の交換条件に遺物を差し出す可能性がある。
まったくもって悩ましい問題である。できれば来ないでくれるとありがたい。
「引いてるぞ」
「おっと」
魚を釣り上げ、魚籠に入れた。なかなかの釣果である。
やはりこの寒さ、魚も暖を求めているのだろう。
ランジャック隊長が竿を引き上げ、針を結ぶ糸をほどいた。俺も針を取り除き、再び糸をたらす。必要以上に獲っても腐らせるだけだからな。
それならどうして糸をたらすのかと聞いてはいけない。これは儀式だ。“ノックノック”と同じ、儀式なのである。
「隊長、酒あるんですけど飲みます?」
「なんの酒だ?」
「ロカさんから頂いたウイスキーです。暖をとるために持ってきたんで、だいぶ割ってますが」
「もらう」
小さなカップを二つ取り出して、水筒から酒を注いだ。
薄めてもしっかりと味が残り、それでいて後を引かない良い酒だ。
「乾杯」
「乾杯」
芳醇な香りが鼻に抜ける。
酔うほどではないが、胸の中がほんのりと暖かくなった。
「第二からの誘いを蹴ったそうだな、リート」
「けほっ、……知っていたんですか?」
「ツィーゼから聞いた」
「そうですか。……俺には第二の仕事は合いません」
知っていたも何も、ツィーゼ隊長はランジャック隊長に話を通してから俺を誘ったはずだ。そうでなければ問題になってしまう。
ん?
……違うな。ランジャック隊長が聞きたいことは違う。
答えを少し修正しよう。
「俺は調査隊の仕事が好きです。隊の仲間も」
「そうか」
柔らかい「そうか」の言葉になんとなく興味を引かれ、横目にランジャック隊長の表情を覗き見た。いつになく穏やかな顔だ。
少しは気晴らしになってもらえただろうか。
昼下がりの優しい日差しに包まれ、静寂の時間がゆっくりと流れる。せせらぎが耳に心地良い。硫黄と水が混ざり合って、どこか心が落ちつく匂いだ。
話題が尽きて黙りこくっていても気まずさはない。きっと、信頼とはこうして築いていくものなのだと思う。
ふとももに何かが触れた。茶毛の猫が俺の脚に顔を擦り付けている。
辺りを見渡せば、いつの間にか周囲に猫達が集まっていた。魚が目当てのようだ。
猫の一匹を撫でながら隊長が口を開く。
「……最近、目の下のクマが取れなくてな」
ランジャック隊長は「最近」と言ったが、クマは以前からある。
その悩みを聞いたのは三度目だ。
「ちゃんと寝ているんですか?」
「しっかり眠っている」
このやりとりも三度目である。
そして次に、俺はこう返す。
「温泉で休みましょうか」
「そうだな」
立ち上がり、竿に糸を巻いた。
魚籠は一つ置いていく。
取りに戻る頃には、きっと空になっているはずだ。
閑話 男達の休息 了




