女神の姿は大体大きい
「急に本気の願いといわれても……」
「なんでもいいぞ、エルスチル」
「しいて言えば、絵が上手くなりたいです」
授業を終えたエルスチルとアトリを加え、予科の校庭へやってきた。早速エルスチルの力を検証してみようという計らいである。
どうして校庭かといえば、描いたものがクモのように巨大化する可能性があるからだ。
言い伝えでは、妖精が願いを叶えると初雪が降るという。
皆で囲んだ落葉焚きから上る煙を目で追っていき、見上げれば晴れ渡った空が広がっている。そろそろ美しい夕焼けが見られそうな頃合だ。しばらくは妖精も出てこないだろう。
「それでは実体化のしようがないな。エルスチルには会いたい人とかいないのか?」
「家族は全員健在ですし、これといって特には……」
アトリが口を挟む。
「あれはどうじゃ? ピルアちゃん」
「ピルアちゃん?」
「うむ。エルスチルから借りた本の挿絵に載っておった。勇壮な冒険物語に登場する脇役の可愛らしいおなごじゃ。好きだと言っておったろう、エルスチル?」
エルスチルは両手で顔を覆ってしまった。
「なんじゃったか、『兄さんの隣は私の場所です。誰にも譲る気はありません』、じゃったっけ?」
……あっ、妹なんだ。
エルスチルの体が小刻みに震え始めた。
「それとも、『やっと、……やっと家族になれましたね……』の方かの」
「やめてよアトリ! 描きます! 描くから!」
あれっ!? 妹じゃないの!?
まあ、ピルアちゃんを描いた挿絵が、少なくとも二枚あることはわかった。
「あの……描くのはいいんですが、近くで見られるのはちょっと……」
「わかった。じゃあ俺達は校舎の中にいるから」
ユーカが焚き火の中から鉄の小さな容器を取り出した。
中を覗けばハシバミの実が入っている。一体いつの間に準備したのか。
「遠くから見ても、エルスチルが上手い絵描きだとわかるな」
「うむ。挿絵や宣伝広告を描く仕事をしたいそうじゃ」
エルスチルが絵の具と筆を器用に使い分けると、みるみるうちに絵ができあがっていく。
くっきりとした輪郭線、淡い色彩、たくさんの曲線で描かれた背景の花、画面の手前には薄黄色の柔らかそうなドレスを着た、髪の長い女の子が花束を抱えている。正面を向いて微笑む全身像だ。
あれが愛しのピルアちゃんか。
なるほど、俺がエルスチルくらい若かったら惚れていたかもしれん。
「ハシバミも美味いな」
皮を剥いた実に焚き火で溶けた糖がからめてある。種実類特有のえぐみがなく食べやすい味だ。
ユーカは頬の中で実をころころと転がしている。
「リートさん、最近はハシバミの実のことを“ヘーゼルナッツ”というそうですよ。これはプラリネというお菓子です」
ユーカが妖精を飲み込んだら、王都が菓子で埋もれてしまうのではないか。
俺ならきっと金目のものが出てくるな。我ながら夢のない発想である。
ふと見ればアトリが首を傾げている。
「あれはなんじゃ? サーラよ」
「なんだろうね? 現象が起きはじめたのかな?」
ピルアちゃんの絵から白い湯気のようなものが出ている。エルスチルに気付いている様子はない。
これは……行った方がいいのか?
その時一瞬、強烈に光った。まぶしさに目がくらむ。
目を開けると、そこにあったのは足だ。校庭を埋め尽くさんばかりの巨大な素足である。
慌てて校庭へ出た。
見上げると、先ほどまでエルスチルが描いていたピルアちゃんそのものだ。かつて俺がカラウ山で見た、以前のアトリの姿よりもわずかに大きい。
大丈夫なのかこれ。歩き出したりしないだろうな?
「エルスチル! 無事か!」
「……完璧だ。美しい……」
エルスチルは巨大なピルアちゃんを見上げ、心ここにあらずといった感じである。
ええと、声をかけていいんだろうか。
はっと我に返ったエルスチルはゆっくりと跪き、両腕を広げる。
「ピルア! 結婚しよう!!」
王都の空に響く、『やっと、……やっと家族になれましたね……』の声。
太陽が地平線に沈みはじめ、一羽のカラスがピルアちゃんの手に止まると、鐘楼の鐘が鳴った。
やがて夕陽の光とともにピルアちゃんの姿は薄くなっていき、星が光り始める頃には完全に消え失せてしまった。
……検証は成功……でいいのか。
アトリは何度も大きくうなずき、「良かったのう」と呟いた。
サーラ先輩は、今後雪が降るまで絵を描かないように、とエルスチルへ言い聞かせている。
大通りに目を向ければ、騎士団本部からぞくぞくと騎士達が出てきた。衛兵や野次馬も集まっているようだ。
「説明が面倒だ。みんな、逃げるぞ」
翌日の朝のこと。
妙なまぶしさに目が覚めると、窓の外は一面白銀の世界となっていた。妖精は無事エルスチルの体から抜け出したようだ。
それはいい。問題は今日の任務である。
任務内容を聞いた俺とユーカは、“南区大通りの化物グモについて”の報告書を慌てて書くこととなり、説明のため王城へ出向くこととなった。
前日、所用で登城したエグバジルさんは、そのまま王城で一泊、今朝無事にサーラ先輩と会えたようである。
結局、王都に冬をもたらした嵐は、神秘を連れてきたわけではなかったようだ。
一連の騒動は、たまたま一人の学生が妖精を飲み込んだことに端を発する珍事件だったのだ。
どうしてユウレイグモやピルアちゃんが巨大な姿で現れたのか。
これは推測だが、きっと想いの強さが大きさとなって表れたのだと思う。そう考えると色々納得がいくのだ。
ちなみに、ピルアちゃんを愛する同好の士が、予科の校庭を聖地に認定したという噂を街で聞いた。そのうち新宗教ができるのではないか。
起きたことはどれも神秘といえる現象だが、昨日今日と脱力しきりだ。俺とユーカが命令書を見て、思わず吹き出したのも致し方ないことである。
……だってさあ、これはないよ。
“王都中央に現れた巨人と、巨人が発した『ヤットカ族になれ』という呪いの言葉について調査せよ”
十二、夜半に嵐の吹かぬものかは 了




